以下、ワタシが大ファンであるR・A・ラファティの作品について思い付くまま騙ってみます<誤字にあらず
解説読まなきゃよかったなぁ!
トートツで訳分からないと思いますので、解説します。ワタシはラファティの地球礁を読んでいる途中で訳者の柳下さんの解説を読んでしまったのですよ。
で、この解説を読むのと読まないので、読中の感想がまるっきり違ってしまったのです
一応ワタシのラファティの読みスジとしては、「この世の外の秩序の使者」が(それこそプーカ人?)地球人に分かるように(ここが重要)小説を書いている、というものです。あの訳ワカラン雰囲気は、この世の外の秩序がぽろっとこぼれてくる事によるもんだ!と思っていた訳です。で、その「この世の外の秩序」を「ネアンデルタールの語り部」たるラファティがワレワレになんとか伝えようとするので、ああいう表現になる、と信じておりました。
が、解説に準拠するならば、元々地球人に分かるように書くつもりはなくて、ラファティのワケワカらなさというのはただの「天然」という事になります。これって要するに「外基地」になりますよね?
ワタシのスタンスは「外基地」はいくら素晴らしい作品を書いてもそれは、駄目だと。いったん「意識化」というプロセスを経ないと駄目だと思うわけです。
ジョイスの娘が新造語を連発して、ジョイスはユングに「実は娘はワタシより凄い芸術家なんですぅ」と訴えたところ「意識化という操作をしていないから、タダの分裂症ですよ」と言ったというあのぱたーんですな。要するにジョイスだと思っていたから凄い、と感じてたのですが、実はラファティはタダのアレだったという。それはイマイチだよなー、と。
実際にはラストの盛り上がりなど素晴らしいし、悲惨な事件にもかかわらずめちゃめちゃ明るいラファティストーリーは健在でラストにはそーゆーココロはどっかに消えていましたが。やっぱ凄いヘンなオヤジだよ、ラファティ。
ただ、地球礁については、他の長編、短編に比べると現実の事件をラファティ的に変換するラファティナイズ効果が甘いので、地球礁の中でラファティの目を通さない、世間一般の常識的な目で見た生な事件ってのがほの見えてしまう気がします。
ので、一般向け、と言えなくもないし、現実との差が大きければ大きいほど嬉しい変態ラファティファンにとってはちょっと物足りない所ではあるのです。もっとさく裂してほしーなー、とか。
こっからは余談ですが
しかし、逆に現実をラファティ−の目で見るというフィルタリングの極意が掴めたよーな気がするので、フツーのハナシをラファティが書くと、という技が極めればいけそうな気がしてくるという余計な副作用がありましたですよ。
たとえば、ラファティの目で見ると、こう見える、というのを応用すると、忠臣蔵とかすげぇ出来になりそうな気が・・
そんなこんなをツラツラ考えているウチに、はっと気が付いたね。「パーストマスター(トマス・モアの大冒険)」ってエヴァンゲリオンじゃんけー。
逆に今までワタシにとってしっくりいかなかったエヴァをR・A・ラファティが書くとトマスモアの大冒険になりますね。よーするに、エヴァって世界は13回(だっけ?使徒の数だけ)終末を迎えて、そのたびに新しい人類が生じると。終末を迎えて、時空的に閉鎖された人類が使徒なんですね。アストローブの様に。
で、次の世界終末−再創造サイクルにおいて覇権をとるべく、世界の中心たるアダムに向けて各閉鎖時空の人類が、現在の人類に挑むと。
という観点から、エヴァのビデオを、ラファティが書き直した、という脳内変換をかけながらみるという荒技に挑戦!
おお、見える、見えるぞララァ。シンジ−>トマスモア、綾波−>エヴァ、ゲンドウ−>フォアマン、そして、アスカ−>ラファティのお約束の天才少女に変換できます、出来ます!いける、いけるぜ!めちゃめちゃ面白いぜ、ラファティ版エヴァンゲリオン!そーか、トマス・モアの大冒険/エヴァンゲリオンってああゆうハナシだったのかー!
以上電波発信実験終了
ラファティを知らない人に向けて念の為に言っておきますが、トマスモアの大冒険をエヴァみたいなハナシだと勘違いしないように。全然違うからネ
今、考え中<コラ