>works - performances<






--- "盲人書簡"

同名寺山修司の作品より影響を受けて。完全暗転の暗闇の中で展開される。寺山の戯曲を中心として、様々な文章の引用を断片的に訳者が喋りながら客席を動きまわる。客席にはいくつかの小さなスピーカーが配置され、あらかじめ録音された様々な台詞がアドリブで再生され、客は周囲の役者を見失い、恐怖に陥る。
 

--- "棺桶風呂"

寺山修司、「邪宗門」の一遍よりタイトルを引用して。断片的な台詞の連続する詩的な前半部と、役者が客をあじりながら客席を走り回る後半部に分かれる。
前半部が暗転によって終了直後、役者が劇の進行に反抗する形で後半部がスタート。「劇の虚構性」或いは「社会に対する劇の無力さ」を絶叫する。
 

--- "漣 -序-"

ベトナム戦争をモチーフとし、"棺桶風呂"と同様「劇の虚構性」或いは「社会に対する劇の無力さ」を客に激しく訴えかける。客席と舞台を役者が縦横無尽にかけまわる複雑な構成をもつ作品。
舞台では主にソロの動きが中心として展開され、客席では群による動きが展開。特に郡部では客席を戦場と見立ててアメリカ兵とベトコンが激しく争い合う。完全暗転とまではいかないまでも暗い空間の中で客は恐怖におののく。
高校卒業課題の一環として製作/上演。
 

--- ""

家出をモチーフとした無声劇。の、はずであったが、製作が進行するにつれて、コンテンポラリーダンスを中心としたpoeticなperformanceとなる。ウィリアム・フォーサイスのSOLOの映像を断続的に挿入し、スクリーンとのコラボレーションを錯覚させた。
高校卒業課題の一環として製作/上演。
 

--- "la"

side-A/side-Bの二部構成による作品。
side-Aは断続的に演劇的な台詞とコンテンポラリーダンスが編まれたpoeticな作品。
side-Bは、ホリゾント幕を激しく明滅させたるなど、art performance的な作品。
 

--- "initial"

大学入学試験のために製作/実演。大学から課されたモチーフ「雨」を「空から落ちてくる」という情景から「始まりと終わり」と読み替え、「絵を描いてやぶる」というごく簡単な行為を発展させて製作していった。
ダンスよりも、情動的な動きを中心とした、演劇的な作品。ただし、台詞はなく、無声劇のスタイルをとっている。
実際にイーゼルに障子紙をはったフレームを置き、絵の具でカギ十字を描きやぶいていった。
 

--- "LABO"

前半後半の二部構成による作品。前半は"initial"を上演し、後半はJazz Pianoとの即興ダンスセッション。
劇場ではない屋内スペースにおいて、自然光とマメ電球による採光のみで上演。また、演技スペースのまわり360°に客席を配置し、より客を能動的に瞬間の共有に関わらせることから「liveという場における偶然性」を強く意識した。
 

---"あるいは×××を愛撫して ( fragments #1 )"

"fragments"は「構成」によるものではなく、ひとつのアイディアを出来るだけ原型のまま、シンプルな状態で上演することを目指したシリーズ作品。
一作目は「少女」をモチーフとし、演劇的な動きを展開する少女と、幻影として踊る男の姿を見せた。少女を示す一つのアイコンとしてピアノを用いた映像を断続的に挿入した。
 

---- "f / f ( fragments #2 )"

fragments二作目は土方巽の「身体の心」をテーマとし、完全即興によるダンスに挑戦した。単振音がかなりの音量で流れる中、巨大な黒布を小道具として、自由に動き続けた。
上演時のテンションによって大きく作品の形が変化してしまうこと、練習の繰り返しによってアクションのパターン化がどうしても出てきてしまうなど課題はまだ多く、現在進行形の作品である。
 

--- "risks"

"負荷"をモチーフとした、Solo Dance作品。DanceによるSoloは今回が初めて。約30分間、踊り続けた。かなりアップテンポな曲から、静かなピアノの調べ、果ては60'sフォークまでとバラエティーにとんだ選曲で、動きもそれに同様であった。解放された身体...それに相反する演劇的な動きもおりまぜ、biograph的であった。
美術は、巨大な4本の柱、12本の白い布が頭上を交差するという圧倒的な存在感をもたせた。
 
 


back