休憩です。一休みしたら戻ってください。




− コム対家 家訓 −


其のゼロ 我々の試みは、何かに決着をつけるものではない。 “決着をつける前段階”の話が我々の主旨である。


其の一 我々の用いる“科学的”とは、“客観的”と解釈した方が理解し易い。


其の二 科学成果は、全人類が共有できる可能性が最も高い行動指針である“経典(言わば、宗教で言うところの)”を書き、完成に近づけるための材料である。


其の三 まず、己の限界、己の能力を知る事。 生物としての人間の限界、時間や空間の制約による絶対的知識量等は決して超えられない。 だからネットワーク(協働)が重要なのだ。


其の四 断言には要注意。 白黒が明らかな事柄は想像以上に少ない。 殆どの場合、「こう考えた方が、この程度の割合で、遥かに現実的だ。」程度が限界。


其の五 多様性を認める事。 物事はそれほど画一的ではないはず。 総体的に言い切れるのか? 各論にまで言及すべきか?


其の六 客観的根拠に乏しい主張は暴力。 論旨を理解もせずに否定するのは勿論だが、信じてしまうのもまた同様。 知識に対して誠実であるという事。


其の七 常に偏見に注意し、観察を行なう。 自らをも客観視できれば最高だが、同時に“完璧ではありえない”との自覚が大切。


其の八 懐疑的態度とは、信ずるため、確信するための手段であり、否定的態度とは異なる。


其の九 共通の目的をもって議論を展開させるのであれば、説明責任は、伝える側、伝えられる側の双方に存在するべきである。


其の十 まず相手の論旨を正確に把握する事。 人間の、“過大に、或いは、過小に聞こえてしまう傾向”を忘れずに、勝手な推測による議論展開に注意。


其の十一 当然あなたを含め、人間は完璧ではない。 疲れるし、間違える。 これらを認め合うような“全員が議長たらんとする態度”が議論を建設的に導く。


其の十二 ある事象に対し持った印象を、客観的にもより正しく高めたいのであれば、反対の印象の可能性を探る事。


其の十三 思いつきを軽々しく口にする事は混乱のもと。 科学的なフィルターを適用してから責任ある発言を心がけるべき。



其の終 以上は、全く難しい事ではない。 特別な人間のみに許された技でもない。 言うなれば、「知って、気を付けるダケ。」の話である。




 同じような事柄も多いですね...(^^ゞ 早いうちに整理しなくてはいけませんね。