どうにも起きるに起きられないので、 今は寝る前に 1 錠だけ処方されている薬二種類を飲んで、 昼間から爆睡することにする。 なんか相当な悪文を書いているな。 推敲する気にもなれない。
昨日、一昨日と爆睡したせいか早めに目覚めた。
しかしなぜか心の臓のあたりがこわばってならない。 妙にいらいらする。 所詮人間は糞袋という言葉ばかりが頭に浮かぶ。 何を達観しようとしているんだ。
あまりにいやな気分なので、 9pm に寝る。
「百年の孤独」という単語について感想をつづる宿題が出ていたので孤独について少し考えてみた。 孤独というのは一人きり、 つまり他人から隔絶されている状態である。 しかし大勢と一緒にいるなかで自分だけ違っていると思ったときにもまた孤独ではないか。 これは物理的な孤独に対して精神的な孤独であろう。 孤独ではないという状態と同時に孤独であるという心情。 この相反する状況が乖離すればするほど孤独感と同時に無力感が強いと感じる。 しかし大抵において自分だけが相当に孤独であると感じるのは妄想に近い思い込みである。 みな同じくらい孤独であり孤独ではないのだ。 自分だけが辛いのではない。 そう願いたい。
今週と来週の稽古日程が届いた。 平日も入っている。 さすがに平日はやる気がないので、 休日のみ出席することにする。
今日は 8pm ごろ布団に入り、 読書をし、 10pm 前後に就寝。
今日は、 朝一で、 全社で、 屋外清掃をするというので、 遅れていったら衆目を集めて、 また気分が沈むだろうな、 と思ったので、 いつもより、 ずっと早く出かけて、 集合時間の 30 分前に着いて、 掃除をサボりました。
悪文を書くのは楽しい。
しかし掃除といっても拾うのは煙草の吸殻のほかに何がある。 歩きタバコするやつらが掃除しろ。 その前にポイ捨てするな。
しかし「ポイ捨て」っていうのもやな語感がするな。 声に出して読みたくない日本語だ。 齋藤孝は次の本のテーマをこれにしろ。
ひさしぶりに Mew のサイトをチェックしたら、 Meadow のバージョンがあがっているのを知る。
ことの経緯をもっと詳細に記すなら、 Emacs の W3 モードでなぜか漢字を表示させるに到らなかったので、 emacs-w3m を使用しようと思い立った。 そこでまず w3m のインストールとなるのであるが、 これは思いのほか簡単にできた。 cygwin でコンフィギュアしてメイク。
さて肝腎の emacs-w3m をデスクトップ PC にインストールしたところ、 なぜかうまく動かなかった。 追跡してみると emacs-w3m からなぜか Mew のコードを呼んでいる箇所があった。 そのデスクトップ PC では以前 Mew 1.x を使っていたのだけれど、 都合により別のメーラに移行したためそのままだったのである。 Mew はとうに 2.x どころかベータ版は 3.x になっていた。 そこで Mew 2.x をインストールするためにサイトをチェックしたところ、 Meadow の情報が載っていたというわけ。
それでまず Meadow をインストールしなおし、 Mew をインストールしなおし、 emacs-w3m をインストールしなおしたが埒があかない。 結局 emacs-w3m の変数 w3m-command に値が設定されていなかった。 納得。 これを .emacs で設定するとようやく努力が報われた感じがした。 Meadow で動かしているのでグラフィックは表示していない。 見るのはテキストサイトだけだ。
ついでにノートの方も Meadow を更新。 同時に Cygwin も最新版をいれた。 だいぶ古い Cygwin を使っていたようだ。 最近はノートではあまり使っていなかったからな。
先週あまり作れなかった発声練習のレジュメを作る。
引き続きレジュメの作成。 最初一冊の本を抜粋してまとめようかとおもった。 しかしもう一冊も具体的で面白そうだったので、 二冊からよさそうなところをみつくろってまとめることにした。