プロトコール・シオンスキフ・ムドレオフ
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シオン賢哲会合の議事録、ユダヤの議定書、ユダヤプロトコールなど、様々に呼ばれています。が、原語は「プロトコール・シオンスキフ・ムドレオフ」。 “フランスで開催されたユダヤメーソンの世界支配のための秘密会議の議事録が流出したもの。”という振れ込みです。
偽書であることはほぼ間違いないにも関わらず、ユダヤ謀略説は、奇説、珍説の中でもかなり大きな勢力を持ち、政治経済に分類されているような著作にもしばしば登場しています。 (これほど真に受けているのは日本人ダケだそうですが。) 一つのカテゴリを新設して言及しておくべきでしょう。しかし、なぜか議事録の全文を掲載している著作はなかなか見つけることはできません。私も10年ほど以前に随分と困った経験があります。実際、具体的に何が書いてあるのかを、簡単に日本語で参照できる手段をお持ちの方も少ないのではないでしょうか。 また、考察テーマとしては実に興味深いものと思われますので、ここに全文を引用します。
(もし他に“日本語”の良いサイトがあるようでしたらお知らせください。コム対のホームページ上にあるのもチョット変な気もしますので...。)
以下は、「ユダヤ人世界征服陰謀の神話(ノーマン・コーン 内田樹訳)KKダイナミックセラーズ刊」の中で扱われている、
“「プロトコル-卑小なるもののうちの偉大(セルゲイ・ニルス版)」よりの抄訳部分”
なるものを引用させて頂きました。出典は、「世界転覆の大陰謀-ユダヤ議定書(久保田栄吉訳)破邪顕正社刊1938年」のようですが、良く解かりません。m(_ _)m 「ユダヤ人世界征服陰謀の神話」は、500ページにも及ぶもので、本文は勿論のこと、訳者である内田先生のコメントも明快な実に内容の濃いものです。二千円ですが是非とも揃えておきたい一冊だと思います。
勿論コム対のことですから、「検証はご自分で!」ですが、“偽書であることの根拠”に触れておく必要がありそうです。簡単には以下のようになります。勿論以下ダケではありません。念のため。 ※ 「逆に、盗作でない部分にこそ19世紀末のロシア反動派の思想を見ることができる。」との著者の指摘も興味深いところです。
1 「モンテスキューとマキャヴェリの地獄の対話(モーリス・ジョリ)」とほぼ一致した文章が「プロトコル」内に偶然以上に見い出せる。
2 プロトコルの方が後に出された文章である。
3 よって、プロトコルは前者を骨格として作成されたものと考えられる。
◆◇◆ シオン賢哲会合の議定書 ◆◇◆
第一議定書
善良な性質の人間よりは先天的不良性の人間の方が数において勝ることは、常に忘れてはならぬ事である。それゆえに学理上の議論によるよりは残忍極まる暴力を振るつて威嚇した方が遥かに政治上の好成績を上げるのである。人間は皆権力を求めんとして懸命努力する。誰でも出来得さえすれば独裁者たる事を欲する。従つて自己の利益の為に一般の幸福を犠牲にする事を敢えてしないのは極めて稀である。
人間と呼ばれる獣を抑制したものは何者ぞや。今日まで人間をこれまでに指導して来たものは何者であるか。社会構成の当初に当つて人間は粗野にして盲目的なる暴力に服したが、後には法律に服するようになつた。この法律もまた仮面を被つた暴力に外ならない。これによつて余は結論する時、自然の法則によって、権力は力にあると言わなければならぬ。
政治の自由は思想であって事実ではない。自分の属する党派が権力を掌握している他党を倒壊せんがために、思想と云ふ好餌を以つて民衆の力を自党に引きつける必要を感ずる時は、此の自由の思想を巧みに適用する術を知らねばならぬ。若し政敵自身が此の思想、所謂自由主義に感染して、此の概念のために自己の勢力を放棄しやうとするならば、右の仕事は極めて容易となる。ここに於てわが理論の明白なる勝利を得る。即ち政権の手綱が緩みて地上に垂下するに至らば、存在せる自然の法則によつて他の新しい手が直ちにこれを捉えて掌握するものである。何んとならば盲目的なる民衆の力は、一日たりといへとも指導者なくして存在する事は出来ないから、自由主義に因つて弱められた古い権力に代つて此所に新らしい権力が登場する。
現今に於ては自由主義なる為政者に代つて黄金の権力が出現した。かつて信仰が人心を収攬して世が治められていた時代もあつたが、自由の思想は実現し難いものである。何となれば何人もこれを適度に利用し得ないからである。入民に暫時でも自治を許して置くならば、此の自治は忽ちに放縦になるのみである。此の瞬間から内乱が起り、内乱は社会的闘争を誘起して、遂に国家は動乱の巷と化してしまう。
さて、内部の革命に因つて崩壊するであらうと、其の内乱の為に外敵の手中に陥るのであらうと、兎に角国家が滅亡に瀕するに至るならば、我が掌中のものとなる。それは我々のみが自由になし得る金権は、その時国家に対して触手を伸すが、政府にして救はるゝ所もなく、奈落の底に落込むことを肯ぜざる限りに於ては、否応なしにそれに取り縋らなくてはならないのである。
自由主義の立場から、かやうな考へを不徳義であると思ふ者があれば、余はその人に次の如く反問する、「ある各国が内外に二敵を有する場合、其外敵に対して如何なる戦事の手段を用ひるとも、例へば作戦の計画を敵に知らせず、夜陰に乗じて優勢な軍勢を以て襲撃することを許されて、而も不道徳と非難されずに済むとすれば、社会の秩序と安寧とを乱す悪質の敵に対しても同様の手段を執ることが、何故に不道徳と称せられねばならないのであるか?」と。
反抗と云ふ事は、例令それが無意味に見えやうとも、浅薄な判断しか出来得ない大衆にとつては面白いものであるが、かやうな反抗の可能性が民衆に与へられている時、其民衆を理性的根拠や厚意的説得によつて、うまく治めると云ふやうな事は、筋の通つた健全な考へ方をする人ならば決して期する事はない。専ら浅薄な情熱、迷信、習慣、伝統、多感な説教によつて動かされ易い大衆と云ふ者は、党派的精紳に迷はされ易いものであるが、此党派的精神なるものは、健全な動機に基いてなされる意思の疎通をもすぺて不可能にしてしまうものである。大衆の決定はすべて偶然的な多数或は人工的に集められた多数によつてなされるものであるが、此多数なるものは、政治上の権謀術策に通じないために馬鹿気切つた決議に駆り立てられ、斯くて政治の中に無政府主義が芽を萌さしめる。
政治と遣義とは全く没交渉である。道義を基礎とする篇政考は政治家でない。夫れだから其位置を持績する事が出夾ぬe荷くも鳥政者たらんとせば、妊策偲善を弄せねばならぬ。国民の美羅即ち公明正犬と正直とは政治にとりては罪悪でありヤ禁物である。共故は、これ等は最張の敵にも勝つて確實に王位を韓落せしめるからであるCこれ等の特性は非管国の歓迎すべき特徴となつても一向差支へはないが、我々猫太入は決してそれ等の如き亡国的範をとつてはならぬ。我々の権利は撮さに存する。『権利』なる語は人工的に作られた漑念であつて、何物によつても護明されていない。その意味する所は、『わが欲する所のものを吾に興へよ。そは我が汝達よりも張きことを護せんがためなり』に過ぎないのである。 権利は何虚に始まるか?そして何虚に終るか?権力の統制が宣しくなく、自由主義の無敷の権利によつて法律も支配考も無力となつている国家に於ては、余は新しい権利を汲み出す。即ち強着の権利によつて、行政構に嚢ひかゝり、法律を侵し、あらゆる施設を改造し、『自由主義』のために自ら進んで我々に自己の権力を譲渡した考共の支配となるのである。現在に於ては非猫太人春国のあらゆる権力が薄沌として動格しているので、我々の権力は他の権刀に比し断然頭角を抜いている。何となれば、我々の権力は如何なる陰謀好策も之を葬り去り得なくなる程に強力化されるまでは、表面に姿を現はす事はないからである。,群眼−我々が目下止むを得ず惹起せしめている一時的な災祀は、やがて推ぎなぎ政府といふ善事を生むであらうが、この政府は、自由主義によつて破壊された所の国民的生存の規則的運行を苦に復せしめるであらう。目的は方法を津める。それ故に我々は我々の計豊に於ては、善と道徳とにではなく、心要と有用とに}層多く注意を向けやうと思ふ。我々の前には、戦術の法則に因つて攻撃線を描いた計書がある。もし我々がこの計葺から離れるとすれば、それは敷世紀に}且つて築ぎ上げた事業を蔓無しにする危瞼を必ず件ふのである。我々の活動に封する有効な計書を立てやうと欲するならば、我々は大衆が下賎、無定見、無節操であることを認識しなくてはならぬ。のみならず彼等が自己の生活や幸一幅の諸條件を諒解し、また批割する能力を敏いていることをも考慮に入れなくてはならない。筒ほ我々は、大衆の力は盲目で、非理性的で、割断力が無く、従つて左にも右にも耳を傾けるものであることに注目しなくてはならないQ盲人が盲入達の案内役を勤める時、必ずや皆を滅亡の淵に陥れる。従つて大衆の中の者共又は人民の中からの成上り者は、如何に多才の考であらうとも、一たび政治に掾を容れ或は指導著として登場する時には、必ずや全国民を滅亡の淵に陥れないではおかぬのである。或国民が自分自身に、換言すれば大衆の中から選ぶ成上り考に身を委せる時、その国民は、権力と名審との争奪によつて生み出される黛事及びこの蕪争から生ずる騷擾によつて自滅する。大衆が平静にまた嫉妬なしに判断したウ、或は個人的利害との混固を許さぬ国運を導くといふ如きことが可能であらうか。また大衆は外敵に対して国を禦ぐことが出束るであらうか。そんなことは思ひも寄らぬことである。群衆の頭蚊と同じ致の部分に分裂した出師計書は統一を失つてしまひ、途に諱の解らぬ實行不可能のものとなつてしまふからである。猫り猫裁君主のみが国家行攻上の諸計書を明確に虎理して、国家機閲の機構の総てを正しく匡分して秩序を仕上げることが出乗る。従つて}国の最も適切な国家形式が見出されるのは、責任ある一個人の手に国家行政が委ねられる虚に於てゞある。館的権力なしには文明は存績し得ない。文明は大衆に依存するものではなくして、如何なる人間であらうと、兎に角彼等の刑潮着となる者の事業である。大衆はあらゆる機倉に自己の個炉を鼓揮する野彎人達より成立つている。大衆は自由を手中に握るや香や、それを無政府状態に愛へてしまふが、これは野轡の最項灘をなすのである。われ/、\の合言葉は権力と傭善である。それ故にわれ\は、われ1\∵の計書の遂行に役立ちさへすれば、暗殺、員牧、詐欺、裏切り等に決して尻込スしてはなら……ド…I−ないp政治上では他を屈服させ、亦権力を獲取するに必要な場合は、猫豫なく他人の財産を奪はねばならない。公正にして面かも催借なき峻厳さは、国家の構力の最良の柱石である。箪に利盆のため許りでなく、殊に勝利のためには、義務としても暴力と偽善とを吾々は固執しなくてはならない。冷静なる打算に基づく吾々の主義は、それによつて誘起される手段と同じく強力である。それ故に我々は、之等の手段そのものによつてといふよりも、むしろ我々の不携不屈な主義によつて勝利を得、あらゆる非猶大政府を我々の超政府の許に屈服せしめるであらうQ銘ずべぎは、あらゆる反抗を除去するために我々が握借なく事を行ぷといふことである。非猫太人の烏政者等は、人民大衆なるものが、占自目の暴力一であるものなる事を少しも考慮しなかつた。一また、其の選ぶ所の−↓代議士寸大統領一−成り上り者共も民衆自身と同様盲目である事をも考慮せず、また、奥義を授かつた者は例令如何なる馬鹿者でも、一無能力考でも、統治が出束得るものであるのに、奥義を授からぬ者は、如何に非几な智者であらうと、一手腕家であらうとも、致治を少しも解する所がない事を考慮しないで、彼等非猶太人は、これ等すべてを看過し一了い一るの一である。自由・牛等・四海同胞なる語は、盲従的な我々の諜春によつて世界の隅々にまで宣伝せられ、幾千萬の民衆は我々の陣誉に投じ、此の旗幟を措ぎ廻つて居る。然るに實際を言ぶと、此の標語は到る所午和安寧一致を破壊し、国家の基礎をも覆へし以つて非猫太人の幸輻を侵蝕する獅子身中の姦である。之れがわれ〆ヽの勝利を促進したと云ぷ事を請君は後目首甘さるゝであらう。これが重要な切札を我々の掌中に掃せしめたq切札とは特槽階級の僕滅である。換言すれば、我々の強敵即ち国家国民の防護者たる非猫太人責族の没落した展墟に、金力と云ぷ我々の理智的貴族を元首として据えた。此の新貴族の威力は我々の掌中にある富と吾々の質哲が研磨進歩せしめた科箏とである。自由干等と云ふ標語は、政府なるものは国家の持主たる人民の手代に遇ぎぬから、弊履の如く之れを交代せしむる事が出束るとの観念を群衆に興へた。人民が代表者を交代し得ると云ふ事は、即ち我々の思ふ儀に代哀者を左石する機倉を我々に興へたのである。
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第二議定書
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第二議定書我々の目的にとつては、戦争が出宋るだけ領土的利盆を賛らさないやうにすることが絶封的に必要である。さうすれば戦争!併は経済的領域に移されることになるが、この領域に於ては我々の優勢の威力を講国民に認識させることは容易である。かゝる事態によつて爾交戦国は、如何なる達陣の地までも分散している我々の手代達の手中に陥つてしまふ。而も我々の手代達は何百萬の眼を自由に頓便して、国境によつて活動を阻止されることは決してないのであるQその時我々の猫太法は諸民族の法律を抹殺して、現在諸政府の権力が国民相互の開係を律している如く彼等を統治することになるであらう。彼等の奴隷的能力に鱈じて我々が公民中から選んだ行政官吏は、決して行政能力を準備してはいないであらう。それ故に彼等は、我々の緒棋に於ては容易に『歩』に堕してしまひ、幼時から全世界支配のための教育をうけていた所の、訓練と天才とのある我々の顧間の掌中に全く牧まつてしまふであらう。諸君も知られる通り、之等の専門家はその政治上の知識を我々の政治的計画、歴史の議名訓、現代の観察等から取つて束たのであるq非猫太人は、歴史を基礎とする冷置な観察を練ることを知らず、吟味的比較などはしないで、結果のみを求めるやうな科畢的熱練を事としている。それ故に我々にとっては、彼等のことを意に介することは無意味である−‐たとへ彼等が、いよ/ヽの時が束る迄、新たなる歓喜を希望として生きやうと、過去の喜びを追憶して生きやうと、そんな事は間題ではない9肝要なのは、科寧の命今だとして、われノヽが彼等に吹込んで置いたものを彼等が堅く信じ込んで疑はないといふことである。それ故に我々は、始終印刷物を利用して、この命今に封する盲目的信仰を鼓吹する。非猫大人中の利巧な連中は自己の知識を誇りとして、『料事から』得た知識を巧妙に賞現しやうとするであらうが、然もそれの知識を論理的に吟味もせず、またその知識なるものが、人問を我々に必要な方向に教育するため、我々の手代達によつて作り上げられたものであることには気がつかないのである。我々の主張を空論なりと思つてはいけない。我々が仕組んだ所の、ダーウイン、マルクス、二−チェの敦誕の徹底的成果に注意なさるがよろしい。非猶太の人心に及ぽした之等の教読の破壊的作用は、少なくとも我々には明白になつていなくてはならない。
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第三議定書
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我々の目的の完成は敷歩の眼前にある。鉄す所の距離は僅少である。我々の辿り束つた道は、わが民族の象徴たる祚秘的蛇の輸を完結せんとしている。此の輪の結合せらるゝ時こそ、全欧洲諸国は、頑丈な推で締め付けられた如うになるであらう。現代の憲法の天秤皿は間もなく顛覆するであらう。何故ならば、我々はその天秤を、それが安定しないやうにと、不正確に織i仕組んで置いたからである。我々は天秤の挺子が磨滅してしまふ迄その天杵が動擦を止めぬやうに確信している。非猫太人は、天秤の竿を充分丈夫に鍛えたと思ひ、天秤がやがて釣合を取るであらうと期待していた。然るに天秤を支へている竿は、かの無制隈甘つ無責任な構力を振つて、あらゆる彎行をやつてのげ一る民果の代表着達によつて不安定状態に置かれている◇然も彼等がこの無割限且無責任な権力を獲得するのは、宮廷内に侵入した恐怖的行動即ちテロに依つてゞある。鳥政者等は入民の心を揃むことが出束ないので、人民と和解することは出束ず、また権力を求める野心家達から身を守ることも出束ないのである。我々の策謀した離聞策は、主権署の目に見える威力と大衆の目に覚えない威力とを引離したので、爾方共その意義を失つてしまつているじ何故ならば、どちらも一方だけでは、杖を失つた盲人にも等しく無力であるからである。権力を愛する者を刺載して、権力を濫用せしむる烏めには、我一々は不蒲猫立と云ふ我が億の傾向を鼓吹して、あらゆる勢力を封立せしめた。此の方面に於ては我々は几ゆる手段を講じた。即ち各政掌を武装し、政構を政黛の目的たらしめ、各国を擾乱の巷と化した。やがて、到る所騷動と財政の恐慌とが起るであらう。無蓋蔵の鋳舌家は国倉と行政露とを舌戦場と化し去つた。大臆な新聞屋や、無遠慮な政治論客等は毎目行政官を攻撃して居る。権力の織用は斯くて官衙の没落を誘致しつゝある。五里霧中に俳御する群衆の一撃の下に萬事顛覆するであらう。世界各国の非猫太人は、奴隷制度又は農奴制度よりも激しい苦しみを翼へる貧窮によつて苦役の宣告を受けている。彼等は、奴隷制度や農奴制度からは我等の投じた努資離間の魔薬で漸く解放される事が出束たが、しかし貧困からは絶封脱することが出夾ない。我々は民衆のために名のみであつて實際でない構利を憲法に挿入した。所謂民構なるものである。民権は空想界のものであつて、決して現實界に持つて束ることは出束ないのである。責族は人民の幸輻と密接の闘係ある自己の利盆の自然的防護者であり、又人民の養育著である。それを人民は撲滅した。今や人民は貴族の僕滅と同時に努働者に取つて無慈悲な成り上り老畜銭奴の歴追の下に畔吟している。わが杜含主義マッソンの主張する所謂一般人道博愛主義を口實として、所謂援助を興へている我が軍除即ち肚倉主義、無政府主義、共産主義に参加することを下居民に勤誘するに於ては、彼等は我々を歴追よりの救済著として仰ぐであらう。由束貴族は努働者が衣食足り健康頑丈ならむことを慮かつたむ我々は夫れと反封に非猫太人の人口清滅を謀るものである。我々の権力は努働着の慢性的管養不良と蝕腹質虚弱とにあるC如何となれば、之れによつて彼等を我々の意思に徒はしむるもので、彼等は自己の力を以つてしては我々に反抗すべく力も精力も見出すことが出束ぬからであるぴ磯餓が努働著に対して責本の権力を揮はしむる事は、合法的の王権が此の構力を貴族に興ふるよりも確實である。我々は生活難と之れよウ生ずる嫉妬悔悪の念とを利用して群衆を動かし、其の手を籍りて我々の進む道を遮る者を僕滅せん。我々の全世界の主宰著が載冠する境には、同一の手を籍りて!−努働者下層民−−我々の主宰者に妨ぐる者を僕滅せん。あらゆる取引業及王業を萎靡せしめ、而して経済的不安が襲へば、}般民衆は烏政者の無能に封する敵慨心が烈しくなるに違ひない。この時われノ\は、全力を傾注する所のあらゆる陰謀と、我々の手中にある金力とによつて、一般的経済不安を意起し、同時に全欧洲請国に於て努働着の失業大群を街頭に投げ出すであらうCさうすれば之等の大衆は箪純な心持ちからして、幼少以束嫉硯していた有産階級や資本階級の血を流すのを喜び、而して共者等の所有物を掠奪破壊する事は考へるまでもない。しかし此時に於て、我々の伸間は之れ等の大衆によつて襲はれる事は絶封ないであらう。何となれば、我々には襲撃の時刻が機敏なる我々の謀着によつて豫め判つているので、時機を失せず吾掌の考の保護封策を講ずるからである。民衆が自由の名の下に、あらゆる議歩弱味が眼前に展開して東るのを見て、彼等は自己を主宰着と思惟し、権力獲得に焦つたが、しかも奮制度に掃る事を思はずして、遂に権力を我々の足下に投げ出したのである。我々が『大革命』の名を附したフランス革命を想起せられよ。此の革命準備の秘密は我々の能く上知る所である。何となれば此の革命は實に我々の手の所業であるからである。あの時以束我々は、諸国民を幻滅から幻滅へと導いているが、それは彼等が我々からも離抜して、われノ\が全世界の王として準備している所の、シオンの血を享けた王を軟呼して迎へるやうになることが望ましいからである。『自由』なる標語は、人問社含をしてあらゆる罐力と抗事せしめ、紳及び自然の威力に対してすらも闘事せしめる。書々猫大人が一度王位に就かんか、書々はこの標語を人類の語彙の中から抹穀しなければならぬ。何故ならば此標語は、大衆を恰も血を好む猛獣の如く化せしめる、動物的暴力の結晶であるからである。しかし之等の猛獣に給餌すると眠つてしまうから、容易に鎖に繁げる事が出束るが、何時までも血を吸はせないで置く萎時は、彼等は眠らないで闘ぴ狂ふのである。
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第四議定書
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宗教と信仰とを持つて居る時は、人類は地上に於ける祚の撮理に従ひ教倉に統御せられ、安んして柔順に精祚的慈父たる牧師の措導に従ふものである。それであるから音々は宗教の根底を覆へし、非猫太入の脳裡から紳なるものゝ観念を奪ぴ取り、共の代りに個人主義的打算的利慾と肉措的享楽主義的慾求とを植え付けねばならぬ。非猫太人が之れに気附かぬやうにするには、彼等を商業と工業方面に指導せねばならぬ。斯くすればさなぎだに利己主義に堅まつている各国の非猫太人等は眼中国家杜含なく、唯々自己の利得のみを追ひ、利害戦に夢中になつて眞に解らぬであらう。筒ほ自由が徹底的に非猫太人杜含を破壊し滅亡さす鳥めに、工、業を投機の基礎の上に据え置かねばならぬ。斯くなると工業が地止から取待した物の悉くを手中に握つて居る事が出束ぬから、結局投機家の手に移り、最後に我々の金庫の中に流れ込んで束る。経済生活に於げる優越を得んが鳥めの極度に緊張した闘争と、頻繁に襲ふ市場の恐慌とは、絶望的なしかも悲惨極まる冷酷な肚倉を實現するであらう。斯くの如き肚倉は高等政策と宗教とを全然忌み嫌ふやうになり、之を指導するものは、たゞ利得打算即ち金力のみになり、金力によつて享受出束る快築の烏めに黄全を完全に偶像紳化するであらう。さうなると非猶太入下層民は積善をなすとか、或は富を蓄へるの烏めでなく、たゞ上流肚倉に封する惜悪から審々に服従して、吾々の槽力闘争の相手である有識階級に敵封する事になる。
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第五議定書
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買牧と購賄の漬職が致る所に侵入し、富は巧妙なる妊策或は虚偽の駈引によつて得られ、徳義は自己の誠意によらず、たゞ巌爵と酷法によつて維持され、愛国心と宗敦とは世界主義のために殺滅せられている杜含に、如何なる行政組織を設けたならばいいだらうか?余が請君に説明せんとする専制に非ずして何であらうQ我々は社会の一切の勢力を掌握せんが鳥めに最大極度の中央集権を殻定せねばならぬ。面して我々は我々の臣下の政治全般を法律によつて機械の運轄の如うに調整するであらう。此の法律は非猫大入民衆の有していた寛恕とわが憶とを片ッ端から奪取するであらうQ斯くして我土々猫大人の国家の特徴とする所は無割限の樺力政治となり、我々に不干を云ひ反抗する非猶太人があるならば、何時何所に於ても用捨なく懲らすことの出束るやうな棒大なる歴制を以つて標榜とするであらう。各国民が自国の帝王を仰ぐ事恰かも祚の如く崇敬していた間は、彼等は帝王の専制に服従していたが、我々が彼等に対して、帝王と離間さす烏め、国民にも構利あるものなりとの思想を煽動的に注入してから、彼等は帝王を普通の人問と何等異るものでないと見るやうになつたQ我々が国民の念頭から帝王に封する崇敬の観念を奪つた時、王冠の威力は地上に除ちて終つた。救に於て我々猫太人は共催力を公有物として取得したのであるQ}時的には全世界の非猫太同盟が成立して我々を打倒する事もあらう。然し我々のこの危機に際しては、非猫太国の問に締結されている諸間題が、間接直接に我々を保護していて臭れるのであるp我々は二千年に一且つて非猫太国の間に、個人的並びに国民的封立又は民族的並びに宗教的惜悪を懸命に煽動して東た。ために、何れの基督致国家も他の援助を得ることは出束ない。何となれば、他の請国は何れも我々に反抗する同盟を結ぶことは、自己に不利であると考へざるを得ない。我々は賓際鉄りにも張力であるので、何人も我々を敵硯することは出宋ないのであるQ今日に於ては、列強が如何なる些細な協約を相互に締結する場合にも、必ず我々の手が秘かにそれに開係しているのである◇『諸王は我を経て王たるべし』と、豫言着は吾々が全世界の王たるべく祚自らによつて選ばれたるものなる一ことを教へた。紳は我々が自己の任務を完成し得るために、我々に天下を賦興している。讐へ敵の陣螢に天才があり、我々に挑戦するとしても祚の選民に対しての戦は嬉郷の斧である。国家擬開の輪韓機は我々の手中にある動力によつて運韓する。其動力とは即ち全力である。我々の賢哲の樹立した経済寧は工者の擢力の資本にあることを明示している。全世界に於て絶封支配権を獲得するためには、金力が商工企業を猫占しなければならぬ。此の計書を全世界に於て責現すベく我々の間接直接の魔手が既に此の事業に着手している。かゝる特権は産、企業家に政治的権力を興へるが、此の権力は民衆の歴迫に至極役立ち、現在では諸国民を戦筆に誘導するよウも、其武装解除する方が重要であるCまた是等産、企業家の燃え上つた慾望は、之を滑すよりも我々の鳥めに利用しなくてはならぬ。個人の思想は之を排撃するょりもそれを受け入れて利用した方が有効である。我々の行政の重要任務は、あ方ゆる出束事を破壊的に批許する事によつて、興論の抵抗力を弱め、我々に反杭し得るかも知れない、猫自の思素を人問から奪ひ、そして現存の精紳力を誘つている空なる滸舌の遊戯に堕さしめることである。政権掌握に必要なる第二の秘訣は、答国民の敏粘即ち一風俗、習憤、慾望、公徳の観念を臣々に凌達せしめ、何人も其選揮に迷ひ、人々が互に了解する事が出束ぬ如うにするにある。此の方法にょり各政掌間に紛擾を蒔き、我々に屈伏せざる国惜の力を解髄し、些細なり共我々の事業を阻筈するが如きあらゆる個入的行動力を徹頭徹尾粉棒してしまふであらう。最も危瞼なるは猫創であつて、それが天才的の人物にある時は、我々が紛擾を扶植した幾千萬の民衆よりも{盾の大事業を成し途ぐる事が出束る。それであるから猫創を要する事業に対しては、非猫太人が自然に気力のなくなるやうに、彼等の教青を指導せねばならぬ。
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第六議定書
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我々は}大富源たる大仕掛の濁占を企てる。此の猫占は非猫太人の大財産も改憂後の第一日に於て、国家の財産と共に清械しなげればならぬ程の東縛を蒙るのである。吾人はすべての方策を筈して我々の超政府の慣値を高めねばならない。其烏めには超政府をば進んで我々に服従する者に封する保護者であり、賞揚者であるかの如く装はねばならぬ。非猫太人貴族は既に政治的勢力としては全く没落して一顧にも値しない。しかし筒ほ土地の所有者としては共猫立的存在の鉄焔を維持する限り、吾入の邪魔になるのである。故に吾人は何かの方法によつて彼等から土地を割奪せねばならない。此の目的に向つての最良法は土地を抵営に入れさせる鳥めに地租を高むること、土地の負措を太にするにある。此の方法は土地を繊群革構群描併構〜〃絶封的衰徴に陥らしむるものである。遣伝的に質素に甘んずる事の出東ぬ非海大人貴族は急速に破滅の道程を辿ることになる。これと同時に商工業特に投機を努めて奨働せねばならぬ。投機の任務は工業に封立するにある。投機なしには小資本を培加し、農業銀行の貸出しは規定してある負措より土地を救ひ農業の勃興に資する事にある。工業によつて土地より努力及び資本を捲き上げ、投機によりて世界の富を悉皆われノ\の手に較め、以つて非猫太人をば下屠階級に投げ込む事が必要である。斯くなる上に於ては非猫大入は箪に生存槽を得たいばかりに我々に脆坐伏拝するに至るであらう。非猫大人の工業を破壊するために、我々は投機の外にもう一つ別の手段を講じなければならぬ。それは以前より彼等に鼓吹して置いた贅澤、徒費等すべてを蕩霊してしまう奢停への猛烈な慾望を唆り立て、筒ほ努銀を昂騰させる。努働賃銀の自卵騰は努働著に何等の利盆をも異ふるものでない。何となれば我々は他方に於て農業及牧畜の衰徴を名とし、第一必需品の償格を昂騰させるからである。加之我々は努働著を無政府主義と飲酒癖とに馴致し、同時に地上から一切の非猫大人の智刀を駆逐し、以つて巧みにまた根抵的に産業の源泉を枯潟せしめるであらう。非猫太人が事の員相を時末だ到らざる前に見破ることのないやうに、我々は極力員相を隠蔽するに努めねばならぬ◇その手l段に役立つのが我々の国民経済寧であつて、此の掌熟軌からは、表面的、努働階級と世界的な経済上の原則とを全力を以て保護しやうといふ眞面目な努力が現はれている如くに見えるのである。
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第七議定書
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軍備の張化及び警察制度の完備は、何れも既迹の如く我々の諸計書の賞現に役立つのみである◇我々はあらゆる国家に於て、音人以外にはたゞ非猫太人の無産大衆と我々に依存する敏人の富豪とのみが存在し、その他には我々を守護する警官と軍除のみがあるやうに配慮せねばならない。我々は欧洲全大陸及びそれを基期として、他の諸大陸に於て動格、園争及び敵封聞係を惹起せしめねばならない。之に依つて我々は二重の利盆を得るのである。先づ第一には、あらゆる国家が、我々が何時でも思ふ墨に騷乱を意起することも、古い秩序を再建することも出束るのをよく知悉しているので、我々を恐れるやうになるであらう。あらゆる之等の国家は、我々を目して止むを得ざる悪と見るであらう。第二には我々が政治的或は経済的協約乃至債券の力を籍りて各国の国政機開に運結させておいたあらゆる連絡の糸を、我々自身の陰謀に依つて縫れさせるであらう。この目的を徹底的に達成するためには、我々は口頭での商議に嘗つては、大いに老槍と妊講とを以つて事を運ばなくてはならぬ。之に反して外面的、即ち公式の文書の交換に於ては反封のやり方をして、終始正直な、迎合的な態度を示すであらう。我々がこの原則を守るならば、見せかけを本物と思ふ様に憤らしておいた非猫太人の政府営路者や、人民は牌束も筒ほ我々を人類の恩人又は救済主と考へるであらうQ非猫太国家が我々に低抗を試みやうとする時には、一我々は直ちに其隣接諸国を煽動喚誘して其国に戦を挑ませる事にするが、若し共隣接諸国も亦其国と共国戦線を張つて、我々に反抗する場合には、我々は世界大戦を勃嚢させ、間接直接に全力を傾注して、これ等敵封国を潰滅せねばならぬ。あらゆる政治的成功の最大の要訣は、あらゆる企劃を巌重に秘するにあるp眞の政治家の言謝は、決してその行ふ所と一致してはならぬ。既に希望の彼岸に近づぎつゝある我々の深慮に基づく計書を愈々實現せしむる烏めには、我々が秘密に仕込んで置いた所謂列強の租ある輿論、即ち言論機開の勢力を以つて各非猫太政府を強制する事が必要である。此の言論機闘は一顧だにも慣しないやうな小敷のモノの外、維て既に我々の掌中に簾している◇歓洲にある非猪大人諸国家を屈服させる鳥めの我々の計書を致語に要約すれば、一国/\に対して、我々の威力を知らせる烏めには、暗殺計書即ち恐怖政治、テロを以つてするであらう。しかし萬一全歓洲諸国が我々を敵として共同戦線を張る事になつた時は、我々の彪大なる金力と巧妙なる誘惑を以つて日本、支那、米国を動かし、之等諸国の大砲が我々の名に於て、共諸国に答へるであらう。
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第八議定書
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我々の政府は、あらゆる文明諸国の援軍、即ち祉含主義、共産主義、無政府主義等を周圓に集め、其中心に立つて活動すべきである。そして此の按軍を構成するのは、就中、新聞記考、法律寧著、行政官、政治家、それから最後には我々の特殊争校で持殊の豫備教育を授けた経済寧著や革命家等々の考である。我々は、我々の政府を無敷の国民経済徒事着で取り巻かせるであらう。何散ならば国民経済箪に闘する教育こそは、非猫太入を教育するにあたつては最も重要な課目である。我々は杉大な欺の銀行家、工場主、資本家を我々に近づかしめるし、特に重大なのは、百萬長署連の多敏を我々に引ぎ寄せることである。何故ならば、賞際の所、萬事は全力で決定されるからである。
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第九議定書
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彼等非猶太人は我々の諸寧読を適用するに営つては、その寧読が働きかける国民の性情を考慮に入れなくてはいけない。我々の諸事説の一律的な通用は、我々流に敦育されていない国民に於ては、成功を督らすことは寛束ない。然し惧重に仕事に懸るならば、極めて翠固な性格も十年そこ/ヽで鸞へることが出来るのを知るであらう。かくなる時我々は、既に我々に屈服してしまつている諸国民の間に新らしい国民を一つ編入することが出末るのである。下層階級に属する我々の同族を一致圃結させるために、我々は反猶太主義を必要とする。然し余は此の間題に聞して、既に度々論じたことがあるので、裁では之に就ては詳速することを差控える。我々が、非猫大人の呼楕する専制或は猫裁政治の超主権を行便する上に於て、今や何等の障害もなくなつた。余は充分の確信をもつて云ふが、我々は現在では唯一の立法著である。即ち我々は法の養布もすれば其施行槽をも施行し、また法の適用も自由に行ひ、我々全軍の指今官として馬上に興爽たる姿を見せているのである。嘗つては強力であつたが、今では全く我々に依存している黛派の遺産を相績したので、我々は撃固なる意志によつて導びかれている。赤裸々に云へば吾々は押へ難ぎ野心、燥ゆる如き責慾、債借なき復仇慾、用捨なき惜悪等を意のまゝに用ひ得るのである。妖怪即ち廣汎なテロは、我々猶大人の手から出て行くのである。我々に仕へるのは、あらゆる主嚢主張の人々であつて、王政を再建しやうとする連中、煽動政治家、祚倉主義者、共産主義者、諸種の空想家等である。我々は我々の利盆のために、彼等すべてに皆輛をかげておいた。彼等の各人は夫々自分の場所にあつて、国家的構力の最後の支柱を倒し、既存の法、秩序を倒壊せしめやうとしている。かやうな手段によつてあらゆる政府が苦しめられている。各人は午和を求めて、懐しい干和のためならば、萬事を犠牲にする気になつている。然し我々は、彼等が我々の世界的超政府を公然と無條件に承認する迄は、彼等を体ませることはしかい。人民は坤き乍ら一般的国際協調に依つて、肚曾間題の解決を求める。衛ほ国民は蕪派に分裂しているし、またこの黛争は大きな金銭を必要とするので、賞派と国民の組ては我々に依存するやうになる。その故は、金力は我々の猫占する所であるから。非猫太人支配者の明智力と、其国民の盲目力とが}致する事があれば、我々もそれを恐れねばならぬが、しかし我々は斯る可能性を妨害するために、几ゆる豫防方法ヰ講して置いた。我々は双方の間に恐怖政治と云ふ形措を以つて隔壁を設けて置いたのは之れが故である。斯くて盲目的な国民大衆は何時までも我々の支援者となり、我々のみが彼等の指導者となつて、彼等を我々の目的である非猫太人を落す亡国へと連れて行くであらう。盲目の大衆が我々の指導着から離れないやうにするために、我々は時々人民に最も親しくする事を忘れてはならぬ。個人的にそれを責行する事が出束得ない場合は最も信頼すべき同士の手によつて共れが賞行に努めなくてはならぬ。我々の主構が先づ認知された暁には、我々は個人的にも人民と街頭や公の場所等で語り合ひ、国法上の間題に闘しては、我々が特に必要とするやうな見解を取るやうに教へ込むであらう。国構の文化、言論と出版と信仰との自由、集倉の権利、法律上の牛等、財産及び住居の不可侵、間接課税、法律の朔及力等に闘する討議に際して、上述の事情の知識は我々に役立つa之等の間題に閲しては、決して人民を相手に公然と無遠慮に談じてはいけない。然し如何しても之等の間題に解れる必要がある場合には、我々の細目に入らないで、只}般的な言葉で近代立法の諸原則を認めればいゝのである。斯る控目な態度の意義は明瞭であらう。即ち、我々が公然と確言しない限り何れかの灘を例外とする可能性が我々に残されるものであるが、若しも民権を}々教へ上げてしまうやうにでもなれば、それはもう既に認可されたものゝやうに見えるからである。民衆は政治家中の大物に愛と奪敬を持つものであつて、暇令彼等が暴歴政策を遂行する如うな場合にも、『そいつは専劣だが、貫に巧くやつたものだ。そいつは詐欺だが腕前は大したものだ。厚かましさも此所まで夾れば凄い』と云ふやうに批評する。我々が既に久しい前から心に描いて居た全く新らしい国家の殿堂の建造には、あらゆる国民を賛成せしめる事が肝要であるQそれ故我々は、我々の指導著が前例のないほどの勇気と精祚力とをもつて目的に遭進する人物であるやうに配慮しなくてはならぬ。吾々の政治計蓋は、たゞ}人の頭脳から生れて束なくてはならぬ。多敷の頭騰がそれに協力を欲する時、その計書は決して確乎とした威力を持ち得ないであらう。それ故に、遂行さるべき計書の内容を知ることは許されているにしても、吾々は決してその計豊内容を審議してはいけない。然らずんば吾々は、計葺全鮭眼の比類なき偉大さ、その各部の連開、及び秘密の意味を隠している各細部の作用を傷げる恐れがある。着しもかゝる計書を多敷の味方の審議と投票に附するやうなことをすれば、移しい誤解の痕跡がその計葺に残ることは避け難いであらう。全捜の深い意味と前後の運絡とを究め壺すことが誰にも可能であるとは限らない。吾々の諸計書は葦固にまた目的に叶ふやうに群考案されていなくてはならぬ。それ故に青々は、書々の指導者の強力な精祚から生れた仕事を有象無象に投げ翼へたり、また少致の人々の間に於ても詮議立てを許してはいけない。之等の計青は、現行の諸施設を営分は顛覆させることはなく、革にそれ等の経湾的基礎の慶更と、之に闘聯してそれ等の嚢農に閲する計書の夏更とだけに止めるであらう。そして之によつて現行諸施設の嚢展は、結局吾々の議定書通りの方向を辿るであらう。自由から憲法政治が生れ出て、非抵太人の唯一の救済考である猫裁制に代つた。諸君も御承知の通り憲法政治は紛擾、闘争、事議、不和等々無盆の掌争の訓練所に外ならない。一言にして云へば、国家を解踏脱する如うな穂てのものゝ訓練所であるp議場の論壇は刊行物以上に王著の行動と勢力とを殺ぎ、一彼をして無用の長物ならしめた。かゝるが故に彼等は賞際多くの国々に於て顛覆されているeそこで共和の時代が到束した。吾人は王者の代りに政治の崎形兄即ち群衆の中から提へ東つた我々の手先叉は奴隷たる大統領なるものを据えた。是が即ち非猫太国民香全非猶太国民の足下に仕掛けた地雷の基礎である。近く我々は、大統領はその行動に対して絶封責任を負はなくてはならぬといふ原則を立てるであらう。その暁には、責任は全部我々の藁人形に韓嫁されることになるので、我々は何の遠慮も無く我々の計画を遂行することが出束る。また我々に取つては、それによつて権力を求める人間の散が滅つて束るのは、却つて好都合である。なほその上に、大統領の地位に適営した人物がなかなか見つからないと云ふやうなことのあるのも豫見出夾るのである。その結果は動乱が起るより外に道はないが、この動乱は諸国家に最後的な打撃を興へるであらう。我々の望み通りの此の結果を得るために、その週去に於て『バナマ』事件のやうな後暗い貼を持つている如うな大統領を選撃する事である。さうすれば彼等は我々の指令の思責な實行者となる。それは彼等が一方に於ては、彼等をしてその地位を失はしめるやうな曝露を我々がするかも知れないと常に恐れないで居られないからであり、他方に於ては、誰でもさうであるやうに彼等もまた、一度獲得した権力を確保して、大統領に輿へられている特権と名書とに出束るだけ長く享受しやうといふ無理もない要求を抱くものだからである。衆議院は大統領を選撃し、擁護し、滸護するであらうが、然し我々は法律を提案したり、また愛化したりする槽利を議院から割奪して、それを寧ろ我々の千中の藁人形たる責任ある大統領の手に委ねるであらうQかくて大統領の権刀は、兎に角、無敢の攻撃の目標となるであらう。然し我々は大統領に対して、その自衛手段として議院を解散し、人民の再度の央定を改選の形で要求する権利を興へる。此の国民たるや、その大多数は盲目的に我々の指圃の儲に動くのであるpまた我々は之とは別に、戒厳令布告の権利を大統領に典へるが、この権利の根擦として次のやうな主張を立てる。即ち、大統領は一国の全国防軍の頭首であるから、何時たりともそれを動かすことが出夾なくてはならないが、其の理由は、大統領は国家の貴任ある代表者として新憲法を攻撃より保護し、また民主国の新らしき自由を防護する義務を有するからであるといふのである。かゝる状況の下に於ては、聖殿の鍵が我々の手中にあり、我々以外に立法を指揮する者の皆無であることは、直ちに明かである。
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第十四議定書
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我々が世界支配権を掌撞した廃には、我々同族はモーゼ以束の猫太教以外には如何なる宗教の信仰をも許さないであらう。それは我々が、此の唯一祚に結びついてその選民となつているからであるし、またその祚の手によつて我々の運命が、全世界の支配と織り合はされているからでもある。この理由からして我々は、他の信仰は几て之を破壌してしまふ。之が烏めに無祚論考の敷が一時的に塔すことがあるかも知れぬがそれは我々の意岡を妨げることはない許りでなく、寧ろ我々のモーゼの宗教に耳を傾げやうとする入々に良き理解を持たす事が出夾るであらう、そして此のモーゼ教は深慮ある強力な構造を持つているので、恐らくあらゆる国民を我々の主構の下に屈服せしめるに至るであらう。殊に我々の成功も此の宗教の祚秘的力の賜と言へるのであるし、また人類に及ぶあらゆる教育上の力もそれから瑛するのである。所謂『進歩』したと穐する文明諸国に我々は、無味乾燥、浬蕩的専狽な、唾棄すべき文畢を創始しておいたが、我々は此の傾向を世界支配達成後も封照的に筒ほ暫らくは放置しておかなければならぬ。さうすれば我々の崇高な政治上の政策や言論は著しく目立つて束るのである。非猫太人指導の鳥めに我々の手で教育しておいた我々の賢人達は、軍純無智なる非猶太人に迎合さるべき言論と宣伝冊子とを準備して、それによつて人々の頭を寧問と思想との方へ誘導して行くのである。
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第十五議定書
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我々が世界各国に同日同時刻に惹起させやうと準備している革命の力によつて遂に政権を獲得した時、而して現存の各国政府の無能力が確認された後(之が烏めには多少の時日を要し、殊によると一世紀をも要するかも知わぬ)には、我々に対して陰謀が起らぬやうにせねばならぬ。若し我々を排撃する著が出た其の時には、我々は干構構…構轄構轄轄溝嚢支を取つての工政に反抗する者を片つ端から容赦なく死刑に虚する。我々には知れ渡つて居り、目下存在している結肚員は既に我々に犬馬の努を寸取りfたる著と、また取りつゝある者とであるが、共れ等を幾等級に分つて欧洲より遠き大陸に移住せしむる。また臭深く秘密を知つている結祚員をば、右の通り虚分するが、我々が或る理由で瑛して置くだけの構利を興へた者をば、常に流刑を以つて威嚇して、手も足も出ぬやうにする。斯の如く我々は以前秘密結肚に参翼した着を政治の中心糖なる欧洲から追放する法律を義布するものである。我々が深く騷乱と反抗との種を蒔いた非猶太人国家に秩序を立てるには、不可抗力の権威を示す苛酷手段を執るの外はない。未夾の幸{臓の鳥め如何なる犠牲を沸つてもそんな事は間題でないQ慣令如何なる流血の惨祀が誘起されやうとも、目的を達成するのは致府存在の槽利たるのみならず、義務たる事を自寛する政府の貴任である。政農を強固にすポ方法は威力を極度に撃固にするにある。而して夫れは祚秘的原因即ち祚選によつて不可侵権を有する主権によつて達成せらるゝものである。世界に於げる我々の唯}の敵たる露国の君主猫裁制は即ち夫れである。羅馬法王薦もそれである。我々の天下にならぬ内はマッノン結杜を世界各国到る所に培設し、現在又未束の偉大なる人物を網羅するに努むる。何となれば此の結杜は重要なる調査機闘であり感花機開であるからである。マッソン結肚の一切の指揮機開は、猶太人の質哲を以つて組織されている最高司令部に於て統割する。此の最高司今部の存在をマッソン結趾員以外には絶封秘密にしなげればならぬ。各結祚には此の司令部より穣する密令を左右し、且つ責任を以つて實行する代表者を配置するであらうe各結肚には社倉のあらゆる階級の者を引入れてあるから、是等の者によつて革命運動及び各主義蓮動の構報が間断なく集まつて束る。殊に政治、外交上に於ける如何なる秘密計書も、決定せる営目容易に探知する事が出束るので、最高司今部に於ては、直ちにこれ等の詳細なる報告に接する事が出束る。非猫太人でマヅソン結肚に特に進んで入肚する署は、責名家、山師、野心家及ぴ生束軽桃俘簿な精祚的不其者等である。こんな手合だから我々の結杜に引き入れて我々の目的−−国家破壊、世界革命、風俗壊乱、暗殺、宣伝等々−−を達成して行く上に利用出束るのである。重大な目的の達成は、手段を選ばず、また血を流させ十犠牲の数に拘泥しない時にのみ成功すると、我々の聖賢哲の言つたのは誠に員理である。我々は非猫大人と云ふ畜類を犠牲にすることには少しも拘泥しなかつた。然し我々の同族からも多く犠牲を出さずにはすまなかつたが、その代りに我々は同族の考に掛して、彼等が如何に大臆な空想の中に於ても、到嬢期待することの出夾なかつた程の、この世での地位を今既に輿へた。それは歎多き同族の中の僅少なる犠牲で以て、我が同族を滅亡から救つてくれたと我々が持つ感謝の念である◇人間として猫太人と非猫太人との異なる織は、精祚的肉鰹的に於て全然天意を異にしている。それは我々猶太人は員の人間として祚に選ばれた民族である、と云ふことである。我々の額から崇高なる精祚力が光を放つているが、非猫太人は軍に動物的智力を有するに過ぎないではないか。勿論彼等にも物は見えるが、遠大なる先見の力を鉄き、徒つて何物をも猫創的に嚢明する能力がない。此の事からして観取されるのは、我々猶太人による全世界の支配を自然自身が豫定したのであると云ふことである。我々が公然と世界支配権を掌握したならば、我が施政の如何に善政であるかを護示する鳥めに、従夾の法律を全般的に改造するが、我々の法律は簡箪明瞭にして不可彎であらう。また我々は一切の解繹を許容しないから、何人もその法律を正確に記憶することが出束るであらう。+ダ我々の法律の最も著しい特長は、上官に封する絶封服従の要求であつて、之を我々は最高度に高めるであらう。之に依つて各人が最高の国家権力に対して責任を員ふことになるので、あらゆる構力の濫用は無くなるであらう。中級及び下級の官更による職権の濫用は、極めて峻厳な虎罰を適用されるので、何人も自己の職権を踏越えぬやうになるでjjう。国家機闘の調整された運行を維持すべき行政官吏の活動を、我々は最大の注意を佛つて監督するであらう。著しサの方面に無規律が流れるやうになれば、それが直ちに肚倉一報つ現象となつて表現するから、法律違犯及ぴ職権濫用等の場合は徹底的峻巌さを以つて虚回討を加へなければならない。達字に対して残忍な一刑罰討の範を示して置けば一、一行政官吏が職権濫用を隠蔽したり、相互に寛容したりする現象は、几て無くなつてしまふであらう。我々の権力の威信を保つて行く上に於て、個人的利盆を動機とするものは如何に徴細の職権濫用であつても、最も苛酷な虎爵を必要とするのである◇個人的にこれを見れば、週重滲酷な虎罰を受けると思ふ事もあらう。しかし、法律と主権とは、国家といふ車の駅者である官更達が、一寸でも公安の正道を踏みはずして、私利の横道に入る事を絶封許すことが出束ないからである。一例を撃げれば、我々の裁割官は若しその割決に於て、鉄りの寛大さを示すならば、それが国法の最高原則を毀損する事になるのを知るに至るであらう。裁割は、如何なる犯罪に対しても見せしめの烏に必要な刑罰を課する事によつて、人間に対して常に正道を辿るやうに教へなくてはならぬのである。裁判は、裁割官のやさしい心情を示す鳥めに存在しているのではない。かやうな性質は、家庭生活に於ては相腹しいかも知れないが、公務執行の際に出て束てはならない。我々の、未束の世界支配考の出現によつて、我々の政府は外観的には臣下の祀一絹に対して家長的な閲心を持つやうに見える。我が国民と臣下達は、此の支配者を見ること恰も父の如くにして、彼こそはあらゆる事に心を努し、几てに通廃し、あらゆる窮状を打開せんとし、臣下相互の闘係及び臣下と最高支配者たる彼自身との開係を慈愛に満ちた開心を以つて見守つて英れる者であると考へるであらうじかくて人民達は、彼等が安心と午和の生活を欲する限り、この支配者の父の如き庇護と世話とを受けないではやつて行けないことを痛感するであらう。また彼等は我が専制君主の絶封的権刀を認め、殆んど祚化にも等しい奪敬の念を以て仰ぎ見るであらう。殊に我々の官更連がその権力を濫用することも出東ず、只かの支配者の命今に一首従せざるを得ないのに自骨するときには、人民達は筒更奪敬の念を培すであらう。彼等は我々が、子供達に義務と服徒とを教へる貫明な蘭親達のやうに、彼等の生活を調整しておいたのを喜ぶであらう。實際、諸国民と共の政府とは、我々の政治の秘密に対しては、永遠に未成年の者の如く無智なまゝである。祚聖なる猶太王の頭に、政洲各国が彼に俸げる工冠を戴くとき、彼は全世界の族長、家長となるであらう。此の事は勿論犠牲を要するが、然しその数は、非猫太人政府問に行はれた誇大狂と競争とが、敷世紀間に人間に課した血醒い犠牲に比しては、講ずるに足らない。我々の王は絶えず人民と接個するであらう。彼は人民の前に現はれて、人民に向つて演読をするであらうが、その演説の名馨は、電光の如き速さで口から口に伝はり、全世界に壙がるであらう。
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第二十四議定書
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ダビデ家の着千の考が王と其の後縫者とを教育してその職権の準備をさせるが、彼等は王の選揮を、世襲権に基いて行はず、個入の特殊の能力に基いて行ふのである。そして選ばれた者達は政治と行政のあらゆる秘密を教へられる。此の場合の根本條件は、彼等以外に之等の秘密を知る着が無いといふ事である。かゝる前提の下に政治の秘密に通嘆している着のみに政治は委せられねばならぬ、と云ふ確信が道を拓いて進むであらう。描構神構構構構描i描描…構描構難轄繰王の直系の着でも、その修業時代に軽率、柔弱、及びその他の政治上の無能を示すのみでなく、政府の槽威をも汚すやうな性質を見せる場合には、擾々三位縫承から排除される。我々の賢者に依つて政権を委ねられるであらう王者は、支配が残酷に堕する危険を胃しても、活動力と葦固さとを有する支配樫を徹底的に行使する能力を持たねばならぬ。王が意志薄弱に陥つたり、また其の他の無能さを見せる時、彼は法律上直ちに其の統治権を他の活動力ある著の手に譲る義務を負ふているq王の現在の計書、殊に彼の持束の企固は、その側近の顧間連中にさへも知れる事は無いであらう。轄宋の事を知っているのは、王と、王にあらゆる秘密一を教へ込んだ三賢者丈けである。不屈の意力で自分と人類とを指導する王は末知の進路を有す執炉韻仰である、と、人民から見られるであらうQ一王が其の法今で如何な目標を目指しているかは、何人も之を知らないであらう。従つて、王に反封を申立てたりその道を遮ぎらうとするやうな者は一人も無いのである。王の高い精祚が、その實現を便命として興へられている大目的に相富すべぎである事は云ふ迄もない。それ散に如何なる王も、我が賢著達に依つて共の精紳的能力が吟味されてか一らでなくては、王位に昇ることは出束ない。人民が王を知り亦愛するやうに、王はしば/メ\人民の前に姿をザはして、公共廣場で人民と談笑を交へなくてはならぬ。かうすれば、今まで恐怖政治即ちテロを便つて我々が引離して置いたかの二つのものは、必然的に結び付くに至るに違ひない。我々は今迄の此のテロが必要であつたし、人民及び王の力が互ひに離れている事をも必要としたが、それは此の二つの力をそれ∴ヽ別々に我々の主権に屈服させる鳥めであつた・の言jr干I猫太王は決して情熱に左右されてはならぬ。特に彼は情慾を抑制せねばならぬ。動物的衝動が彼の智力と情緒とを支配するやうな事は断じてあつてはならぬ。措慾はあらゆる精紳的能力の最悪の敵であつて、如何なる惹限をも曇らし、また如何なる安大天才をも成下らぜて、最も卑しい自然本能の溝足の他に何等J掛人生の目的を認めざる禽獣にしてしまふ。ダビデの聖胤を縫ぐ世界支配者は、人民と入類との幅趾の烏めに、あらゆる個人的喜楽を犠牲に供さなければならぬ。我が世界支配者には道義上一鮎の弱鮎もあってはならぬ。彼は萬人の輝かしき亀鑑たらねばならぬ。
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※ 今日も夜中までお仕事です ...でも、ぜんぜん進みません。
“ MoonLightSonata ”
BGM by Beethoven