失せていく仕事の喜び

 3年前、今の会社に入社した段階では、まだはっきりとした夢を持っていた。 「人に喜んでもらえるようなモノを作ること」そして、その結果「自分が作った(関わった)製品を使って喜んでもらえること」「店頭に並んだり、使ってもらったりしているのを見ること」。 もちろん、思う通りの物作りなんてそうそう出来ない、そのことは理解しているつもりだった。それでも、実際に技術的な仕事で物作りができて、それを世に出すことを楽しみにしていた。

 また、入社研修の際にまた一つの楽しみが増えた。それぞれに意気込み溢れる色んな同期社員に出会い、友達になり、お互いが目指すものを話し合ったりもした。また、新入社員研修をとりまとめてくれた、とても人の良い、自分の目標にしたいと思うようなリーダーさんにも出会えた。(むろんはずれもあるが、)良い方向での人との出会いもある、そして、そういった人たちと一緒に仕事が出来るかもしれない。そう思うとそのことが楽しみになった。

 研修も終え最初の1年目、挨拶も元気に、気合いを入れてスタート。1年目から大概な残業の状況に大分疲れながら、ただ仕事に振り回されるまま過ごす。色々あったが、曲がりなりにも製品が1個できあがり世の中に出て行った。正直不安な気持ちも残っていたが、それでもやはり自分が作った(関わった)モノができあがって世に出るというのは嬉しいもので、割と素直に喜んでいた。

 2年目〜3年目、部署で扱う製品の増加、発売ペースの加速に伴い、一人の人間が、一つの製品を最後まで見守って作り上げるのではなく、担当パートを分割するようになり、段々一つのモノを完成させた! という感覚が薄れてきた。

 それよりも、問題だったのが取り扱いの製品の増加に伴って仕事量が増え、ただ目先の問題をこなすだけの状況になってきたこと。そして価格競争その他の都合で色んなところ(部品とか)がケチられ簡略化され、作っていて「なんでこんな大事なところをケチる…?」「こんな構成で商品として仕上げていいの?」と思わざるをえない、自分ならこんな信頼出来ないもの買わない! というものが増えてきて、「人に喜んでもらえる物作り」ではなく「人に勧めたくない物作り」になってきて、だんだん夢を見失ってきた。

 3年目後半頃からさらに扱う製品数が増え、自分自身で直接物作りをするより、派遣社員の人達に指示、依頼しながら仕事を進めるように、物作りの実務担当から質問の受け答えや取り次ぎ等の仕事の窓口役に内容が変わってきた。自分で直接物作りに関わる機会が減り、夢だけでなく物作りが出来る喜び自体も減ってきた。

 でも、その一方でささやかだけれど楽しみも見つけた。人に説明したり、技術的な相談を受けながら一緒にああだこうだと考えて検討したり、そういう楽しみ。元々、人に教えたり説明したり、一緒に技術的なことをああだこうだと話したり検討するのは好きなので(難しすぎるとついて行けないけれど…)、残業だらけで、多すぎる製品の設計や不具合対応の催促や問い合わせだらけの日々の中で、こういった時間が仕事の中のささやかな楽しみになりました。

 そして今、4年目に入ったところですが、製品の設計期間の短縮のあおりを受け、僕では予定が全然回らなくなってきた。予定が破綻したまま、催促と状況の問い合わせだらけの日々。仕事の依頼をするにも、そのことでちゃんと説明をする余裕がなくなり、仕事の質問や相談をもちかけられても待たせっぱなしになったり、対応できなかったり…。へこむ事ばかり増え、仕事の中のささやかな楽しみすら徐々に失われてきている。正直大分投げやりな気持ちが強くなってきた…。残業だらけな上(休日は休んでいるが)、精神的にややへばってきたせいか、身体も今いちで風邪をひいたらなかなか治らない。ちょっとだけガタが来始めたのかも。

 正直なところ、去年頃から始めたきままな旅行と、新しい趣味で気晴らししつつ、支えてくれている大事な友人、色々気遣ってくれて頑張ってくれている職場の方々(普段、迷惑かけて…とか気にしてるみたいですが、結構助けられてるんですよ)を頼りになんとかやっている状態です。

 最後に二言ほど。
「営利組織ですから利益優先はごもっともですが、組織においてもっとも大事な人材を粗末に扱い、無茶な計画、命令で人を壊すような組織は最低です。そんなことを恒常的に続けていれば、人心を失って、人材が離れて崩れていきます。」
「職場同僚の方々へ、くれぐれも無理しすぎて壊れないようにしましょう。身近に仕事に振り回され続け、身体を壊してしまった人がいます。そんな犠牲者を身近に増やしたくありません。心も身体も、壊れてからでは遅すぎます。どうか心身共にご健康で。」

メニューに戻る