08月11日 人に好かれること

またもや大幅に更新が遅れてしまいました。どうもいけませんねぇ。PC教室が夏休みに入ったこともありちょっとばかり時間が出来たのでコラムの更新を思い立った次第です。そろそろコンテンツの入れ替えなんかも考えないといけないんですが、なかなか思うに任せませんねぇ…

そうそう、前回の更新のときにはまだW杯が始まってなかったんですね。W杯は日本の敗退、イタリアの優勝、ジダンの頭突き事件&引退、中田の引退と色々な話題がありましたが、俺的に最大の話題だったのが匠太の発言ですね。「ロナウジーニョはぁ、パパと同じくらいサッカー上手い」ロナウジーニョがCMに出る度に呟いてました。匠太をがっかりさせる訳には行きませんが人並みに出来るスポーツなんて野球とビリヤードくらいなものなんですけどねぇ…まぁ、俺は常に匠太のヒーローで居たいので悪い気はしませんが、比較がでかすぎますよねぇ。

おぉ!久々なので出だしから脱線してしまった…今回のお題は「人に好かれること」まぁ、異性、同性に限らず人には嫌われたくないという心理が誰にでもあると思います。「俺は人に嫌われたって構わない」なんて言ってる人に限って「人に嫌われる」ということを意識している上ですでに嫌われたくないという心理が働いているのだと思う訳です。俺は別に人気者になろうとは思ってません。でも、出来れば人からは嫌われたくないし、さらには好かれていたいという気持ちはあります。人から好きになってもらうにはどうしたらいいか?実は結構簡単なことかもしれません。人を自分から好きになることで多くの場合は解決するように思います。まぁ、この好きという言葉も恋愛感情が混ざったりするとまた別の問題になってしまうのですが、お互いにLOVEではなくLIKEの関係ならば、まずは相手を信用し、好きになることが大事だと思う訳です。そこには無償の感情が必要だと思います。「○○してあげたのに…」というのは見返りを期待した有償の感情です。自分が好きで相手に良かれと「○○した」ことに対して相手からの対価を求めることはない訳です。逆に自分では気にしないことでも相手の気に障ることというのは存在します。そういうところは気配りと我慢が必要なのかもしれません。例えば「○○していいですか?」と聞かれた場合、多少のことでしたら角を立てないためにも、本心はどうあれ「いいですよ」と答えてしまうものです。これは裏返すと「本当は嫌だけど、了解を求められて無碍にするのも関係が壊れてしまいそうで嫌だから、ここは我慢して許可してあげよう」という気持ちな訳です。ところが「○○していいですか?」と聞いた相手は了解を得たものとして振舞います。そして、それが何度か続くと「いちいち許可を取らなくても大丈夫」という慣れに発展します。「いいよ」と一度答えてしまっている以上、「今回はダメ」とは言い難くなり苦々しい思いで観ているなんてこともある訳です。ではどうすればそういうことを防げるでしょう?ひとつは相手に許可を得なくてはいけないということは自分でも「相手が迷惑に思うかも?」という相手を思いやる気持ちから出た発言のはずです。折角、思いやるのであれば許可が必要なことは出来るだけしないようにする。もし、どうしてもしなければならない場合にはもちろん許可を貰ってやる訳ですが、「いいよ」という一言を言質に取ってそれがさも当然のような態度を取らないように気をつけて要件が済んだら、きちんと相手にお礼を言う。これだけで随分と人間関係の摩擦みたいなものが減ると思うんですよね。

俺の経験で言えば人に好かれる人と言うのは人から色々と頼みごとをされる人のようです。逆に人に頼んでばかりの人は嫌われる傾向が強いように思います。もちろん程度の違いであり、頼まれたら断れないというのはただのお人よしで人に利用されるだけかもしれませんし、自分で出来ないことを人に頼めないと意固地になって事態を悪化させるのもどうかと思うので、そういうときには人に頼むことも必要です。例えば既に自己完結しているにも関わらず、それを人に肯定してもらわないと気の済まないタイプの人がいます。こういう人に意見を求められて思うところを話した時、既に本人のなかでは答えが出ている訳ですから自分と答えが違うと憤慨するというややこしいことになります。また、意見を求めてもいないのに人の会話にしゃしゃり出て来て自分の意見を押し付けようとする輩もいます。俺はこの手の人間がどうも苦手です。人を好きにならないといけないと思いつつもどうしても生理的に受け付けません。俺はこういう人には好かれようと思わないようにしてます。この手の人はある限界点を俺の中で越えると単なる道ですれ違う通行人と同じポジションにしてしまいます。肩がぶつかりでもすれば謝るでしょうし、困っている様子ならば声をかけることもあるかもしれませんが、通行人にまで好かれようと言うのは無理ですから諦める感じでしょうかね?

徳川家康の言葉とされるものに「この世は客の心で過ごすのが良い。」というのがあったと記憶しています。人の家に客として招かれて行って、いきなり勝手気ままな振る舞いなどする人はいない訳です。居住まいを正し、家の主人が勧める茶を飲み、その家の家風に従って行動する訳です。逆に迎える側は客に居心地のよい空間を提供しようといろいろと気を使い来てくれたことへの感謝を表す訳です。相手の立場になるというのはなかなか難しいものです。でも、相手を思いやり好きになるように努力することは自分自身で出来るはずです。人に好かれようと思ったらまずは自分が色々な人を好きにならないといけないんだと俺は思っています。それでもダメな人が出て来たら通行人だと思えば癪にも障らなくなりますよ。

最後に自分がどれだけ人に好かれているか、嫌われているか。誰でも気になりますよね?前にもどっかで書いた記憶がありますが、比較的簡単にわかる方法があると思ってます。自分が人を褒めた分が人から好かれている分、自分が人の陰口を叩いているのが自分が嫌われている分。人の悪口や不平ばかりを言ってる人に人気者は周りを見てもいないでしょ?自分に当てはめてみれば良い訳です。「好きな人の数>嫌いな人の数」なら嫌われ者にはなってないはずですよ。俺はどうだろ?嫌いな人…やっぱり居るなぁ…まだまだ修行が足りないね。