これからの時代は、コンポーネントウエアの時代だという。
パーツのブラックボックス化、それらの組み合わせによる目的の実現。
誰にでも、ある程度のものが作れるようになるから、効率がいい。

 しかし、コンポーネントを作る人、使う人双方にとって、
全体を見れない把握できにくい構造となっていく訳だ。
コンピュータは道具で、使うもの。理解は後回しだ。ということか。

 まったく逆の発想が、オープンソースとなるかと思う。
これは、ソフトウエア技術の公開であり、同時に共有である。
再利用の方法も、使う側に大きく任され、責任も使う側に任される。
技術を求めるものにとっては、この上ない環境であると、思われるが、
その恩恵に、あずかるには、それなりの理解力を求められる。

 簡単に使えるものは、それゆえに、使い方を制限している面がある。
簡単、便利、楽、早い、安い。それは、いいことなのかも知れないが、
自由度、的確さ、オリジナリティーなどは、確実に低くなっていく。

 これは、ソフトウエアに限ったことで無いのかもしれない。
時代の流れ的には、ブラックボックス化、大量生産化に進んでいる様だ。
でも逆に、極めて個人的なセンスや技術に対する憧れも、でてきている。
「カリスマ〜」というのを聞いて、そう思った。

 でも、自分のセンスと技術を磨くことも忘れずにいたい、と願う。
自分のできない事を、自分の頭で考えることは、難しいと思うので。
肝心な部分は、必ず自分で処理できるようにしておきたいものだ。


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