「減災」のための堤防はどうあるべきか

 中学時代の親友に「掘江」というのがいた。一般的な「ホリエ」は「堀江」で土偏だが彼は手偏だ。では土編と手偏でどういう違いがあるのだろうか。
 かな漢字変換だとすぐに分かるが土編の「堀」は「ほり」で変換される。一方、手偏の「掘」は「ほる」と動詞の形にして変換しないと出てこない。つまり「堀」はすでに形作られて固定化したもの。「掘る」はその堀を作ろうと土を掘っている動作なのだ。

 こんなふうに土編と手偏で意味が微妙にずれる漢字ってないかな?と気にしているのだが今のところ見つかっていない。しかしながらあえて手偏を使って書き方を替えたほうがいいんじゃないかという単語は見つかった。「堤防」である。

 「堤」を使うと、それはすでに形作られ固定化したもの。だから一度築けばあとは安心して守られて過ごせる、そういう気にさせてくれる。いままではそれでも良かったのだろう。しかし、気候の過激化、百年に一度の大雨がそれこそ数年に一度降るかもしれないということになれば、百年に一度の水害を想定して作られた堤防でも保つとは限らない。「防災から減災を」などと言われるようになったのはそういう事情もあるようだ。ならば「堤」防も場合によっては避難の時間を稼ぐためのもの、と視点を変え、あるいはギリギリまで粘れるよう有事の際には鉄道橋の下といった弱点に土のうを積むという動作をするよう備えるという「動きを伴った」対策も徹底しなければならない。

 というわけで堤防は作っておけばそれでおまかせ、ではなくて「減災」のためのものだ、と意識してもらうため名前を替えてはどうだろう。そのとき
「提」防
という用語を当てるのが適当ではないか。そんな「提」案をするということだ。

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