4月12日 猫になりたい

今週も火曜日更新ですねぇ。いっそ更新日を毎週火曜日に変えた方が良いかもしれませんねぇ。月曜日ってお休みなんでなかなかパソコンの前に座って作業って訳にいかなくなって来ているんですよね。元々この月曜更新ってのもまだ独身時代に始めたことですし、環境も変わって来ているんだから現実的な方向に修正しないといけないのかなぁ?

そうそう、前回のコラムで予告したメルマガですが、ついに配信を開始しました。一応不定期配信になってますが、これはこのコラムの二の舞を防ぐための防御線みたいなもので原則週に1回くらいの配信を予定しています。明日あたり第2号の配信が出来るかもしれません。(仕事の状況次第で約束は出来ませんが…)多くの読者登録をお待ちしていますね。

さて、そろそろ本題に移らないといけませんね。今回のお題は「猫になりたい」ですね。まぁ、人間誰しも変身願望みたいなものがある訳ですが、俺の場合は猫が良いかなぁ?なんて思ってます。まぁ、単純に猫が好きなだけって話しもありますけどね。うちでは俺が小学校1年のときから常に猫を飼っていました。現在もいます。一番長生きだったのは前述の小学生のときから飼っていた猫で、俺の小学生、中学生、高校生、大学生、社会人、独立までずっと一緒に居ました。23年の長い付き合いでしたね。俺の人生の2/3はこの猫と過ごしたと言える訳です。もっとも飼っているといってもどこの家でもそうかもしれませんが、結局世話をするのは母な訳で俺はというと気が向いたときに可愛がるくらいなもので、特別何をしたという訳でもありません。

まぁ、俺と猫の関係はそれくらいにして、なぜ猫になりたいか?ですよね。なんか自由じゃないですか。犬とかってなんか芸をさせられたりして束縛されているイメージ(犬は集団生活を好むので決して束縛とは感じてないでしょうが…)がありますが、猫って自由きままな感じがしますよね。もっとも何を考えているのか判らないところもありますし、命令を聞かないなんてのは猫の真骨頂みたいなものです。まぁ、実際は猫の世界も大変だと思うんですよ。縄張り争いとか生きるために餌を確保したりなんてのは人間界より厳しいかもしれませんからね。まぁ、そういう意味では俺は飼い猫になりたいのかなぁ?何をしても文句も言われず、例え言われても意に介さず、好きなときに起きて、好きなときに食べて…もっともご主人様に媚だけは売っておかないとオマンマ食い上げですからときどき愛くるしい声で鳴いてみたりとかして日がな一日ぼ〜っと過ごせたらどんなに良いだろうと思う訳です。わずらわしい人間関係に悩むこともなく、自分の意見が通らないと憤ることもなく、かといって生きるという行為自体には貪欲なそんな猫になってみたいと思いますね。実際の人間の生活には色々なしがらみやら苦痛が数多くあります。人間は自分の行いを人に伝えるために言葉を持ちました。これにより1代限りで終わってしまった知識を後世に受け継ぎ発展発達が可能になった訳です。今ではネットを通じて遠く離れた人にも俺の思いを伝達することすら容易な世の中になっています。俺は前々からここでも書いていますが、人に自分の意見を押し付けるのが嫌いです。結果として相手が押し付けられていると感じてしまうことはあるかもしれませんが、自分では極力そういうことないように努めているつもりです。逆に俺に意見を押し付けられるのはもっと嫌いです。誤解を恐れずに書けば、答えの用意してある質問に対して意見を求められることが一番嫌いかもしれません。このような場合、俺は相手の答えを推測してそれに近い意見を言わなければいけません。もちろん、自分の意見がそれと異なることも多い訳ですが、そこで思っていることを言うと予期せぬ反論に合う訳です。それが俺には耐えがたい苦痛です。自分の意見は言えず、しかも詰まらないことに反論されてこっちの得るものなんかほとんどありません。俺は議論は嫌いではないですが、最初から答えが用意されているリスクのあるなぞなぞに付き合うのは嫌いなんですよね。だから大抵の場合はその場所から身を引きます。まぁ、相手には言い負かしたと思わせて置けば良いんです。深みにはまって傷つくのは馬鹿らしいですから、俺のプライドが少し傷ついたくらいならそれで良しとすることにしてます。う〜む、猫と関係ないじゃん。でもね。そういうわずらわしいことを考えずに生きていけたらどんなに良いだろうと想像することはある訳です。それの象徴が猫への変身願望なのかもしれないですね。