九月と称し,平安時代の清少納言は蜘蛛の巣を次のように描いている.
透垣の羅紋、軒の上などは、かいたる蜘蛛の巣のこぼれ残りたるに、雨のかかりたるが、白き玉を貫きたるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。
稲を荒らす虫を食らう.人間の食物を食らうゴキブリを食らう蜘蛛.小型の蜘蛛は,強風の時にその糸を垂らし,風に乗って移動するという
蜘蛛ほど,人類に貢献している種族はないのではいか ?
様々な文明において,シャーマン的な役割を負う人々が蜘蛛を飼うことは少なくなかった.古来では,天変地異とともに,日々の天候も大きな問題であった.シャーマン達は蜘蛛を飼い,その巣を観察する.蜘蛛たちの営む巣は,湿度によりその巣の造りを変える.そのパターンを観察することにより,天候を占うことができたのである.
日本では,"土蜘蛛" が古来からのこの国の支配主のように扱われる.歌舞伎などにしばしば登場する.
最新の技術により,日本の歴史が変わってきた.小生が幼少の頃は,まず,縄文時代があり,その後に弥生時代となる と教わった.その時代に明らかなる境界線がある.その歴史感が変わりつつある.
確かに,縄文人と弥生人とは当初は明らかに異なる特徴を持っていた.さらに両者の間に争いもあった.しかし,時代が進むと両者の特徴を併せ持った人骨も発見され,関東平野では,縄文人と弥生人とが共同で開発した形跡があるという.
かつて柳田国男は次のような疑問を持った "どうして,平野部にすむ人たちが,自分たちよりも文明度の低い山の人たちを恐れ,なおかつ尊敬していたのか ?"
当初は,平野部の人間が弥生人で,山間部の人間が縄文人だったらどうだろう ? オオカミ,そして "蜘蛛" などに代表される山の中の世界.それは,古来からの人種が支配する世界.この古来からの人種と争うよりも,森の中の豊富な知識,経験を持つ彼らを敬うことの方が,結局は利益をもたらすという,経験則を,後発のより文明の進んだ人種が学んだとすればどうだろう ?
文明開化の明治時代.その直前まで,恐れ,敬られた.その感覚が失われていく.柳田国男はそれを憂いたのだろう.それを忘れされられることを恐れたのだろう.