名ピアニスト、グレン=グールドは少年の頃にピアノの練習をしている横で電気掃除機をかけられた瞬間を人生最大の体験と述懐していた。電気掃除機というテクノロジーの出す雑音にも関わらず「音楽」がしっかり聞こえてきたからだという。コンサートを引退して録音だけで姿を現す彼の奇異な演奏家としてのスタイルは、このときにその根元が出来上がったわけだ。社会問題ネタ、目次へ
このように電気掃除機は単なる掃除道具としてではなく、さまざまなことを我々に示唆してくれる。道具を超えた何ものかであるといえよう。電気掃除機はおよそ人力では不可能なことを行う装置である。息を吸って埃をとることを考えてみてくれ。ストローでも使って対象とする場所を絞らない限り無理であろう。それを当たり前のように行ってしまうのだ。原理は単純ながら、動作しているその姿は、およそ直観的ではないものなのだ。
ところが掃除機初心者に持たせると、あたかもモップで掃除をしているかのような錯覚にとらわれるのであろう、前後に一生懸命動かしてしまう。人によってはついつい押さえつけながら。自分でせわしなく動かした方がホコリがよくとれるように思えるからね。しかし実際はじっくりと力をかけずに特定の場所を継続して吸わせた方が効果は大きい。つまり人は動いてないように見えたほうが掃除機はよく働くことができるわけである。
しかし人が働いてないわけではない。いろいろと気を配ることがある。吸っちゃいけないものが落ちてないか、吸いきれないゴミは拾わないと。椅子があれば一時的に動かしてその下を掃除しないといけないし、電源コードが絡まないように順序を考えないといけない。もちろん吸い込んだホコリがたまって吸引力が落ちてないかどうか見極め、必要とあれば中身を捨てないといけない。掃除機を使うと掃き掃除は肉体労働というより頭脳労働としての特性を顕著にしてきたのである。なぜに今更こんなことをとりあげるか。なんか組織の管理者の仕事にかぶるように思えてきたからなのだな。ついついモップよろしく掃除機本体を動かして、つまり事細かに呼びつけて指示を出して、無理矢理やらせて、それが組織の仕事効率を上げることであるかのように思えてしまう。いかにも自分が仕事をしているようで、それはそれで気分がいい。 しかしながら大事なことは、現場については自分から積極的に動こうとせず、あらかじめ出来そうもないことを見つければ取り除き(水なんか吸ったら大ごとだ、他の拭き掃除班に依頼して事前に対応してもらわねば)、手に余る問題点を見つけたら自ら拾い、他の組織と競合する資源をやりくりし、スケジュールや手順を整備しておく。メンバーの疲れがたまってくればたまには休ませ・・・。
業務の自動化が進み、つまりロボット掃除機を使うレベルになると、なんのかんのと部屋のレイアウトから考え直し、自動化が通りやすくする必要がある。テーブルと椅子の間隔にも制限が出てくるから、次善にきちんと調整。カバンをポンと床に置いておくわけにもいかない。効率が良い分、例外事項をいかに無くすかがポイントになる。OA化が進むと管理スパンを広げても大丈夫、みたいなことを言われるが、結構大変なのだ。
掃除しながら結構深遠なことを考えてしまった。管理者セミナーで使われてもおかしくない喩えでしょ。