上のガキもいよいよ高校生になった。社会問題ネタ、目次へ
あのちっこくてふにゃふにゃだったのが、全然立派ではないがそれなりに大きく、と感無量である。体力がないのは置いとくとして、おそろしいことに頭の構造が次第次第に私に似てきた。これでもう少し素直に人の言うことを聞くことができれば、成績に心配はないのだが、パパは馬鹿だと刷り込まれているので、わからないことがあっても尋ねてくることはしない。だから数学ができるようになるコツとか、国語の偏差値を1か月で10上げる方法とか、英語がスラスラ読めるようになるやり方、覚えなくても地理と歴史ができるようになる思考法なんてのを教えようとしても全く聞く気はない。例外的に音楽だけは、本人自身のセンスで判断できるらしく、父親の言うことはどうやら正しいらしいと分かっているようだ。それでも切羽詰まれば親に聞いてきたかもしれんが、うちのガキは中高一貫校に入れたので高校受験はやらずに済んでいる。だからアホのままである。しかしながらこの学校には高等部から入ることも可能なので、そーゆーやつらに伍してやっていけるのだろうかと心配するのは親として当然。偏差値を見て驚いた。そんなに高いのか!ほとんど冗談のような数字である。
しかし、すぐにわかった。この偏差値は「高校受験の偏差値」である。つまりうちのガキを含む中高一貫校に入っていて、高校受験をやる必要のない人間は母数に入っていない。その分高めに出るのは何ら不思議ではないなっしー。ただし昔と事情は違う。確かに中高一貫というのは灘とか開成とか以前からあったが、悪い言い方をすれば「ガリ勉校」ないし「大学まで一貫校」という特殊ケースであった。東大を受けるなら意識する必要大ありだが、フツーの大学を受ける分には特に関係なかった。
ところが今の時代、中高一貫校がものすごく多くなってしまったので、一応名の通った大学を受ける際であればそういう人たちを意識しないといけなくなってきたのだ。少々大げさに言うと「高校入試の偏差値は、やがて一流大学を受けることになる中3生を除いて算出されたもの」であったわけだ。いわゆる「ゆとり教育」はその弊害が指摘され、廃止になってしまったが、ゆとり時代に起こってしまった地殻変動は元には戻せない。文部省指導要領がどうなろうと、大学は学力の高い生徒を選抜する自由がある。「ゆとり教育」の時代になっても「ゆとりっ子」を優先して合格させる義務はない。むしろ与えられた「ゆとり」を勉学に活用した生徒諸君を入学させたいだろう。というわけで「ゆとり」を「勉学で埋める」ことをサポートする中高一貫高校が増えてきた。私立高校としては少子化もあり、中学入学時点から生徒を確保したいというのも理由にあるのだろうね。その時に付加価値として「懇切丁寧な大学受験指導」を掲げるのは自然な動き。するとそれまで「普通の私立高校」だったところでさえ、「中高一貫進学校」に姿を変えてしまうことになる。
かくして、私立の中高一貫校が、とりあえず名の知れたところ大学であれば、一般の大学受験時に勘定に入れなければならないほど増えてきたため、ゆとりの香りが残る普通の公立高校ともんのすごく差が付いてしまった。ではどれくらいのものだろう。数値化するのは無理があるとはいえ目安くらい出せる。えーと、うちの子が行く高等部の入試偏差値と、その高校の平均的生徒が進学する大学の偏差値の差を比べると・・・ざっと10。
ようするに、高校受験時の偏差値に10足さないと、中高一貫ではない正規の高校進学者は同等に戦えない。(ちょっと感心したんだが、中学入試時点の合格偏差値と平均的生徒が合格する大学の偏差値が大体同じだ。)算術的には無理のある主張だが
「ゆとりで失った偏差値10を大学入試までに取り返す必要がある」。しかし、ゆとり期間に生じた変動に対応しきれていない公立高校にはあまり期待できないのではないかな。だから例えば「(小保方さんの母校を含む)千葉四天王の台頭」の割りを食うのは地方名門公立高ということになる。(まてよ「割りを食われる」が正しい日本語じゃないかな?)
かくしてわが母校(名門ではあるが、普通の公立高校だ)の進学実績は目を覆わんばかりのものとなってしまった。都市部であれば金がかかるとはいえ、中高一貫校に進むという選択肢があるが、それすらもない地方も多い。生まれた場所だけで相当のハンディができている。かくして、地の利に恵まれていない高校生は、恵まれていても中高一貫に進んでいない高校生は、高校の外でべんきょーしまくらないといけないことになる。しかも、たぶん、彼らは高校入試時の偏差値を基準として志望大学を何となく夢見ていると思うのだな。がんばれば東京六大学に届くな、とかね。しかしやがて全国模試で偏差値が10下がるのを目の当たりにすることになり、その時に焦り始めるのかな?それで間に合えばいいのだが。
なぜ東進ハイスクールがはやるのか、ものすごく納得した。CMのせいばかりではないだろう。選択肢のない地方の高校生を救うためには、数少ない優秀な講師の講義をマス配信し、各生徒のフォローは専門スタッフに任せて分業化する、というビジネスモデルが適していたわけだ。そういうものだがら林先生のしゃべり方もテレビ向きになる。通常、塾は(代々木は知らんが)生徒の顔を見て話す。ところが東進は目の前にいない生徒を前提として話す。反応の見えないまま「分らせた」という確信がいる。テレビとおそろしく相性がいいのももっともだ。これでは「飽きたでしょ」「受験指導に専念したい」と言ってもテレビ局が放しゃしない。
しかもしゃべる内容は「日本語のこと」、一時の流行に左右されず、誰もがある程度の興味を持って聞くこと、ですわ。(結構面白いので、最近ファンになった。)そろそろ高校の入学式ですね。おめでとうなんだけどね。部活に、恋に励みたい気持ちは理解するけどね、まっとうな手段で名の通った大学に行くつもりなら、ゆとりの時間は勉強に当てないとだめよ。いわばゆとり教育がゆとりを奪ってしまったわけよ。かわいそうだけどそういうことよ。なに?僕の偏差値○○ありましたからって?だからあらかじめ言っとくよ。最初の全国模試、偏差値はいきなり10下がると覚悟しとけよ。