COUNT

老衰物語 〜 老いを感じるとき



9月10日。その日は朝から晴れだった。
各TV局も日本中に太陽を咲かせていた。


‥‥どこかで音がする。ヘッドホンから? ‥‥いや,もっと向こう。
音をたどる。‥‥押入? 押入の上から音がする? 水が滴るような‥‥。
じっと耳を凝らす。ぴちゃ,ぴちゃ,ぴたぴた,ぴっとん。
ここの上ってトイレだっけ? いや,アパートだから同じ構造のハズだ。
すると,更に向こう,台所か? 台所へ回ってみる。‥‥聞こえない。

その時,一瞬足のつま先が冷たいものをとらえた。
下を見る。‥‥何も見えない。天井を見上げる。‥‥何も見えない。
その時,足下で何か音がした。何かが落ちるような‥‥。
もう一度,今度ははいつくばるようにしてじっと見る。

すると,敷物に雨だれの当たったようなへこみがあるのを見付けた。
慌てて,もう一度天井に目を凝らす。‥‥天井のひび割れに沿って,水滴が!
雨漏りか? ‥‥また,落下物を感じた。いけない!
慌てて,近くにあったバケツを,その中身を捨ててひび割れの下に置いた。
水滴がバケツに当たり,音楽を奏ではじめた。「…ボ。…ボ。…ボ。」

ふと,押入の方が気になり,とって返す。‥‥何ともない。
だが,やはり水音は押入の上から聞こえる気がしてならない。
念の為,濡れたら困るもの‥‥この段ボールだけでもよけておこう。
段ボールは4つ。本やFD,MO,印刷用紙などが入っている。
押入と反対側の方の隅に重ねていく。‥‥押入の方は,未だ何ともない。
やれやれ,杞憂だったかな? 台所の方からは,未だ音楽が聞こえている。
「…ボ。…ボ。…ぽた。」‥‥「ぽた」?
慌てて台所に戻ると,水が滴る場所が2つになっていた。…洗面器を置く。
う〜ん。水跳ね防止に雑巾を置いた方がいいのだろうか。

さてどうしたものか。管理人に電話してみるか。いや,上の階が先か。
とりあえず,台所の雨漏りだけだから,実家に電話して,助言を仰ぐか。
そんなことを考えながら,再び押入の様子を見に戻る。

とそのとき!! 「ジャーッ!」 突然雨のように水が降り出した。
唖然としたが,すぐ我に返って台所へ飛んでいく。
一瞬躊躇し,置いたばかりのバケツと洗面器を取って押入へと走る。
水の降る,その真ん中あたりを狙って容器を置く。
急いで食器洗いの桶も取ってきて,これも置く。
更に,押入に残っていたもの全てを運び出した。

すっかり動転してしまった私は,あたふたと実家に電話する。
自分では落ち着いているつもりなのだが,考えがまとまらない。
電話口に出たのは母だった。

助言に従い,まず上の階に行ってみる。呼び鈴のブザーを鳴らす。
「水が降ってきたんですが,大丈夫ですか?」
出てきたのは犬だった。‥‥犬? 上の階は男性だったと思ったが。
女の人だった。あれ? 犬? あれ? ‥‥動転しっぱなしである。

ともかく「元」は止まったらしいので,部屋に戻る。
雑巾を取って押入へ。心なしか,弱まってきている。
いざ拭かんとしたとき,ブザーが鳴った。先程の女性だった。
どうも,手伝いに来たらしい。
「非常に」散らかっているのだが。いや,それどころでもないか。
「相当散らかってますけど」と言い訳しつつ,もう一枚雑巾を持って押入へ。

‥‥その後は,ぼんやりとしか覚えていない。
人と話すに不慣れな私は,動転と緊張とで舞い上がっていたことだろう。
何とか引き上げてもらった。
管理人の方には,彼女の方から電話しておくことになった。

実家に電話し,経過報告とお礼をする。
濡れたものを干して,窓を開けて,念入りに拭いて‥‥

またブザーが鳴った。‥‥管理人さん? 早いな。
ドアを開けると,彼女がコンビニ風の袋を持って立っていた。
どうも,お詫びがてら,口止めに来たらしい。いや,口止めがメインか。
「犬を飼っていることが管理人に判ると追い出されるので。」
やはり口止めがメインなんだろうな。
袋には新品の雑巾と缶飲料が覗いていた。

「ビール,飲みます‥‥」
よね,と言いたかったのだろうが,「あ,いえ。」と答えた。
飲まないものは飲まないのだ。あ,ちょっと困ってる。
どうも,彼女もビールは飲まないらしい。
「ジュースの方が良かったですね。」
いや,そう言われてもねぇ。

結局雑巾だけいただくことになった。
いや,雑巾じゃなくてタオルだったのだが。

そして私は勘違いに気付く。ずっと「雨漏り」と呼んでいたのだ。
雨漏りとは,屋根などから雨が漏ることだ。
だが,ここは3階,建物は4階。おまけに今日は全国晴れだった。
すると‥‥水漏り? 漏水? 漏水が無難かな。
最も,大した違いではないと思う。天井から水が降る事に比べたら。


今回の騒動,上の階で洗濯機のホースが外れた事が原因だった様だ。
つくづく思うのは,運が良かったな,ということである。
起きていて――,入浴中じゃなくて――,外出中じゃなくて――,
そしてなにより,早く気が付いて――良かった。本当に。

1999.9.10 Ascal-J

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