人生の幸せって何でしょうか? これが私の最大の研究テーマです。あなた(私)にとって大切なものとは何でしょうか?
現在私は、医療人類学のような研究をしています。先日は、縁があって、ある産婦人科病院の見学をしました。院長先生夫妻や総婦長さん方のご理解に感謝の気持ちでいっぱいです。そして、運良く、二件の分娩介助に立ち会うことができました。
どんな出産が妊産婦たちにとって幸せな出産であり、どんな産後の過ごし方が妊産婦たちにとって幸せな過ごし方なのでしょうか?私自身のお産と比較しながら、いろいろと思いをはせました。
私が出産をしたのは、ある助産婦一人が経営する助産院です。助産院には、医師は常駐していません。世間的にみれば、医師がいない所でお産をするなんて、「危険」だということになるでしょう。実は、私の実家の父親も、私が助産院で産む予定であることを知って驚きました。しかし、私は分娩中で陣痛促進剤は使用しなかったし(分娩後に胎盤を出すために子宮収縮剤を使いましたが)、分娩監視装置や点滴も装着されずに自由に動け、分娩台もなかったので、自由な格好でいきむこともできました。もちろん会陰切開もされませんでしたから、一度の裂傷(かすり傷)で済みました。助産婦と夫と私の三人だけで子どもを産みました。150センチの身長の私が、3.557グラムの男児を産んだのですから、なかなか出ずに大変な思いをしました。「病院だったら、吸引か鉗子をかけましたよ」と産後に助産婦さんが言っておりました。そんなことをされずに無事に子どもが生まれてよかった。だって、吸引されたら、子どもの頭に圧力がかかって心配だし、私の方も産道も切れるおそれが強いですもの。
(ちなみに、私が出産したようなタイプの助産院は、どちらかというと最近開業した若い助産婦たちが経営する助産院のようです。戦前あるいは戦後まもなく開業された助産婦さんたちは、どちらかというと、自由体位のお産は受け入れておらず、仰臥位(仰向け)での分娩介助を行っているようです。)
私は、「安全」のために分娩介助において行われるであろう医療行為が許せませんでした。だって、出産って病気じゃありませんもの。昔は、誰も立ち会わないで一人でお産をしたり、夫婦だけでお産をしてきた人達が大勢いるわけです。「取り上げ婆さん」が活躍した地域・時代もありますが、「取り上げ婆さん」は免許があるわけではありません。その後、明治になってから、免許を持つ「産婆」が誕生しました。俗に言う「西洋産婆」の登場により、「産婆」が分娩介助を行うようになりました。しかし彼女たちは医師ではありません。もちろん、「産婆」も西洋医学に基づいた分娩介助を行いますから、仰臥位(仰向け)でお産をするように指導しましたし、時には、陣痛促進剤を使用する場合もあったようです。しかし、法律的には「産婆」の医療行為は禁止されていましたので、過剰な医療行為は抑制されていたと考えられます。
医師が出産に登場するのは、つい最近のことです。とくに病院出産が流行するようになった戦後、1950年代頃からです。特に1960年代〜1970年代頃は、高度経済成長の波を受けて、出産も医療化が進みました。分娩台上での固定された仰向けの格好でのお産が強制され、剃毛や会陰切開がルーチン化され、腕には血管確保のための点滴がつけられました。そして、陣痛促進剤による計画出産も増え、分娩は平日昼間に調整されるようになりました。そして、1970年代後半には、分娩監視装置、超音波診断装置が実用化されていき、妊婦は、立ち会う家族や友人もいない分娩室で、器械や医薬品に囲まれて分娩するようになりました。病院で立ち会い出産が流行し出したのは、ラマーズ法がはやりだした1980年代頃からです。それに、新生児室も流行し、産後のお母さんと赤ちゃんは離ればなれになりました。病院の中で母子同室が少しずつ増えてきたのは、ごく最近のようです。今でも、大病院では、母子別室の場合があるようです。
私が先日見学した産婦人科病院は、過剰な医療行為に対して批判的な院長のもとで、可能な限り「自然」な分娩を目指していました。最近は、病院も変わってきたのですね。浣腸や剃毛、会陰切開はルーチンでは行わなかったですし、「立ち会い出産」は奨励されていました。分娩台の背もたれも角度が変わるようになっており、半坐位でお産が行われていました。但し、足台があったのが気になりました。足のふくらはぎを乗せる台がついていて、足の裏が宙に浮くような感じになるからです。院長や助産婦の話では、妊婦が希望すれば、横向きでもお産ができるそうです。
しかし、病院には限界があります。血管確保のための点滴はつけていましたし、分娩監視装置も装着していました。こうなると、分娩中に自由に動くことは難しいですね。それから、分娩台にのらなくてはならないことです。自由体位でのお産は事実上困難です。私は個人的には、足が地面についた形の方が、息みやすいと思います。例えば、和式のトイレのようなポーズです。やっぱり足は下におろしていた方がいいですよね。排便する時と同じです。足が上に向いていたら排便は難しいと思います。また、分娩日や時間帯によって、担当する助産婦や医師が変わってしまいます。あの助産婦に取り上げてもらいたい、という約束はできないのが現状です。
でも、産後すぐ赤ちゃんに授乳させたり、赤ちゃんと添い寝させたり、母乳哺育に力を入れていました。母子同室なので、産んだ直後からお母さんと赤ちゃんは一緒です。頻回授乳ができるので、母乳哺育率はとても高いといいます。つまり、母乳哺育に関しては、完全母子同室の病院を選べば、病院も助産院も同じような入院生活が可能なようです。
妊産婦にとって幸せなお産とは何かでしょうか。「安全」と「安心」を得るために、ある程度の医療行為や決まり(分娩台使用など)を受け入れて病院でお産をするか方がよいと思うのでしょうか。
病院が妊産婦や赤ちゃんにとって「安全」なのかどうかは、判断が難しいです。妊婦健診がきちんとできていれば、分娩における危険度が前もって予測できるので、分娩中に母子の状態が急変することは殆どないようですし、分娩介助する助産婦に力量があれば、難なく分娩介助ができる場合も少なくありません。そうした場合には、点滴や分娩監視装置は不必要ですし、分娩台も必要がありません。かえって自由体位で出産した方が、分娩台上でのお産よりも安産の場合もあります。
最近は、病院でも助産院と変わらないような分娩介助を試みている病院も出てきています。血管確保の点滴もせず、分娩監視装置も装着せず、自由体位でのお産を認めるという病院です。このことは、妊婦健診をきちんとしていれば、こうした医療行為は不必要である、ということを物語っているのではないでしょうか。