ちいさかった頃は毎日のように食べていたけれど、今では全然食べなくなった。そんな食べ物、あなたにはないでしょうか。僕にはたくさんあります。例えば、たまごかけごはんや、丸味屋のすきやきふりかけ。幼稚園の頃は、毎日、朝はたまごかけごはんで、お弁当にはいつもふりかけがかけられていたように覚えています。ですが、20年たった今ではちっとも食べる機会がありません。これはなぜでしょうか。ユダヤの陰謀でしょうか。いえいえ、もちろんそんなわけはありません。それは運命だからです。

人がその一生の中で、食べれるものは、運命として決められているからです。

僕は納豆を食べません。なぜなら、そういう星の下に生まれたから。僕は納豆を背負ってはいないから。たまごかけごはんはもう、食べません。僕は背負っていたたまごかけごはんを、もう食べ尽くしてしまったから。誰にだってあるでしょう、そういうの。

僕はタブクリアを飲むことはもうありません。背負っていたタブクリアは、もう全て飲み尽くしてしまったから。僕がそうであったように、タブクリアは多くの人が、少ししか背負っていなかったのです。背負われている量が少ないから、結果として売れなかった。営業不振の原因は、決して味なんかではありまりません。運命に愛されていなかったからです。悲しいですね。(もちろん、たくさんのタブクリアを背負っている人だっています。敢えて名前は伏せますが、地下室に何万ものタブクリアを保管している人だっているのです。彼はよほどタブクリアが好きなのでしょう。その話をするときの、彼のうれしそうな顔といったら!)

逆に、多くの人が背負っているはずなのに、日の目を見ずに機会損失されている食べ物も、たくさんあります。そういうものを探し当てる嗅覚。それがこの業界に生きる人にとって、何よりも大切なものだと思います。

-- これは某食品メーカーの就職試験の作文で書いたのを一部手直ししたものです。

 

(1997年9月)

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