05月10日 人からどう見られるか

またまた時々更新のウィークリーコラムです。まぁ、去年よりましってことで…このコラムは毎回俺の選んだ3つのお題の中からユーザー投票で1位になったものを俺なりの視点で書くってことになってます。ユーザー投票は右上の「次回の予定」をクリックすると出来るので皆さん投票をお願いしますね。

そんな訳で今回選ばれたタイトルは「人からどう見られるか」です。う〜ん、気になりますねぇ。人の視線…「俺は気にしないよ」なんて人もいるかもしれませんし、人がどう思うかなんて気にするなみたいなアドバイスもよく聞きますよね?でもね。気になっちゃうものは仕方ない。俺はちょっと気にしすぎなのかなぁ?と思うことがあります。まぁ、40歳も間近に控えて若い頃みたいに顔がどうとか、持ち物がどうとかってことはあまり気にしないんですが、それでも人から良く思われたいという願望みたいなものは常にある訳です。そこで八方美人になってどっちつかずで結局は当たり障りのない普通の人になっちゃってるのが現状でしょうかねぇ?そんな俺でも俺のことをものすごく信頼してくれたりする人もいる訳です。俺には直接言われることはないですが、逆にきっと俺のことを嫌いな人もいるんだと思います。残念ながら有史以来すべての人から愛された人と言うのは多分いません。形容として使うことはしばしばありますが、実在はしていないと思うんですよね。で、最近思ったんですけどね。人からどう見られるかじゃなくて人にどう見せるか?を気にしている人が多いんじゃないかなぁ?と思う訳です。これは俺も含めてなんですけどね。人は無い物ねだりをするのが常のようで、詰まらない見栄を張ってみたり、話を合わせる為に知ったかぶりしたり、自分を有能な人間に見せるために人を見下ろしたりするんじゃないか?と思う訳です。まぁ、そんなことを演出しないといけないのは自分がそれだけのことが出来ないと自ら認めているようなものですから、本人が背伸びをすればするほど周りはしらけるか、面白がってからかうのがオチです。まぁ、それにも気付けないとするとある意味幸せですけどね。裸の王様は最後に純真な子供達の指摘によって裸であることに気付きますが、大人の社会では裸であることを陰で笑っても本人には教えてくれないものですからね。俺も実は自分が裸の王様なのに気付いていないんじゃないか?と自問自答することが結構ありますねぇ…

さて、人の見方というのは千差万別です。場所や立場を変えると似たようなシュチュエーションでも全く違う感想を持つことが少なくありません。これは優柔不断なのではなく人の考えや行動というのは場所、時間、立場などの環境要因で容易に真逆の感想になることを意味しているのだと思います。実際にあった話しを書きましょうか。もう数年前になるでしょうかね?友人達とバーで飲んでいました。そこに若者のグループがドアを開けて入って来ます。店内を一望すると出て行ってしまいました。内装が気に入らなかったのか、客層が気に入らなかったのかは分りません。その後、バーテンダーが「2度と来るな」と悪態をつきます。彼曰くバーの扉というのは日常と非日常の境目であり、バーの扉を開くというのは中の空気に馴染まなければならない。すなわち、既にいるお客さんの雰囲気を壊してはいけないと言う訳です。その仕事にこだわりとプライドを持っているからこその言葉かもしれません。友達は「そのとおり」とばかりに相槌を打っていましたが、実は俺には???でした。色々な考えがあって良いと思うのですが、俺にはそのバーテンダーの言う事にいくつか疑問が残りました。そのようなポリシーを持っていることを客である俺たちに披見する必要があったのか?少なくとも俺はそのバーの扉を開く際にそんなことを意識して扉を開いた訳ではありません。すると俺もそのバーには馴染まない客なのか?とも考えられる訳です。そして彼は悪態を付くことにより俺達の会話に結果的に割り込んで来た訳です。これは彼の言う既存の客の空気を変えたことにならないのだろうか?という自己矛盾です。彼のことを批判している訳ではありません。そういう考えやポリシーはあっても良いと思いますしプロとしてのプライドもあるでしょう。それ自体は素晴らしい事です。ただ、彼の意見をそのまま額面通りに受け取って万人が拍手する訳ではないという意識が少し欠けていたのかな?と思う訳です。で、実は似たようなシュチュエーションというのはこれからです。自分でビリヤード場を運営しているとなかなか他店に伺う機会はないのですが、たまに伺うときには入店に気を付けるようにしています。ビリヤード場の扉が開くと既にプレーしている人たちのプレーを止めてしまうことがあるので、迷惑にならないように中の様子を伺ってタイミングを見て入店するようにしています。扉の音も最小限になるようにするなど自分なりに気を付けているつもりです。これってバーでの出来事と似ていませんか?ここで違うのは2つだと思います。その空間に於ける自分のこだわりと、それを他者に披見するかどうかです。まぁ、ここでコラムとして書いてしまうと俺も同じように披見していることになる矛盾はあるのですが、もうちょっと踏み込めばそれを他者に対して求めるのか、自己完結するのか。という違いですね。俺のこだわりを例えばうちのお店に来るお客さんに強要したりはしません。あくまで自分が感じて実行していることな訳です。こだわりというのは人によって違います。例えばビリヤードのマナーのひとつに相手のプレー中には視覚に入らないように気を付ける。それが出来ない場合には視線を逸らして動かないようにする。というものがあります。ただ、これも全然気にしない人もいる訳です。で、ここからが問題です。自分が気にしないということは相手にもその気遣いが薄いということになります。気にする人がいるかもしれないという想像力が働かない訳ですね。

他人からどう見られるか?ということを意識するのは仕方ないことかもしれません。そして、自分を良く見て貰おうと思うことも自然な発想です。その時に必要なのは演出ではなく、いかに自分らしく自己主張をし、それを他人に押し付けず、他人を許容出来るかということが必要なのかもしれません。本当に知って欲しいのは演出されて自ら作り出した幻影じゃないはずですからね。自分らしくか…俺の自分らしさって最近出せているのかなぁ?書くのは簡単なんですけどねぇ…