場所と記憶。残るのは、思い出。

◇◆◇◆◇◆

一回見ると、飽きてしまうような公園があったとする。
再び見に行っても、何にも面白くないだろう。
確かにそうだろう。

しかし、半年とか1年とか、あるいはもっと長い期間、
その公園を見ていると、別の面白さが見えてくるということもある。
樹木の成長を通して季節の移り変わりが感じられたり、
いつも散歩に来る人や、通勤で通る人が、分かるようになったり、
いつもいる猫が識別できるようになったり。

そういう長期的な物の見方、楽しみ方(味わい方?)というものが、
あってもいいんじゃないだろうか。

近所の公園には、僕が幼稚園のころよく滑っていた
キリンの滑り台が、今でもある。
そこに行くと、当時の記憶がよみがえったりする。

◇◆◇◆◇◆

ある日公園で、友達3人で遊んでいたら、
ブルドックが襲ってきたことがあった。
僕らは、キリン滑り台に逃げ込んだ。
僕ともう一人は、階段から滑り台に逃げ上ったが、
もう一人の友達は、あせって、すべる坂を駆け上った。
しかし、当時は幼稚園児。パワーがない。
滑り台も、今の3倍ぐらいの高さがあった。(相対的に)
彼は上まで登って来れず、滑り台の途中で止まってしまい、
やがて、じりじりと後ろ向きに滑り始めた。
「うわー、たすけてー。」助けを求める彼。
「がんばれ、がんばれ。」助けようがない僕ら。
「バウ、バウ!」下で待ち受けるブルドック。
ずるー、ずるるー。靴のグリップが、重力に負けていく。
タカタカカッ。走りこんでくるブル。

うわーぁぁぁぁぁぁぁ、、、、

◇◆◇◆◇◆

ああ、友を見捨てた自分を神よ許したまえ。

こうして、思い出の場所が残っていることは、いいことだ。
どこに行ったかではなく、そこで何をしたかが、
そういうエピソードが大切なのかもしれない。
それが人生を豊かにするのかも。

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