人種概念の個人的定義

Q.

「人種」について、自分の考えにもとづいて定義しなさい。

A.

 人種とは、肌や虹彩の色・髪質など肉体的、すなわち遺伝的特徴を元に人間をカテゴライズする概念である。ただしそれは、肉体的類型以上のものは意味しない。

 人間は事物の認識において、対象を分類・類型化することを不可欠としている。なぜなら認識という行為は、外界の事象を、既に個人が持つ意味構造の適当な場所へ分類し、組み込む行為そのものだからである。我々はそうした類型化により、初めて接する対象(例えば初対面の人)であっても、それに応じた何らかの態度を事前に用意でき、認識から行為、という流れの中でのコストパフォーマンスを高めている。従って、人間が出会うとき最も最初に認識される肉体的特徴からその人の類型化を行おうとする人種概念は、人間の認識行為としてごく自然に発生しうるものとおもわれる。ただし現実には、人種概念が政治的・経済的な差別・偏見につながりやすいという点で問題がある。

 現在での人間の類型化は人種という先天的要因によることが多いが、近代以前においては必ずしもそうではなかった。例えば、中世キリスト教寺院の壁画にある聖人像には、明らかに黒人と思われる聖人がいる。これは当時の類型化概念が、現在のそれとは違ったものであったことを示しているだろう。(当時は「異国人」より「異教徒」という言葉のほうが、はるかに凶々しい印象を持たれたようだ。)しかし近代に至り、類型化の基準は宗教から、先天的に変更不能な人種(あるいは民族)へと移る。理由として第一に、近代国家は経済的・軍事的な利便性から、国内の均一性を求める。その点で人種という概念は固定的で一定の広さをもった地域性を持つゆえ、国内の均一性の根拠として有用であり、国民を団結させる旗印となった。第二に、植民地政策においては、人は皆平等とする啓蒙思想と、安い労働力を求める資本主義とが拮抗してしまった。その点で人間の優劣を先天的に区別する人種概念は、両者の矛盾を巧妙に解決でき、不平等な植民地政策を永続的に正当化できる点でやはり有用だった。つまりこうしてみると、国内の同質性と、国外の異質性を強調しようとする近代的人種概念は、多分に社会的要請により形成された経緯があり、決して生物学的根拠のみによっているのではない。

 現在のミトコンドリア解析では、人種間の分化は約二十万年前に遡るとされ、これは種としてカテゴリー化するには早すぎる。この結果も、近代的人種概念が社会的所産に過ぎないことを一面で裏付けている。また人種ごとの知能テスト等でも、人種間の純粋に先天的な知能差は否定されている。知能の有意差を主張するものの殆どは、本来の環境的要因を先天的要因にはき違えているものである。


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