人間

Q.

「人間」について、1000〜1600字で書け。

A.

 1980年代後半以降、先進国の過度の工業化や途上国の森林破壊等を原因として、地球温暖化・オゾン層破壊など全地球規模の環境問題が大きくクローズアップされ、これが今後人類の存続を脅かしかねないとまで言われている。こうした事態に至った経緯を考察するに際し、単にこれを現代的な技術上・制度上の問題として短絡的に結論づける事は不充分であると思われる。なぜなら、さらにその背景には、人間が進化の過程に獲得し、かつそれに拠る事でさらに種として繁栄し得た、ある本質的側面が係わっているからである。

 人間の種としての特異性は、約400万年前、直立二足歩行を始めたことに端を発している。それは第一に、脳を後ろ足の直上に支持するという哺乳類としては例外的な身体構造を人間に与え、これにより人間の脳は新皮質を中心としてその容積を増加させ、脳機能の拡大化をもたらした。第二に、直立した上半身は、口腔・咽喉部においても解剖学的変化をもたらし、バリエーションに富む発語機能を可能にした。この拡大した脳機能と発語機能が、結果として人間の極めて発達した言語機能を生み出す要因となったと思われる。そしてその言語機能を媒介として、人間は脳機能の共有を行なう事ができるようになった。つまり、人間以前では脳内に蓄えられた脳情報は、その個体内のみしか存在され得なかったが、言語は個体の持つ脳情報を外へ発信し、他の個体がそれを利用する、ひいては一種の文化情報ともいうべき形で個体外に蓄積する事を可能にしたのである。これにより人間は環境適応能力を飛躍的に増大させ、生活範囲を拡大してきた。従って、この脳機能の共有こそが、人間を人間たらしめている本質であり、特異点であろう。

 脳機能の共有は、人間の共同体を単なる霊長類的集団から、徐々に脳化社会へと変容させた。すなわちそこでは物質的・可視的な人工空間と、概念的・不可視的な仮想空間とが構築される。人工空間においては、自然は脳による予測・統御が不可能なものとして排除され、逆に脳の設計による様々な人工物、つまり人工空間がより拡大されてゆく。これは換言すれば、脳にとってより快適な環境が実現してゆく過程でもある。しかし脳はそれ自身生きた身体、つまり自然の一部なのであり、いつかは個体とともに滅びなければならない。つまりこの死という予測・統御不能の運命において、脳は矛盾を抱えることになる。そこで脳は滅びる自分を保証するものとして、これも脳の産物たる法・文化・伝統といった滅び得ない仮想空間を作り上げた。仮想空間では、事実そのものより、たとえ張り子であろうと脳の作り上げた約束事が優先され、それが何が現実かを規定する。近世の家制度はその典型であろう。こうした共同幻想を保持する為にあるのが教育であり、脳の情報処理過程における重みづけを規定することで、脳の現実認識のあり方を共同体内で統一せしめている。いわば、人間の歴史は、脳機能の共有に基づいた脳化社会化の過程である。

 そして都市は脳化社会化をさらに促進した。例えば城壁などで人工と自然を仕切り、高い技術をもって内部における人工空間性をさらに徹底させた。また教育により維持・強化された仮想空間は、これらの自然の排除を正当化した。こうして近代的な都市は脳にとって自ら予測・統御可能な人工空間と仮想空間に埋め尽くされた、まさに理想的な環境を提供するに至った。しかし、ここでもやはり前述したものと同種の矛盾が再度持ちあがる。つまり、脳、ひいてはその宿主たる個体は、生存の為に都市外の自然、例えば食物などを欠かすことができない。脳が自ら快適さを実現するべく自然を排除して成立した都市は、逆に農産物などのさらに豊かな自然を背景としなければ成立し得ないという矛盾に直面したのである。現代における交通・通信手段の発達に伴う全世界的な都市化現象を指摘するまでもなく、この都市が不可避的に抱える矛盾の積み重ね、いわば人間の脳化社会の行き詰まりが、現在の深刻な環境問題という帰結をもたらしたといえよう。

 以上に述べたように、今我々が直面する環境問題は人間特有の脳機能の共有と、その結果としての脳化社会に深く根を下ろしている。問題解決は決して楽観的ではないと思われるが、まず第一に、外部の自然を破壊し人工空間を実現するために用いられてきた人間の技術力を、人間と自然との共存という方向へ転用させる事である。第二に、自然破壊を肯定してきたベーコン以降の仮想空間の倫理構造を転換させねばならない。つまり、人工が現実であり自然は現実でないとする従来の認識システムを変えることである。第三に、これらを実現する前提として、何よりも教育が重要な役割を果たさねばならないだろう。ともあれ、現代は人間が種として繁栄を続けるかどうかを決定づける重要な岐路にあるといえる。環境問題が将来に及ぼす長いタイムスケールを考えるならば、我々は次世代に負う責任の重さを改めて認識する必要がある。


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