21世紀の初日の出

 21世紀の初日の出観光ツアーというのがあるらしい。
 日本で最初に見える初日の出が犬吠埼か天津小湊か、などとほほえましいPR合戦もあるようだが更に早くみたい人のためにチャーター機を飛ばすツアーもあるそうな。
 唯一心配なのはチャーター機の乗客が東側に固まってしまい、飛行機が傾くのではないかということである。平和なものだ、20世紀の初めには想像も出来なかったことだろう。

 更にエスカレートして、客船をチャーターし日付変更線上に浮かべるというものもあるらしい。船の片側が20世紀、もう片方が21世紀。雄大な気分に浸れることは間違いない。
 しかし、まてよ。その客船が浮いているのが公海上であるとすれば、誰がそこの日付を決めるんだ?日付とはあくまで便宜的なものである。だから日付変更線は1つの国が2つの日付にならないように太平洋上を曲げて引かれている。従って日付変更線上はどこの国の主権も及ばず、従ってそこの日付を権威を持って決定することは出来ない。さらに言うと何故そこが西暦なんだ?イスラム暦でもユダヤ暦でもマヤ暦でもいいじゃないか。

 そういう観点では、前述の日の出を見るチャーター機。公海上に出ないよう極力気を付けていただきたい。公海に出ればそこに日付はない。それとも国際線でない場合は公海に出ても日付は日本の法律が適用されるという特例でもあるのかな?

 ちなみに日付変更線の真上にある島というのが、それでも存在するそうで、その国の日付はどちらに属するのか非常に興味あるところ。今や観光名所となって、日付変更線上にずらーっと両足を広げた人が並んでいる風景を想像すると笑えるものがある。(既に場所取り合戦は開始されているだろう。)
 得意になっているであろうその人たちに、例えば「この国は、どこに行ったってまだ20世紀だよ」と教えてあげたいものだ。何て答えてくれるだろうか。「僕は満足しているんだから、それでいいでしょう」とでも言ってくれるとそれはそれで認めるし、むしろ一緒に喜びたい。

 人は日の出よりも日没を好むことが多いですが、初日の出だけがこれに逆らっています。年末最後の夕日を見るという習慣もなければ、初日の出に対応する言葉すらありません。
 夕日は過ぎゆく今日一日のことを思い出させてくれます。もし大晦日の夕日を見て今年一年を思い出したくないというのであれば、それは悲しきことです。
 ですから今年は胸を張って大晦日の夕日を見ることができるような年にしましょう。

 昔書いた年賀状の文面です。夕日が過ぎゆく今日のことを思い起こさせるというくだりはレビィ=ストロースの「悲しき南回帰線」を踏まえています。

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