戦火が激しくなると,学生たちは戦場へ兵隊として向かうか,疎開していった.そしてここは,旧日本軍連合艦隊司令部の地下基地があった場所だという.そのため,他の地域に比べても,空襲が激しかった場所とも言われている.
その基地は,現在の慶応大学横浜キャンパス内にあり,今でもその地下壕は残っているらしく,年に一度程度,学内において地下壕探検ツアーも企画されているらしい.
また,その当時,ここ日吉の地下壕だけではないが,大規模な施設の建設には在日朝鮮人がかり出され,過酷な労働を課せられたとも聞く.
まだ夜七時程度であったが,交通量も少なく,日吉大学の周りは緑に囲まれ,ひっそりとしていた.不気味というより,静寂な感じがした.
歴史上の事実にも関わらず,霊がもしいるとしても,それほど怨念に凝り固まった者がいるように思えなかった.キャンパスから深い緑に囲まれた夜は暗い坂を下る.そこには,何かもっと古くからあるような,厳かな雰囲気を感じた.