9月1日 新装開店

 以前から色々なところで告知していましたが、私の経営するビリヤード場、ビリヤードセブンが9月1日に新装開店いたしました。同じく私の経営しているパソコンスクールZAMaを縮小し、空いたスペースを利用して2台テーブルを増やし、厨房を備えて軽食の販売も始めることになりました。まだまだ不慣れな点もありご迷惑をお掛けすることもあるかと思いますが、誠心誠意皆様に愛されるお店作りを目指して行きたいと思いますので、今後とも末永くお願い致します。

 シャローム企画株式会社 ビリヤードセブン 代表取締役 福田太志

と、冒頭はいつもと違って少し堅苦しい文章にしてみましたぁ。こっからは普段の「たいし」で行きますね。さて、ようやく開店に漕ぎ着けました。もっとも細部の調整みたいなものはまだまだ残っているので、きちんとした形でペースを掴むのにはちょっと時間がかかるかもしれませんね。で、今回の改装に至った経緯や裏話なんかをここでは書いてみようなかなぁ?なんて思ってます。セブンが開業したのは今から19年も前のことになります。(今年11月で20周年です)その頃はハスラー2のヒットにより一大ビリヤードブームの真っ只中でした。当時の俺はどこにでもいる体育会系の大学生。仲間に連れられて2時間待ちは当たり前の飯田橋のビリヤード場に行ったのが始めてのビリヤード。その後、横浜(当時は横浜に住んでました)の地元のビリヤード場にもちょくちょく弟や友達と顔を出していました。本気でビリヤードをするというよりもブームに乗って皆がやっているからやっていると言う感じでしたね。その半年後に座間に父が3階建てのビルを建設します。2階の事務所部分で何か事業をしようと考えていた父は流行のビリヤードに目をつけます。もちろん全くの素人です。テーブルをどこで入手すれば良いかもどんな設備が必要かも一体何台テーブルが置けるかも全く判らずに1週間でオープンに漕ぎ着けました。同時に俺が店長になった訳ですが、何をどうして良いのかさっぱり判りません。教えてくれと言われてもこっちだって超ビギナーですルールだって怪しいのに店長しているんですから困ったものです。それでもお店は繁盛しました。当時は予約制だったのですが、10時の開店と同時に翌3時までの予約が埋まるという状況です。今では考えられないですけどね。それでも一応店長ですからね。少しでもうまくならないといけません。そこで閉店後に2時間ほど練習をして翌日は大学に野球の練習に行くなんて生活でした。だから、俺はお店の経営もビリヤードも全くの素人でそれほど興味もないままにこの世界に足を突っ込んだことになります。周到な準備と夢を持ってビリヤード場を開業された方には甚だ申し訳ないきっかけでしたね。そうこうしているうちに俺自身がビリヤードにはまって行きます。もっとうまくなりたいと思い始め、各所の試合に出たり他のお店に出入りするようになります。その頃にはブームは去り、一段落していたので練習にも余裕が出来ました。一日10時間以上は毎日練習してましたね。それでも所詮は我流ですから大してうまくはならなかったですけどね。店も予約なしで撞ける状態になり常連さんが増え始めると自然と59が蔓延します。当初から苦々しくは思っていたのですが、上級者はこれでないと相手をしてくれません。仕方なくセットマッチも乗せて撞きます。元々賭け事が大嫌いなのにそれ以上にビリヤードが好きでうまくなるための手段として選択してしまっていました。今ではそれが間違いだったと思えるのですが、当時は本当に辛い日々でしたね。そして、数年が経過しビリヤードは廃れました。お店には閑古鳥が鳴き、たまに来る客は賭け事ばかり、練習にも身が入らない上にある事件をきっかけにビリヤードが嫌になってしまいました。その時にお店を閉めることになんの抵抗もありませんでした。正直なところやっとやめられると思ってましたね。当時はサラリーマンだったのですが、セブンを閉店するのとほぼ同時にパソコン教室を開業し、父の会社の代表に就任します。とても忙しくてビリヤードを思い出すことさえ少なくなっていました。1年ほど経過したでしょうか?出張講習で生徒さんのご自宅に伺った帰り道に昔行っていたビリヤード場がありました。ちょっと時間が空いたので久しぶりに顔を出してみようと思い立ちふらっと寄ります。するとそこには以前と変わらないメンバーが楽しそうにビリヤードをしています。新しい人もいるようです。そこの店長に「たいしさぁ。またやろうよ。趣味で良いからさ」と言われました。「やっても良いけど俺は掛け球嫌いなんだよね。」「じゃぁ、俺とやろうぜ。スポーツだって構わないよ。うまくなることだけがビリヤードじゃないし、掛けるだけがビリヤードじゃないしさ。楽しく笑いながらやろうぜ」その言葉がとても嬉しかったですね。辞める前にはA級に昇格していた俺も1年のブランクは大きく、全然歯が立ちません。その時に「セブンがあればなぁ。」と始めて思いました。幸いテナントのセブンを営業をしていた場所は空いたばかりで借り手がまだ決まっていません。テーブルも3台ですが倉庫に眠ってます。「よし、やろう。そして、ビリヤードの楽しさを皆に伝える役に回ろう。掛け球を禁止して純粋にビリヤードをビリヤードとして楽しめる環境を提供するお店にしよう。」そう思って再オープンしました。それから10年が経過し、色々なことがありました。辛いこと、楽しいこといっぱいあった中で数年前から店舗を改装して5台にしたいと思い始めます。理想を言えばきりがないですが、少なくともスポーツビリヤードを提唱しているというのがセブンの中では浸透して行ったと思います。

そして今年の3月にセブンの存亡に関わる大事件が起きます。俺も一時は続けることを諦めかけました。でも、やっぱりあのブランク時代の何もやる気のないただ毎日の経過を眺めているだけの自分には戻りたくありませんでした。そこで反対している家族、友人、知人を一人づつ説得し、今後の詳細な事業計画と営業方針を伝え皆に納得し協力して貰うことを約束してもらい店舗拡大に向けて動きはじめます。でも、難題は山積でした。資金の調達、業者の選定、それ以外にも軽食のメニューから付随する物品の洗い出しと購入。これらを全部俺の責任で俺が判断し決断していかないといけない訳です。今回は以前に始めたときの「とりあえず店長」ではなく、会社の代表として自らの意思を反映させていかなければならないのです。従業員のやりやすさとお客さんの要求は相反するものが多くあります。もちろんお客さん優先でなければならないのですが、働きやすい環境を整えるのも俺の役目な訳です。俺は元々調整型の経営をします。色々な人の話を聞き、落とし所を見つけお互いにちょっとの満足とちょっとの不満が均衡するように図るという図式です。しかし、今回は俺がリーダーシップを取ることにしました。一方では俺のやり方に不満も出るでしょうが、俺のやりたいことが出来ない妥協の産物にはしたくなかったのです。もちろん人の意見を聞かないということではありません。参考にする部分は大いに参考にし他店を回る暇がないのでHPや電話で状況などを確認しながらどうしたら良いかを常に考え実施して来ました。もちろんビリヤード場の仕事もパソコンの仕事も同時に今までとおりやりながらの作業です。睡眠時間はさらに減り、ビリヤードの練習をする時間はなく、愛妻や愛息に会う時間を削り寂しい思いをしながらも必死に開店準備を進めます。プレッシャーがかかり持病が再発し点滴を打ちながら1週間食事が出来ない中でも休むことなく働きました。おかげでこの1ヶ月で体重は12Kgも減ってしまいましたが…そんな思いは俺の勝手だと言うのは十分に判っているのですが、それでも俺に追い討ちをかける奴らがいます。一度俺が決めたことが自分の意見を反映していないとぶんむくれる奴や、こっちの立てた計画を無視してあれはどうした、これはどうしたと自分の関係する部分だけを要求する輩、さらには使えない業者。(大半の業者は素晴らしいプロの仕事をしてくれました。感謝してます。)これらが一度に襲ってきたある日、何もかも捨てて消えてしまおうか?と思ったことがあります。俺のブログを読んで頂いている方には「あぁ、あの辺りのことね」と推測がつくかもしれませんね。そんな俺を励ましてくれたのは懸命に練習を繰り返し上手くなろうと努力する常連さんの姿であり、なかなかゆっくり一緒に過ごすことの出来ない直子と匠太の存在でした。この人たちからこの場所を奪ってはいけない。という思いと、日が昇ってから自宅に帰りそっと覗きこんだ2人の寝顔を見て自分を恥じました。俺は今回柄にもなく自分の意見を通している。それが我儘でないかを気に病み、慣れない作業に嫌気を差し、人からの誹りに耐えられず、日々忙殺される中で自分を見失っていたように思えたのです。俺が消えてしまうことは簡単です。でも、この仕事を誰かが引き受けるでしょうか?絶対に無理です。俺にビリヤードを教えて欲しい、一緒に撞きたいと思ってわざわざ遠くから足を運んでくれる常連も少なくありません。そんな彼らを裏切ることは出来ません。確かに今は忙しくて相撞きもままなりませんが、それでも時間を作って出来るだけご一緒できるようにしています。例えそれが俺の睡眠時間を削ることになってもそれが俺の望んだ道だと改めて気付いたのです。翌日無理に早めに起きた俺は駆け寄る匠太を抱きしめて泣き崩れました。そして「パパがんばるから」と繰り返し、繰り返し彼の耳元で囁きました。彼は俺の耳元で笑っています。「パ〜パ〜」としか言いませんが、それが俺には「うん、わかってるよ」と言っているように思えてなりませんでした。それからの俺は以前にも増して動き続けました。そしてようやくリニューアルオープンの今日を迎えた訳です。

紆余曲折はありましたが、なんとか形が出来ました。まだまだ、細部にやらなければならないこと不慣れな故にご迷惑をお掛けすることも多々あると思います。今でも以前にも増してプレッシャーや不安はあります。でも、もう負けません。関東の地方都市にある小さな小さなお店ではありますが、スポーツビリヤードを提唱する俺の拠点としてこれからも地道な活動を続けて行きたいと思っています。皆様のお越しを心よりお待ちしています。(って最後はやっぱり堅くなるなぁ…)