02月08日 自信

いやはや今年はじめての更新になりますねぇ。困ったものです。書こうと思えば書けないこともなかったはずなんですが、なかなか物を書くってのは気合とか思い切りみたいなものが必要なものでして…まぁ、毎日ブログを更新しているのでコラムの方はいっかぁ。ってな気持ちがどっかにあるんでしょうねぇ。ブログはビリヤードを中心に日常の俺の姿をコラムは皆さんにテーマを選んで頂いて俺なりの考え方なり心境なりを書くコーナーと自分では分けて考えているんですが、理想と現実ってのはそうそう一致するものではないようです。

今回のテーマは自信ですね。俺はこの自信ってのがすこぶるない人なんですよね。もっと自信を持てと良く言われます。ビリヤードにしてもパソコンの仕事にしてもプライドと自信を持ってやっているつもりなのですが、人からは過小評価だと言われることがあります。まぁ、俺の考え方でしかありませんが、アメリカ人じゃあるまいし日本人ってのは謙虚なことが美徳とされる文化なんですし、人から自分を過小評価していると言われるくらいで丁度良いんじゃないかと思ってますけどね。そういう意味では逆のタイプって苦手ですね。自分を過大評価したり自信が過剰なタイプですね。こういう人は得てして言行不一致なことが多くて大風呂敷広げて失敗するんですよね。まぁ、色々な考え方がある訳ですが、人に公言することで自らプレッシャーをかけてその目的を達成するタイプの人もいる訳でそういう人は人からはドンキホーテ呼ばわりされても最終的にきちんと目標なり目的が達成できれば良いと考えているんでしょうね。まぁ、「あり」か「なし」で言えば「あり」でしょうね。ただ、この公言するときに相手を選ばないといけないですよね。極親しい友人に「実は・・・」というのとウェブで公開するのとテレビなどで発言するのとではその重みは変わるかもしれませんからね。まぁ、最悪なパターンは色々と大風呂敷広げてまともにひとつも達成出来ないのにさらにそれを誤魔化すために風呂敷を広げるタイプでしょうね。こう言うタイプは話ししていて疲れます。嘘とは言いませんが言い訳が多く自分の目標を達成するために自分に甘くなるんでしょうね。まぁ、ビリヤードで言えばわざとラックを浮かせたり、ゲーム中に他の人に話し掛けたり、わざとプレーヤーを横切ったりとプレー以外のことで駆け引きをするようなタイプに多いですかね。まぁ、これも考え方で勝つ為の手段と自分を正当化しているんでしょうけどね。逆にプレーで勝てないからそういう狡いことする訳でプレーに自信がない証拠だと思いますけどね。まぁ、勝てば官軍との言葉もありますから一概に悪いとは言いませんが試合で当たったときには「ははぁ、自信がないんだ。可哀想に…」とは思いますが、俺のプレーにそんなもの影響しませんし、かえってプレーに自信がないと俺は思うので楽に出来ますかね?残念ながら試合で当たったとき以外で相撞きするのはノーサンキューですけどね。

話がずれましたね。どうもコラムは脱線気味で良くないですねぇ。俺にとっての自信とは人に公言しないものだと思っています。自分の中でひそかに思うものが自信であり、公言するものは目標なり設定でしかないのではないかと思う訳です。自信という字を分解すれば「自らを信じる」と言うことになる訳です。自分を信じて自分の信念のとおりに行動、発言することが自信であり仮定の自信などというものはないのだと思います。そういう意味では俺の自信とは確信とほぼ同義の言葉であるとも言えるかもしれませんね。

では、俺に自信の持てるものがあるか?と問われれば幾つかあります。自分を信じて確信していることは確かにある訳です。それは家族への愛であったり、仕事への直向さであったりと非常に抽象的で言葉にするのは難しい事ばかりです。自信を持つというのは自分に正直なるということであり、なにもすごいことが出来るという自慢をすることではないと思う訳です。過去の栄光を引きずっていつまでも「昔は良かった」と言うのは自信ではないと思う訳です。確かに経験に裏打ちされない自信などありませんけどね。繰り返しになりますが、自信とは自分で思うことであり、それを言葉にした瞬間に過信になるのだと思います。そして自分を信じられない事こそが自信がないということの本質だと思うんですよね。