ルールというのは作っただけではダメで、守らせるのが肝心である。が、この守らせるためのエネルギーは想像を絶するほどに膨大である。
私がここ数年、力を入れているのがこの手のこと。セキュリティが厳しくなったために次々とリリースされるルールを読んでいるうちに、適用の困難さと孕んでいるリスクに、ぎくっとなり、こりゃ大変だ、とブツブツ言いながら何とかする、というパターンの繰り返し。しかし、あまりの評価の低さに、嫌気がさしてきたのでありました(そろそろ別んとこいきたい)。だから、もし、自分の組織に、似たようなことをやっている奴がいたら、冷遇せずにおいてほしいなという願いを込めて、ルールを守らせるというのがどういうことなのかを書く。もちろん間違っても守秘義務に反しないように。(そういえば「こいつは酔っぱらって好き勝手話しているように見えるが、肝心なことは何一つ話していない」と驚嘆された覚えがある。)例えば子どもでも分かるルール「赤信号では渡ってはいけない」というのを考える。
通達を出して、守れと言うのは簡単だ。しかし現場にこれを適用しようとすると。まず、守れる体制を作るにはどうすればよいか。周知する?どうやって?朝礼でもあればいいが、電子掲示板に載せただけじゃ見てくれたかどうか分からないよ。私がよくやるのはこれ、足で歩いて管区の信号を全てピックアップする。例え全部知っていても「ルールが出来たから知っている信号があれば教えて」と言う。それで「あーそういうルールが出来たのか」と皆さんぼんやりとでも認識してくれる。その情報を元に、目立つ格好をして各地を回り信号が見やすいかどうか、樹木や看板が邪魔していないかを確認する。待つスペース、例えば歩道があるかも確認する。ついでに、近所の家に寄って「こんなルールが出来たんで、調べてるんだけど、そこの信号見にくいと思うことはない?」と聞く。「夕日が当たると見えにくいねえ」と言われるとこっちの仕事は増えるが、少なくとも、ルールは認知してくれたわけだ(こういう人が、後で通行人に「信号ちゃんと守ってね」などと言ってくれるものだ)。調達できそうなら点字タイルも確認する。タイルを貼り替えているのを見れば「ああ、信号を守らせようと徹底しているんだ」くらいは分かってくれる。
一方ではルール適用のガイドラインを決める。赤で止まる、それは分かった。では青と黄色はどうするか。どうやらルールは自動車を前提にしているが、自分の部署では歩行者も多い。左折する自動車と直進する歩行者のどちらを優先させるか。道路交通法の条文と突き合わせ、世間的にはどう認識されているかをWebで検索し、どうやら慣習では歩行者らしいとしつつも、社内の他の規則とつきあわせてどうやら自動車優先を想定してるようにも見える(エライ人は自動車移動だからなあ)。ならば手を挙げた場合、歩行者を優先させれば良いのではという解釈を真面目に考えなければならない。もちろん成文化して触れ回る。ルールを周知させ、また信号を守るための物理的障害がないことを確認し、ルール本体も適用しやすく補足した。しかしこれで終わりではない。今度は制度的問題を潰しておく。無理なく守らせるためには、これを考えたかどうかがポイントになる。
赤信号の時間とインターバルをどうするか。これにはどういう人たちが待つのかが関係する。老人ホームの近くなら、ある程度時間を長くしないといけない。交通量を計って、方向別のバランスを取る。右折専用の信号も設けなければならないかもしれない。全面赤の時間はだいたい2秒でいいんだけど、ホントにいいのか気にはとめておく。学校の近くなんかだったらスクランブル交差点にした方がいいかもしれない。
この辺までは自分の裁量で出来範囲もあるが、場合によっては歩道橋の新設や立体交差化の陳情をしなければならない。あまりにも信号無視が多い場合は交番の設置まで提言せねば。
企業の場合、これでもまだ足りなくて、ビジネス上の要求から赤でも渡れるようにしなければならない場合もある。が「なーんだ、赤でも渡っていいんだ」と周囲に思わせないためには「信号が赤でもどのような条件の下であれば、渡っていいか」をきちんと決めて明文化して、最初に「赤信号では渡るな」と言った人の承認をもらわなくてはならない。もちろん簡単には承認してもらえないから、「一番近い車両が○○メートル以遠で、かつ○秒以内で渡りきれる脚力を持ち、かつ○分以内に目的地に着かなければならない理由がある場合、衣服に反射テープを貼ることを条件として、赤信号でも渡ることを許可する」といった限定を付けなければならない。このときに○○メートル以遠というのをどのように判断するか、脚力があることをどうやって保証するか、という付則を定めることを忘れずに。ここまでやってもまだ足りない。交通量のバランスが変わったり、近くにスーパーができたりしたとき見直しが必要だ。電球が切れたときの対処ルールが無く、「窓口」だったはずが、業者の手配と予算措置をやらなければならなくなったりもする。
たまに「どうして赤信号を守らなければならないんだ」と言ってくる人もいる。上の指示だ、と答えれば楽だが、円滑な運用のためにはできるだけ納得してもらいたい。こう言ってくる人はだいたい理由は分かっているから、こんな受け答えになる。「ぶつかっても仕方がないとあきらめてくれるならそれ以上何も言わないけど、でも待ち時間は最大で3分以内にとどめているよ。今問題にしている信号は、前に似たようなことを言われたので調整してだいたい2分以内に渡れるからまあ事故るよりはマシだと考えて」などというと「じゃあ仕方ないですね」などと答えてくれるモンだ。
罰則もしんどいよ。一律始末書、としてしまえばいいんだけど、チームワークを考えると恥をかかせておしまいとは出来ない。相手がどの程度ヤバイと思っているかで変わるし、初犯/再犯は影響するし、上司に報告する際の上司の機嫌まで考えないといけないし。場合によっては同席して言い訳まで考えてやるし。これだけ気を遣っているかもしれないのに、上意下達で「赤信号では渡らないように」と掲示板に書いただけしか仕事をしていないかのように扱えば、苦労している人は嫌気がさします。だからそれなりに評価してやってくださいね。せめて「歩道橋を付けてくれ」の陳情は受けないと。
この膨大な努力を無視してきたツケが、従来は考えられなかったつまんないミスによる事故を誘発しているような気もするんだが、どうだろう。今まで現場でルールを守れるようにしていた仕事は確かに収益に直結しない。だから低成長期には冷遇してきた。こんなことをやっている人は確実に人はいいから、我慢強い。が、好景気になっても「節減できる経費」ということで評価はそのまま。その人は失意のうちに定年で退職するか(隠れ2007年問題)、仕事を投げ出す。(=仕事を評価されたレベルに合わせれる。)するとルールは形式化し、リスクがむき出しになる。
変化への対応というと外部環境の変化を想起するが、個々人にとっては内部環境の変化の方が大きい。今言われる終身雇用の崩壊というのは、外部環境の変化から企業が従業員を守っていたのが、外部環境の変化をそのまま内部環境に反映させて、直接従業員の対応を迫ってきたことではないかな。典型例ではないが、分かりやすいのは確定拠出年金。(この一段落は備忘録的に記したもの。変化への対応については、そのうちまとめて書く。)
間違いなく経済学専攻で証券アナリストの資格も持つ私は、就職後は工学部だと信じられ、最近は法学部出身と見なされている。
(2006.7.08加筆) かんじんなことわすれてたわ社会問題ネタ、目次へ
ルール実施のためにここまでやると、守る方にとっても多少いいこともある。
「これなら守れる」という見通しが生まれること。場合によっては「ここまで地ならししてくれた以上、プライドにかけて守らないと」と自覚がうまれることもある。
また、万一情報漏洩が起こった場合でも「ウチはここまでやっています。調査に協力はしますけどまだどこから流出したか分からないんだったら、ウチを疑うのは最後にしてください」と言い張れる。最悪の状況でも(犯罪でなければ)かばってやれる。
というわけで私はとってもうっとーしがられるが、異動するとなると、手のひらを逆に返したように残念がってくれる。かくして「苦労かけたから、いいところに出してやろうか」と上司が考えてくれても、「出すんだったらウチにくれ」ということになり、そーこーしているうちに支えてしまった。