風評でしょうか、いいえ誰でも

 放射能が怖い?と問われると「怖い」と答える。
 こだまじゃないが、誰でもそうだと思う。
 もちろん「福島差別は放射能が怖いからですか」と問われたら
「差別している気は無いけど放射能は怖い」と答える。
 これもこだまではない。だって福島の人は放射能が怖くなかったから原発を受け入れたんでしょ。僕は放射能の怖さを叩き込まれてきたから、はじめから怖いよ。
 ものすごくひどい言い方に聞こえると思う。
 でも僕が広島や長崎の出身だったら、あるいは第五福竜丸事件の被爆者の関係者だったらどうかなあ?返す言葉に詰まらないか?

 「福島にだけ負担を押し付けてきた」と言われたとする。そうかなあ、原発がらみで地元に落ちるお金は莫大、当然それなりにいい思いをしてきたんでしょ。いつか事故は起こる。起こらなくても処理不能の放射性廃棄物の問題がいつかは明白になる。それが自分の存命中に起こるかどうかの博打をやって、負けたということ。掛け金が少なするという不満はあるかもしれないが、その意味では東京電力と同じく「なんとかなるでしょ」の態度だったということ。本当に気の毒なのは民主党ないし、原発推進を押さえたくて自民党以外に投票した人である。
 こんなこと言われたら民主党以外は怒るだろう。でも僕が沖縄出身だったらどうする?米軍基地の負担を沖縄だけに押し付け、米軍基地を受け入れるために沖縄の産業は意図的に潰されたって話だよ。福島はそこまでひどくないでしょ。

 と反発しそうな人の足止めをしておいて、風評被害の話。
 大学のときとあるゼミに途中から入れてもらおうと、助教授に頼みに行った。正直好きな人ではなかったが、僕にはない発想を持っていた。今思い起こせば僕にしては謙虚な態度だ。とりあえず入れてもらえた。その助教授のお話。
「取り付け騒ぎは、合理的な行動なんです。ある銀行が危ないという噂があったとして、一般の人にとっては、その噂が正しいかどうか調査するコストよりも、定期預金を途中解約して利息をあきらめるほうが安いんです。」
 シビアだけど、すごいでしょ。正しくなさそうに見えても、正しいのは現実なんです。それをここまではっきり教えてくれた人は他におりません。

 というわけで「福島の野菜を避けるのは合理的な行動」です。風評じゃないんだよね。
 ベクレルとかシーグラムとか単位はよく分からないけれど有害であることには違いない放射能が付いていることは間違いない。ならば安全性を調査するよりも、避けたほうが安い。だから避けます。極めて合理的、です。
 で、問題は何ベクレルまでなら安全なのか各人調査しても分からないということ。「専門家」の間でも見解は分かれているし、とりあえずは「当面健康に影響がない」程度のことしか判明していない。つまり「正確な情報」ないし「正確と信じるに足る情報」がないのだから一般人には自己責任による対応方法がない。だったら普通避けますよ。代替策がないわけじゃないんだから。
 だから「風評被害」と言ってはいけない。「情報が足りない」という十分すぎる根拠がある。多分農薬漬けの輸入野菜よりは安心だと思うが。個人で判断できるのはまあその程度である。
 たしかに、この程度の放射能では問題はなかろう。理解はする。が、それとつきあう博打は打たない。決して風評に流されているつもりはない。

 「風評」というと、追随している人が悪いような気になる。だから使ってはいけない。なぜかというと現実を見なくなるからだ。気持ちは分かる。見たくもない現実がゴロゴロしている。が、現実というのは圧倒的に正しい。見たくない現実を見ないということを先送りという。
 でも中には見てた奴がいるんだ。釜石に住んでいる以上、津波が来るのは仕方がない。だから釜石の小中学生はどう逃げるかを叩き込まれており、命はきっちり助かっているんだ。(学校にいた全員だよ、全員!)
 更にはぐずる子、泣き出す子に囲まれてくじけかけながらも必死で逃げていた保育園の保母さんたちに追いついて、「その車、僕が押します」「がんばって!お姉ちゃんと一緒に走ろう」と声をかけたに違いない一団がいたそうな。そのシーンを想像するだけでジーンと来るぞ。そしてそれを見届けようとギリギリまで粘った世界一の大堤防。

 先日、かの元助教授の文章を業界紙で久しぶりに読んだ。引き続き「見たくなくても現実を見ろ」という檄をくれた。

 その元助教授、誰かって・・・言いたいんだけど、有名になったからなあ・・・。こんな弟子がいるなんてことになったら、多少なりとも風評被害を被るかもしれない。
 でも「弟子にしてくれと言ってきた最初の奴だけあって、僕の主張を分かってはいるみたいだな」くらい思ってくれるとうれしいなあ。

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