みどり日記 1998/02/02 人の幸せの変遷

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みなさんはじめまして。
私は大阪大学の大学院で民俗学(文化人類学)を学ぶ大学院生です。
私は今年から、「みどりの日記」と題するエッセイ風の日記をホームページに連載することにいたしました。お読みいただければうれしいです。ご意見があればぜひお寄せください。
私は、人の幸せとは何なのかを最近よく考え、悩んでいます。人によって違うことはわかります。でも何が幸せかをはっきりと語ることのできる人はどれほどいるのでしょうか。 まず私個人のお話をしましょう。私個人の幸せとは何でしょうか。おいしいものを作って食べること、それは刹那的な意味で幸せです。また友達と音楽を楽しむことも、幸せであり、欠かすことのできないものです。それでも趣味の料理や音楽などを楽しむことは、一種の気晴らしに過ぎないと思うのです。私は大学院に在籍しており、私の本業は研究です。刺激的な研究をして、多くの人々に論文を読んでもらうこと、それが私の課せられた任務だと思います。私しかできない研究をして、世に問い、一人でもいいから私の研究に刺激を受ける人が現れたら、と思います。それが私の幸せです。ある意味で、啓蒙活動と言えるでしょう。
世の中には、幸せな家族像あるいは幸せな女性像(あるいは男性像)といったものがいつの時代にもあります。それは地域の共同体によって独自に作られるものもあれば、マスメディアが発達した近代には国家単位で普及されるものもありました。例えば、子産みの話をしましょう。第二次世界大戦中は、「産めよ殖やせよ」という国家の方針のもと、多くの女性がたくさんの子どもを産みました。それが女性の勤めであり、女性の幸せだとされたのでしょう。しかしひとたび戦争が終わると、今度は家族計画運動が保健婦や場所によっては婦人会員が中心になって行われました。戦後は子どもが少ないことが幸せとなったのでしょう。保健婦たちは婦人会員に荻野式の禁欲方法を教えたり、コンドームなどの避妊具を斡旋したりしました。そして家族計画運動を受けた女性は、「子どもが少なくて豊かになった」と語るのです。ところが、昭和40年代半ばになると今度は「適正家族構成運動」が自治体を中心として行われ、3人以上子どもを産もうと呼びかけられました。3人の子どもをもつ家庭が「適正」な家族と見なされたのです。そして平成になると少子化が深刻となりました。もっとも少子化を深刻だと思うのは、国家や地方公共団体あるいは経済界の人々です。そして各自治体も多産を表彰するようになりました。マスコミも、出産を奨励するようになったと思われます。例えば安室奈美恵が妊娠した時、「少子化を救う」とか「高齢化社会を救う」、といった形で妊娠を美化するマスコミの報道が一部にあったようです。子どもを産むということは、あくまで個人的な幸せのためにあるわけで、少子化社会あるいは高齢化社会をを救うために産むのではありません。私は、物事の本質が見失われて、社会で求められているから女性たちよ子どもを産もう、と思わせるマスコミの呪力を恐れるのです。
出産の話が長くなりました。私と一緒に、ぜひみなさんも幸せについて考えてみようではありませんか。 みどりの日記(第一回)でした。


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Last modified: $Date: 2008/05/24 06:22:47 $