中高生は効率の良い勉強法を求めるのだそうだ。広告ネタ、目次へ
入試、というはっきりした目標があるのだから、そこに向かって一直線、というのはわかる。しかしながら、効率の良い勉強法がわからないから、身が入らないという言い訳に使われるのはどうなのかなあ、本人論理的に言っているつもりみたいだから扱いにくい。というわけで「効率の良い勉強法」を作ってみたが、何故か評判が悪い。
ようやく理解した。「効率の良い」を「ムダがない」方向で考えていたのが間違いだったようだ。
無駄がないということは、すなわち密度が上がるということに他ならない。するとどうなるか。「しんどい」のである。わからない単語の意味を調べたり、何度も同じところを読み返したり、という本質的に問題を解くのに不要な動作に浪費する時間は、脳を休ませるために必要だったのだ。予め全部の英単語を引いて並べ、ついでに助動詞の役割を書き込んだりしておけば、あとは構文解釈→意味の把握に注力できるが、まずは提示された情報量に圧倒されるだろう。どうすれば一回読んで意味が頭にはいるか?なんて方法実践するとたしかに頭に余裕がなくなる。いずれも「できる人には初めからできる」し「試験本番だと当たり前に必要とされる能力」な、はずなのだが。かくして無駄を省くアプローチはよろしくないことが分かった。でも「無駄を省かずに効率なんて追求できるか?」無理である。だとすれば「効率の良い勉強法」で彼らは別のものを求めていることがわかる。
わかりきった結論で恐縮だが「楽に成績が上がる」勉強法である。
無いわけじゃないのだなあ。実際やったし。あれっ?と言う間に成績が上がった。が、同じことを勧めてもきちんとやる人、今まで見たことがない。楽すぎて実感に乏しいのだろう。何しろ写すだけ。
かくして「楽に成績が上がる方法」これも旗色が悪くなってきた。「消費者」の本当に求めているのはなんだろう。
適度な疲労を感じる「やってます」感でしょうね。なんで(愚痴に近いが)いいたい。
「おめーらホントに成績上げたいんかい!?」