運三技七.麻雀の世界では,そう言われている.技が 70 %.残りの 30 % は運.余談だが,トルシエもサッカーの勝敗の行方の中で占める割合として,"組織力","個人の能力",そして "運" をあげている.
ほとんど全てのギャンブルの発祥は,占いだと言われている.勝負の行方は何か訳がわからないもの,それが介在している.ギャンブルは,それこそも我が味方につけようとする人間の傲慢さが長じたものといえよう.
古来より,"徳" という言葉がある.中国でも使われる概念だ.徳のある君主が君臨すれば,平穏であり,徳がない者が君臨すれば,世が乱れる.
もちろん,治世をするに当たり,私利私欲を忘れ,農業政策や人事制度などの施政が的確かどうかももちろんだが,天変地異が起こっても君主の "徳" のせいにされた.かつて,村山総理が在任の頃,淡路大震災,そして地下鉄サリン事件が続けざまに起きた.現代であれば,その対処に対する不手際があれば批判されるが,そのような災害が起こったこと自体は首相の責任とはならない.
しかし,何か人智を越えた何者かの介在を感じることがある.まるで少年の頃,親や教師には言ってはいない,あるいは知り得ずるはずもない悪戯などが,もしかしたら本当はばれているんじゃないかと,ビクビクした感覚に似ているのではないだろうか.
パチンコをやっていて,勝っても負けても,何処かに,パチンコ屋の意図を感じてしまったことはないだろうか ?
近頃,暇つぶしにポーカーゲームで遊ぶことが多い.これを遊んでいると,やはり何となく,純粋な運だけでないものを感じた.勝つときは簡単に勝つが,勝てなくなると徹底的に勝てない.何となく,ゲームに意図があり,それを読めないとだめじゃないのかと.
そこで,自分でポーカーゲームを作ってみた.乱数部分も自分で作った.つまり,乱数の精度の善し悪しは別として,まったく作為なし,純粋な乱数によるものだけだ.
自分でプレーしてみた.するとどうだろう ? やっぱり勝てるときは何の苦労もなく勝てるし,負けるときはどんなに苦労しても負けるものだ.中身は自分が知っているからいいが,そうでなければ,やはりゲーム側が何か加減しているのでは感じられるのだ.
つまりは,物事が何か起きるとき,そこに何か意味があるのではないかと,少なくともわたしは感じてしまうことがわかった.わたしだけがそういう傾向を示し,他の人は異なるかもしれない可能性は否定しないが,そうではないと思う.
わたし自身,ギャンブル自体をけなすものではない.人間の傲慢さをけなすものでもない.人間の思い込み.だが,ついつい何かしら訳分からぬ者の介入を意識してしまう人間の心理を体感して,面白かった.