ウンコをもらしたはなし

  みなさんは最後にウンコをもらしたのはいつの事か覚えているだろうか。
恐らく小学校の低学年あたりまでさかのぼるのではないだろうか。で、
ボクの場合いつかというと、今からたったの2年半前、29才の時なのである。
  ちょっと(いやかなり)はずかしいのであまり触れたくないので、小さな声で
はなすので、まぁ軽く笑い流してください。キタナイ!なんて言わないでね。
恥をしのんでここに暴露しちゃいます。

  29才の夏、ボクは仕事の夏休みを利用してモロッコへ1週間ほど一人旅へ
と出かけた。ここではテーマからはずれちゃうので(できればはずれたいが)、
簡単にしか説明しないが、モロッコというのはとってもいい国です。とにかく
暑いし、メシはうまいし、物価は安いし、人々はフレンドリーで、だけどアジア
の国みたいに物売りとかしつこくないし、とにかくサイコー。今まで行った海外
では一番のお気に入りの国である。
  で、旅の中ごろ、ワルザザードという、サハラ砂漠のすぐ目の前の小さな街に
でかけた。そこは本当に小さな街で1〜2時間もあれば街中見てまわれるほど。
ここには2日滞在して、街をぷらぷらしたり、オープンカフェで人々や車が行き
交うのをぼーっとながめたりして過ごした。そして、いざ出発という日、朝9時頃
出発のマラケシュ行きのバスを前に軽く朝食を済まそうと、とあるオープンカフェ
でカフェオレとトーストをたのみ、目の前のカスバ(城塞)をながめつつ、もうすぐ
この街ともお別れだなぁ。時間が許せばもっと滞在したいなぁなどと感傷にふけ
ながら朝食をすませた。そう、この朝食が悲劇のはじまりだったのである。
  原因は今もって不明だが、でもこの時のカフェオレが原因であったとボクは確信
している。

  やがてバスの時間が近づいたのでカフェを後にし、バスターミナルへと向かった。
その時すでに、軽い便意を感じていたのだが、マラケシュ行きのバスは1日2本
程度しかなく、そのバスを逃すと夕方までないので迷わずバスに乗ることにした。
  マラケシュまでは4000m 級の山々が連なるオートアトラス山脈を超える、
6〜7時間の長丁場であるが、途中昼食休憩とかもあるので、まぁそれまで我慢
すればなんて事はないだろうと、タカをくくったのが間違いであった。

  そして、乗ってまもなく、バスの振動とボクの腸の振動周波数がうまく一致して
しまったかのように、イッキにゴロゴロと来たのである。これはタダ事ではないと
感じたが、それでも内気なボクは運転手に止めてくれとも言えず、しかもモロッコ
では公用語はフランス語と、アラビア語で(もちろんどちらもしゃべれない)、英語
はあまり通用しない(ボクがほとんど英語がつかえないということもある)ので
運転手に今のボクの切実な心境を伝えるスベはなかったのである。

  それからはとにかく忍耐と肛門との戦いであった。まずとにかく最初は、自分を
洗脳することから挑戦した。「大人がウンコをもらすわけがない。大人がウンコを
もらすわけがない。。人には火事場のクソ力(シャレではない)というものがあって、
人間追い詰められるとすごい力を発するはずだぁ。。。」とひたすら念じたので
ある。しかし効果なし。

  次に理論的に考えることにした。ボクは以前、20才の時に自然気胸という病気で
約1週間入院生活を送ったことがあり、その内3日ほどは脇腹から肺に通した管が
なにか変な器具に固定されており、ベッドから離れることができなかった。そこで、
病院側ではしびんとおまるのようなものを用意してくれたのだが、ハイそうですか、
といって無抵抗につかえるものではない。しかもその時は個室ではなく6人部屋
だったのである!! まぁ小のほうはちょっとしびんを布団の中にしのばせてじょろ
じょろ。。。としてしまえば用は足せるのでそれほど抵抗はないのだが、大のほうは
どうすればいいのだぁ。という事になる。だいたいベッドに寝たきりでどうやって
用をたせばいいのかわからない。想像もつかない。
  しかし人間の体はよくできたもので、そう言った心配も杞憂に終わった。結局
ベッドに縛り付けられていた3日間、まったく便意を催さなかったのである。
そう、人間そういった立場に追い込まれるとちゃんと適応するようになっているの
である。だから、今回の苦境も絶対に適応できるはずだ!! うん。絶対。と思い
こむようにした。  しかし効果なし。。。

  やがて未舗装の山道に入りバスの振動と腸の振動も活発になり、策も尽きたボクは
ひたすらジタバタした。そうすれば周りの乗客がこの尋常じゃない事態に気づいて
くれて助けてくれるのではとのかすかな願いも込めて。。。
  それはもうデスラー総統(判る人もすくないかな)よりもマッサオな顔と冷や汗を
かきつつ声にならない声を叫びつつ苦しんでいるとようやく光明が差してきた。
そう、昼食休憩のドライブイン(のようなもの)に近づいたのである。まさに天の救い、
人間の適応力の強さに感謝した。しかし、安心する(腹筋を抜く)にはまだ早かった
のである。

  ほどなく駐車場に入ったバスが止まるか止まらないかのうちに飛び出したボクは、
一軒の食堂に飛び込み、ボクが表現出来うるありとあらゆるジェスチャーと言語不明の
叫び声をつかって現在の状況を訴えると、不思議と伝わるもので、すぐにトイレに
案内してくれた。トイレに飛び込んだボクは扉を閉め、カギをかけて、電気を
つけて。。。 ! 電気がない!!!!! マックラなのである。そこには窓もない。
パニック状態になったボクは、マッツァオ(というか紫色)の顔で飛び出し店主に
フー、フギャー、ゴロゴロ、ンギャーなどと訴えたが今度はまったく通じず、
それと同時に、肛門が「もう降参です。」と白旗をあげかけたので、やむを得ず
トイレに戻ると扉を半開きにして、ジーンズを下ろした時、

  あっ。

往ってしまったのである。もう一度2行前を読みなおして欲しい。この時確かに、
ジーンズは下りている。しかし普通人間はズボンの下にはパンツを履いているもの
である。この時のボクもその例外にもれずパンツを履いていた。

  半開きのドアから見える食堂のテーブルを眺めながら、いやー。そこに人が
座ってなくてよかったなぁなどとぼんやり考えながら、しばらくの間放心状態
に陥ったボクは、でん部にひろがる生暖かい感触に我に返ると、パンツを脱ぎ捨て、
残った用を済ますと、まず自分の足やジーンズに降りかかった茶色いものを
きれいにすべく、便器のわきにあった蛇口をひねって手持ちのタオルをぬらして。。。
! でない!!! そう、その休憩所というのは標高何千メートルという高地にあり、
電気も水道もあまり満足に整備されてはいなかったのである。

  その時の唯一の救いは持ち歩いていたズタ袋をトイレにまで持ちこんでいたこと
であり、その中には飲料の1リットル入りのミネラルウォーターが入っていたので
ある。しかし1リットルの水ではボクの体についた汚れを落とすにはあまりにも
はかなく、やむなくパンツ一枚と、タオル一枚を放棄してトイレを後にした。
  その時のボクは完全な敗北者であった。人生最大の屈辱である。この気持ちを
判ってくれるひとはそうはいないと思うが。いいや。誰にもわかってくれなくっ
たって。ふん。

  ここから後はもうおまけみたいなものであるが、実は悲劇はまだここで終幕を
告げてくれず、再びバスに乗ると同時に腹痛の第2段が到来し、1時間も経たない
うちに今度こそバスを止めてしまった。この時も何語で運転手に伝えたのか不明で
あるが、とにかく次の集落に入ったところで止めてもらい、再び食堂にかけ込む
ことになった。そしてまたバスに乗って、腹痛が再来して。。。耐えに耐えて
マラケシュまで到着し、同時にすぐ前のカフェに駆け込んで。。。

  それでもボクはモロッコが大好きである。今まで行った国の中でもう一度行くなら
ドコと言われれば迷わず、モロッコを選ぶ。
  マラケシュで宿に入ってすぐ、異臭を放つジーンズを洗濯し、挫折感と疲労感に
2時間ほどベットに倒れこんだ後、すっかり乾いたジーンズ(マラケシュは暑くて、
とっても乾燥してるんだよね)を再び履いて、晩御飯を食べるべく屋台に向かうまでに
復活したのであった。めでたしめでたし。