5月1日 愛を語る
いや〜最近順調に更新していたのに2週も飛んじゃいました。ブログにメルマガにコラムと書き物が多いので自分でも「えらいことになてるなぁ〜」と感じつつまぁ、マイペースでやらせてもらうことにします。ブログは日記的要素、メルマガはビリヤード専門誌、そしてこのコラムはテーマ別に俺の自由意見と勝手に捉えてます。まぁ、多分にごっちゃになってますが、ここは比較的制約無く書いてるので結構好きなんですけどね。制約はテーマだけ、それも摩り替えるの得意だし(笑)
さて、本題です。愛を語る。おぉ!自分で掲げたテーマなのになんとこっ恥ずかしいタイトルだな。でもね。黙っていては伝わらない感情とかもあると思うんですよ。だから、俺は書いてみようと思う訳です。俺の場合は大声で叫ぶことは出来そうにないので語ることになるんですが、俺の考える愛ってなんだろう?っていきなり大きなタイトルに挑戦です。以前にも書いたと思いますが、俺の考える愛は無償でなければいけないと思っています。対価のある愛は俺の中には存在しません。これをしたから、自分にこれをして欲しいというのは対価です。まぁ、家庭で言えばご飯を作るからごみ捨てして。ってのは対価だと考える訳です。俺は少ないながらも家の事もします。直子にしてみれば匠太で大変なんだからもっと手伝って!ってのが本音だと思いますが、俺も出来る範囲でやってるつもりです。で、この家のことをするのって誰のためだろう?と考えると誰のためでもないんですよ。あまり良い稼ぎとは言えませんが「俺は外で働いてるんだから家のことはやらない」なんて言ったこと一度もありません。出来ることはやります。もっとも中々時間的にやりたくても出来ない時もありますし、疲れているからとか、面倒だからとやらないことも無い訳ではないです。でも、出来るだけやるように心がけています。俺は結婚していくつか新しいルールが出来ました。今まで経験したことのないルールもたくさんあります。そして、子供が生まれるとまた別のルールが増えて来ました。それは家族3人が平和に暮らすためのルールです。だから、不都合が生じれば改正することもありますし、撤廃することもあるでしょう。約束などと縛られたものではなくお互いに了解しているものだと思ってます。
そのひとつに俺の起床時間があります。特別なことがない限り、俺の起床時間は10時です。えらいゆっくりしてるね。と思われる人もいるでしょうが、寝るのは大抵朝日が昇った後です。まぁ、5時に寝れれば早い方です。それで午前中に起きるのは正直しんどいんですが、これにはきちんと理由があります。12時から翌朝5時までは俺は仕事で拘束されます。途中で食事休憩が2時間ほどありますが、それを除けば家族と過ごす時間がないんです。だから、午前中の仕事が始まる2時間は家族と過ごす時間に当てているんですよ。まぁ、寝起きの悪いことにおいては世界1を自認する俺ですので直子も起こすのはしんどい作業だと思うのですが、最近は匠太が起こしに来てくれます。俺の部屋にパタパタと侵入して来て「パパァ」なんてやられたらいくら寝起きが悪かろうが起きるってものです。そして天気さえ良ければ家族3人で近くを1時間ほど散歩します。これには色々な意味があります。匠太を散歩させるってのが第一ですが、それ以外にも基礎体力の落ちてる(病気しましたからね)俺の体調を整えるためであったり、直子と家のことを話す時間だったり、のんびりと季節の移り変わりを楽しむ時間だったり、たまには別のルートを使って近くを探検する冒険だったり。
俺も何も特別なことのないただの人です。悩むこともあれば、悲しいこともあります。でも、そんな中でも家族に対する愛情を持ちつづけることが出来れば大抵のことは大丈夫な気がしてます。若い頃は自分を愛されたいと思っていた気がします。でも、結婚して子供が出来て責任をはじめとする様々な重圧がかかるのを家族を愛することで凌いでいるのではないか?なんて思います。すなわち自分が愛されることが幸せなのではなく、自分が愛することが幸せなのだと思うのです。すると今まで気付かなかった自分が愛されていることにも気付きます。なんか青い鳥を探す旅に似てますね。