教育

 前近代において、労働生産の最小単位は家庭であり、教育の現場もやはり家庭であった。

 近代における市民社会の成立はこの構図を変革した。すなわち、労働の現場は工場労働などをはじめとする市民社会へと移り、家庭は外で働く男たちを再充電する下部組織となる。しかし市民社会における労働主体を再生産するためにも、工場で働く男たちや、家庭で家事をする女たちの負担にならない程度に、子どもの教育を行なわなければならない。そこで子女を日中特定の建物に収容し、画一的な集団教育を行なうという効率的なシステム、すなわち現在でいうところの「学校」が確立されていった。
 これは市民社会側の経済的な要請であったと共に、同質性を求める近代国民国家の要請にも合致した。すなわち、同一国家内で同一の言語・文化を用いることは、物資の流通や兵隊の訓練の効率性を高め、これは無論その国家の対内・対外的ステイタスを高めることになる。こうして義務教育制度は近代国民国家の重要な存在基盤のひとつとなった。
 ここにおける教育には、ふたつの目的がある。すなわち市民社会における生活技術、いわば純粋な How to 知識の伝達。そしてもうひとつが市民社会(あるいは国家)の官僚機構を効率的に作動させるための、規律権力化である。それは監視塔から監視されつつ、その事自体を確認できない独房の囚人の如く、外的な規律を内面的に組み入れさせる(内面化させる)ことで、権力に対し自発的に服従する人間を作りだすことである。

 日本において、戦前の教育には「お国(天皇)のため」という反論不能の大イデオロギーがあり、教育の目的もこの一点に集約されていた。しかし敗戦と共に今度は「日本のために立派な人間になろう」という人格教育におきかえられる。ただし両者を比較すれば、明らかに結節力の低下は著しく、高度成長の入口にさしかかるや偏差値教育という How to 教育へ、教育の重点は移っていく。確かにこれは日本の経済成長を支える土台にもなったが、主体性に欠け、適応能力の低下した人間を学校から送り出す結果にもなった。そして How to 教育という点だけ見れば、学校より明らかに塾の方が本人にとって効率がよい。こうして学校は、特定のイデオロギーに基づいた規律権力化という点からも、 How to 知識の伝達という点からも、その目的を喪失するに至る。
 学校は、この自らの目的の喪失を認めようとはしていない。なぜなら学校は今やそれ自身で、社会から自立した規律権力という側面を持ってしまっているからである。また、学校教育は現代社会を支える基盤としてあまりに自明視されているため、これの早急な廃止や大改革などは考え難い。

 ただ、まだ学校にもひとつ残された目的がある。それは同年代どうしの広範囲で直接的なコミュニケーション・ネットワークの提供である。近代化の過程で、野蛮・非文明的として、お祭りの類の地縁共同体的な文化は有形無形に抑圧されてきた。そして現代の都市化とあいまって、今や同年代どうしが「共同で何かをする」という機会は稀になった。しかし学校は、法の下、それを強制的に提供することができる。敗戦と経済成長が否定した国家が否定した地縁共同体への回帰。現在の学校が再び見つけるべき目的は、そこにあるのかもしれない。


課題レポート類