時には昔の話を・・・人物顔その他。


その他人物顔についての諸々。
押入れ掃除をしていたら、昔の原画が出てきた。
せっかくスキャナも新品になったことだし、 新たに取り込んで、忘れないうちに思い出話をしてみよう。


劉表と劉璋
初期の『三国鼎立』の設定には、劉表陣営と劉璋陣営があった。
だが、能動群雄として使えるようにするのもゲームとしてあまりヒストリカルではないと考え、カットされた。
その後も、ユニットとして配置される予定であったために、この絵が描かれたが、
能力や再登用人材としての価値やら存在意義やら考えた末に、結局ユニットとしてもカットされた。
古い絵の山にはこういうのがよく混じっている。


賈充と鍾会
この二人、「何となく似ているな・・・・」とお気付きだった諸賢も居られることと思う。
それは正解で、どちらも鍾会をデザインする過程で出てきたもの。
初めに左の方を描き、「なんかちょっと違うかな・・・?」と思って右のほうを描いた。
最終的にちょっと手直しして、左の方は賈充になった。


辰年の年賀?
7年前?の年賀表紙用として描いたと思われるのだが、描いた記憶もHPに表示した記憶もない。
ただ忘れているだけだとは思うが、かわいそうなのでここで表示。


張昭と許チョ
『三国鼎立』の時の張昭は左のこの顔だった。
公開中の『2』の張昭の顔は、本当は王允としてデザインされたもの。
その王允はと言うと、演義的イメージと片桐且元的立ち位置から正史イメージを諦めて、
また別にアンニュイ(?)な顔を新たに描き、
残された剛直直言居士 の顔は最も似合う張昭に最終的に割り当てられた。
ちなみに正史の張昭と王允は何もかも瓜二つのイメージがある。
許チョの方は何となくボツになったもの。


徐庶(と単福)
初めに描かれたのが左の方。
横山三国志のファンであり、特に徐庶好きでもあったので、 思い直して右の方を描いた。
でも、右の方もイメージと違う。
で、結局、眼鼻をコピペして合成して出来たのがリリースされている徐庶である。
だから、徐庶の原画は珍しく2枚あることになる。
顔に二面あるのがいかにも徐庶らしい?
(2つの名前、劉備と曹操に対する2つの顔、剣士と軍師の2つの顔。)


呂姫と皇后
いつも、資料をペラペラ〜と観てササッと描くので、その時見ていた資料によって、
良・不良、適・不適が出るように思う。
左の皇后はもっと皇后らしい絵にすればよかったと、後になってから、結構後悔してたりした。

右の呂姫の方は、勝気な感じが出ていていいと思う。
呂布の娘の名前を書物の資料やネットから散々探し回ったものの確定できず、
(当時はサイトも検索システムも今に比べればずっと不十分な時代だった)
結局、呂家の姫と言うことで「呂姫」と自分で名づけた。
『三国鼎立1・2』で架空名のキャラはこのひとりだけ。
当時は全く検索に引っかからなかったのに、今「呂姫」でgoogleすると、25200件も出てくるが、
呂布の娘で「呂姫」という名前の著作権は私にあるハズ。(笑)



毋丘倹と宦官
左の顔は、実は陶謙としてデザインされたものである。
ゲームデザインの過程で、陶謙ら滅ぼされることがお約束の 中小豪族達はカットされた。
孔融など人材として成り立つものは、太守としては削られたものの人材としては残った。
眼窩のラインと眉毛のラインが乖離したキャラは、悪役顔だとは思うが、
苦難を知恵と表情で乗り越えてきた結果でもある。
現実の政治家も悪そうな人相の方がよくおられるが、ある意味、
人々の吐き出す汚濁を飲み込んで行かなければ成り立たない職業だけに、
同情を禁じえないし、そういう彼らを、私は嫌いじゃない。


田豊と皇帝
田豊は『2』の最初のリリースの時にもいなかった。
それは、田豊がいなくても数も質も袁紹には充分という思いがあったためだ。初めから居たら強すぎるからと。
だが、0人デモプレー時の袁紹陣営の勝率が低すぎて、もっと袁紹を強化しなければならなくなった。
その結果、「そこそこの確率で直下に湧く浪人田豊を登用できる」と することに落ち着いたことにより登場した。
牢屋に入れてしまわず、田豊の言うことを聞いて重用する袁紹がいてもいいじゃないか。

架空王朝の新皇帝は初めはこの絵だけだった。
でも結局、王朝輪廻が進むと3人居た方が良いという感じになり、他の二人を足したような気がする。
絵はその描ける気分になった時は水の流れるがごとくサラサラ進むが、
そうではない時は乾いた感じになりやすい。
絵の神様が描かせてくれる時だけ、良い感じの絵が出来るのだと感じている。
つまるところ、私はただ鉛筆を握っているだけなのかもしれない。


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