今、各地の議会で「男女共同参画社会基本法」が揺り戻しの危機にあるそうです。この基本法は、男女が性別にとらわれることなく、能力と個性を発揮できる社会の実現を目指すものです。ところが各地の議会では、「男らしさ女らしさ」や「専業主婦」の尊重を条例に盛り込むべきだ、という保守化の動きが見られます。保守化の発言の根拠となっているのは、男女共同社会担当相の福田官房長官が2002年11月の参院内閣委員会で答弁した発言です。福田官房長官は、「男らしさ女らしさは、性別がある限りある」と発言し、地方議会ではこれが「『らしさ』を否定するな」という主張の根拠として引用されています。
法律に「男らしさ女らしさ」や「専業主婦」の尊重を盛り込むとは、どうなっているのでしょうか?『らしさ』という呪縛のために、能力や個性を発揮できない人たちを守ることこそが、「男女共同参画社会基本法」の大切な理念だったからです。
千葉県議会の自民党県議団の代表の谷田川元議員は、県議会本会議で「男女の性差は脳からきている。脳が違うのだから、その構造に応じて教育した方が、能力を発揮できることもある」と発言したそうです。いったい、男女の脳はどのように違うのでしょうか?「男らしさや女らしさ」は、脳の性差に従って作られていると、谷田川議員は本気で信じているのでしょうか?自民党案は、「男らしさ女らしさを一方的に否定することなく」という文言を入れ、「男女が性別にかかわりなく個性や能力を発揮できるように」という県案の規定から「性別にかかわりなく」を削除するものだそうです。つまり、「男らしさ女らしさ」は、千葉県議会の自民党議員たちにとってとても大切なものなのでしょう。性別により発揮できる個性や能力は違う、と自民党議員たちは本気で考えているのです。
山口県宇部市で成立した条例には、「専業主婦を否定することなく、現実に家庭を支えている主婦を…支援するよう配慮に努める」という文言が入っているという。「(専業)主婦を支援する」ことを法律に盛り込むということは、こういうことです。つまり、議員たちの本音は、「女性よ家庭へ帰れ」なのです。議員たちが求めているのは、「男は仕事、女は家庭」、という性別役割分業なのです。
また、子どもを産むという女性の役割が重視されようとしています。例えば、東京都小金井市では、性および子を産み育てることについて「自らの意思で決定することができるよう性教育の充実その他の必要な措置を講じる」という条例案の規定に対して、「中絶容認につながる」とか、「産む、産まないは女性の意思で決められるように読める」などの反対意見が出たということです。性教育を充実させることが、どうして中絶容認につながるのでしょうか?性知識を持てば、中絶は減るはずだと私は思います。それにしても、「少子化」が問題とされると、中絶数を減らして子どもの数を増やそうとする動きが出るようですね。でも、実際に中絶数が多いのは30代〜40代の既婚女性です。もしも中絶数を減らしたいと真剣に考えるならば、この世代の夫婦やカップル(特に男性)にも性教育をすべきだと私は思います。意思に反して妊娠しないためにも、性教育の充実は大切だと思います。また、産む産まないを出産当事者となる「女性」が決めること、つまり「女性の自己決定権」は認められてよい、と私は考えています。私は、女性が意思に反して妊娠した場合であっても(少子化対策のために?)中絶せずに産むべきだという主張はいかがなものかと思います。議員たちは(少子化対策のために?)女性の「産む役割」を強化させたいのでしょうか?
議員たちは、実に保守的な性別役割分業観を持っているんですね−。おそらく、議員自身は家庭責任を妻(専業主婦)に任せてきたのでしょう。そして、自分たちの生き方が否定されてはたまらないと考えたのかもしれません。しかし、専業主婦が大衆化したのは、高度経済成長期1950−1970年代で、まだたかだか50年の歴史しかありません。専業主婦は日本の「伝統」とは言えません。
「男女共同参画社会基本法」の理念の実現は難しいですね−。まずは、議員たちの性別役割分業観を改めさせるか、議員を世代交代させるなどの荒治療が必要だと思いました。
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