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夢空間への招待状

何を、どう表現するか
− Designer −

結城 浩


先日、デザイナーといっしょに仕事をする機会があった。 X-Windowの上で動作するコンピュータグラフィックスを使ったデモプログラムの作成である。 都合により内容を詳しく紹介することはできないが、 要は大画面の上できれいな色や形を動かすプログラムだと思っていただければよい。 コンピュータの動作の仕組みを素人に解説するためのプログラムである。 期間は三カ月ほどしかなく、けっこう忙しかった。

デモの数日前にプログラムの最終調整を行なった。 私と、デザイナーとで画面の色と位置の調整を行なうのだ。デザイナーは言う。

「このウィンドウはもう2ドット上に移動させたい」

「この線はあと1ドット太くして、もう少し赤みがかった色にしたい」

「その数値を表示すると画面が煩雑になるのでやめよう」

などなど、指示の細かいこと細かいこと。 正直言ってプログラムを作る側が辟易するほど細かな修正の指示が飛ぶ。 また、せっかく苦労して作った数値を表示しないようにしたりする。 おいおいちょっと待ってくれ。 その数値を得るためのプログラム書きに二週間使ったんだぜ。 その表示をやめるのかい? そこで議論がひとくさり。

私が表現したい内容をデザイナーに説明し、 彼はそれを表現するためにはどういう手段を用いたらいいか検討する。 確かに彼はプロだけあって、視覚的な情報がそれを見る人に与える効果をよく知っている。 必要なものを無駄なく見せる技術を心得ている。 そしてそれを私がプログラム上で現実に動作するものにするのである。 二人の連携プレーが重要なのだ。


デザイナーにとっては美しさこそが本質である。 その表現方法がプログラムとして楽に実現できるかどうか、 あるいは理論的に正確な表現かどうかは二義的な問題だ。 画面に表示されるものはすべてバランスがとれていて、美しくなくてはならないのだ。 美こそが本質なのだ。

それに対して私 − プログラマ − は少し違う。 確かに美しいに越したことはないが、それよりも正確さのほうを重視する。 理屈が通っているか、技術的に意味のあるものであるかどうか、そちらに重点がある。 真理が本質なのだ。

デザイナーとプログラマのこの二つの立場は、意外に多くの場面に登場する。 表現手段の洗練と表現内容の充実のどちらを重視するかという問題である。 どちらが欠けてもよろしくない。

例えば企画書を作成することを考えてみよう。 DTPソフトを駆使して、いくら美しい企画書を作ったとしても、 かんじんの企画が貧弱なものだったら何にもなるまい。 また逆に、いくらすばらしい企画を立案しても、 そのすばらしさを人に伝えることができなかったらきっとその企画が日の目を見ることはないだろう。

古き良き酒には古き良き革袋が必要である。 そして、良き革袋に入れるに足る良き酒を醸し出す努力も怠れない。 いくら良い革袋でも、中の酒が不味かったら誰も飲まないし、 いくら良い酒でも革袋が張り裂けてしまっては人の口に入らない。 良いアイデアと効果的なプレゼンテーションの二つがそろってこそ、すばらしい表現が可能になるのである。


今回作成したデモプログラムは私とデザイナー、どちらが欠けても完成させることはできなかった。 表現する内容を作る私と、表現する手段を作るデザイナーがいて初めて完成したのである。 これはとてもよい経験だった。 二つの立場、二つの視点がうまく融合して一つのプログラムとなったのである。

デモプログラムが完成し、最終動作確認を終えた後、私とデザイナーは思わず声を合わせてこう言った。

「本当に良いものができましたね」

そして私たちは同時にうなづいた。

(Oh!PC、1990年11月15日)


[結城浩]

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