1590年.当時の城主北条氏照は,小田原城にいた.たった一日での落城であったが,それは凄まじい闘いであったと言われる.女子供まで駆り出されての玉砕だった.
御主殿の手前の曳橋.当時のものではなく,復元したものである.敵方が攻め込んできた際には,破壊し渡って来られないようにした.橋の下には小さな川が流れているが,当時はもっと水量が多かったかもしれない.
"虎口" と言われる石段.通路がコの字型になっていることを特徴とする.戦略的意味合いが強いようだ.
左が供養塔.このあたりは,幽霊が出ると言われている.三度ほど訪れたが,毎度新しいお供え物を見ることができた.
"御主殿の滝" すぐ脇に供養塔が立ち,御主殿のすぐ近くであることから,右がそれと思われる.落城の際,立て篭もっていた者達はこの滝に身を投げたというが,そのわりには貧弱な水量であるし,落差であった.やはり,当時はもっと水量が多かったのではないのかと推測できる.
なお,落城より七日七晩の間,使者たちの 血 で川の水は赤く染まったという.そのためか,落城前には見られなかった 蛭 (ヒル) が落城後には多く見られるようになったという.地元衆には害をなさないが,攻め手の地方出身者が川の水を飲もうとすると,無数の蛭が襲ってくるという話がある.
拙者は,何かの縁かやはり北条氏縁の長久保城址に住んでいたせいか,いつも温かい雰囲気を感じる.しかし夜は,かなり怖い.八王子城址であることを伝える碑から,先に入ることができない.まるで "見ないで欲しい" という警告を感じる.