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1996年8月12日

走行距離 0km 計測できるだろうか

結局、「赤ぽろの集まり」が終わって家に帰り着いたのは2:00であった。わざわざみんなで Sの家まで行って送ってくるとゆー始末。
しかも金沢に帰ってきたらH、泉野出町素通りして松村まで行きやがるし、こっちはしゃっくりで一刻でも早く寝たくてしょーがなかったのに。その上H、途中で眠くなりやがってTと運転かわってやんの。もー、最後はきつかった。こんなんで本当に旅が始められるんだろうか、一抹、どころの騒ぎじゃない。思いっきり心配であった。
で、今、小浜駅。無事小浜線に乗り換え、東舞鶴まで後1時間、と言ったところ。
昔、小浜まで来たことがあるはずだ。
ほとんど記憶ないけど。今回はフェリーの関係で舞鶴まで行くことになるんだなあ。ああ、案外綾部まで近いやんけ、一回見てみたいなあ。
(中略)
それにしてもいつも旅の始まりはバタバタ。
靴だって出発の寸前に買ったし。
今日の2:00まではまともに準備して旅行する自信は結構あったんだけど、準備に案外時間がかかることが判明。14:00の時点ではムチャクチャにあせっとった。自転車20分でたためなかったら本当に終わってた。
金沢駅で敦賀行き15:30のに本当にぎりぎりすべりこんだ。やっぱし自転車かつぐ列車旅はつらいや。去年はよくこんなもん持って旅してたもんだ。
今年はフェリーゆえ、少しは楽なはず、だといいけど。
食べ物も少し持ったし、ラーメンも持ったし。
これで去年のように金もないし、食いもんもない、という餓死的危機を乗り越えられる、ってもんだ。
で、東舞鶴の駅からタクシー走らせてフェリーターミナルへ。
タクシーのおじさんに聞いたところでは舞鶴、人口9万、でも町の発展の仕方が金沢と違うので田舎かそーでないかよーわからん。ちなみに綾部3万。舞鶴は明治の御代、海軍の拠点で通りに戦艦の名前がついてるんだと、「三笠」とか。
今も海上自衛隊があるらしい、昔と一緒。天然の港だもんね。
今日のフェリー、中学の修学旅行とかと一緒みたい。ガキがうるさいなあ。
で、フェリー乗り込みました。寝ました。
この日はおしまい。


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解説


計測できるだろうか
このことについてはおいおい日記で触れているが、去年走行距離を測るのに使用したサイクルコンピューターが使えなくなってしまっていた(その後の扱いが悪くて接触不良になってた)のでとりあえず配線は自転車にくっつけたまま見切り発車で旅を始めたのだった。そんなことくらい事前に確認しろよな。
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「赤ぽろの集まり」
筆者の高校の時の同窓会の名称、なぜ赤ぽろなのか、まあこの日記の趣旨とは違うので省略、とりあえずのみまくってひどかったことしか覚えていない。
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Sの家
人名は、許可をもらわない限りイニシャルで書くことにしておきます。
それはともかく、こいつの家は金沢より遠く離れた吉野谷という山の中にあります(車で40分くらいでしょうか)。そこにわざわざ行って来るんだからどいうあほなことやってたんだか。
しかし、あんなところから毎日高校に通っていたと言うことは称賛に値しますが。
私たちは高校の時、午後7時位になるとは「帰りのバスあるの?」とか言って遊んだもんです。
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小浜線
金沢から北陸本線を敦賀(琵琶湖の少し北)まで行くとそこで分かれ道となる。一つはそのまま北陸本線を通って関西への道、もう一つはそのまま若狭湾を海岸線沿いに通って舞鶴まで行く道である。ここのことを小浜線という。 ちなみに読み方は「おばま」である。なんかやまんばの出てきそうな地名である。
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(中略)
ここに何が書いて会ったかと言えば友達の彼女の話とか自分の感傷とか、まあこんなもん公開する必要はないだろう、と略することにした。
あくまでも自転車旅行記だし。
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金沢駅
これは間違いで、本当は西金沢駅より乗っている。
金沢駅より自分のうちに近く、しかも列車が来るのが5分ほど遅い。
律儀に金沢駅から乗ろうとしていたらまあ完全に乗り遅れていたところだった。
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