だから僕はOS/2が好きだ


◆たかがOS,さればWarp!

以下の話は、ほとんど「ソフトウエア千夜一夜」という本の中の「たかが論理、されどProlog」という話のパクリです。「ソフトウエア千夜一夜」自体は1990年刊行なんで、購入は難しいと思いますが、暇な方は図書館で探してみて下さい。面白いゾォ

さて、本題です

だから僕はOS/2が好きだ。
ダレが何といおうと、僕はWarpが好きだ。だけど、いわゆる「スレッドセーフでオブジェクト指向なデスクトップを持った先進のOS,省資源、安定性、セキュリティのしっかりしたOS」が好きな訳ではない。むしろそういう特色は嫌いかもしれない。この事は別におかしなことではない。確かにOS/2は今だ(!)優れた設計と安定性、省資源(メモリ32MB、HDD512MBあればまぁ楽しめる)でセキュリティにも優れたOSではある。だけどそれと全く関係なく、好きなものは好きで、きらいな物はきらいなのだ。

ここでは、何故僕がOS/2を好きなのかを、自分自身で再確認する目的もかねてあなたに説明してみよう。

実利的にはOS/2はスレッドセーフでオブジェクト指向な先進的なOSであり、今実用になるOSとしてはメチャメチャ省資源(Linuxのディストリも最近は2G程度要求するという極悪非道なシステムになっているのが納得いかない)ではある。でもそういう利点があるから僕はOS/2を使っているのではない。
大体OS/2のアプリは主流でない悲しさで(メチャメチャ少ないという程ではないが)やはり不足気味なのはやむを得ない。コンピュータを実利的に使うという意味ではOS/2を使うのはあまり論理的ではない、と言われてもしょうがないだろう。

しかし、そもそも人間は論理的に思考する物なのであろうか。おそらくはしていないのである。勿論、論理的な思考をまったくしてないという可能性もありえないとは思う。たまにはすることもあるかもしれない。でもほとんどの場合には論理的な思考はしていないに違いない
ほとんどの場合、我々は結論が直感的に思い浮かんでいるはずである。トクに人間の生存にとって本質的なほどその傾向が強いような気がする。大体瞬間的な判断を要する時に一々論理的に考えてたら時間ばかりかかって何も出来ないではないか。

何故、「富樫雅彦のスピリチュアルネイチャ−」が素晴らしいのか、
何故、平原の夕日が美しいのか、
何故、「楕円曲線の有理点は有限生成の加群をなす」という定理が凄いノカ
ということは論理では全く説明がつかない。評論家を気取って「富樫雅彦」についていくら記述を書き連ねても実はなんの説明にもなっていない。ただ「ヨイ」という言葉を色々な語彙でそれらしく言いかえているに過ぎない。富樫雅彦が「ヨイ」ことを論理で証明しようとしても意味がなくまたそうしようとしても不可能なのは直感的に(論理的でなく!)明らかであろう。

少なくとも理性的に考える事は論理的に考える事と等価なのであろうか?人間は原因と結果、目的と手段という関係に着目して思考するのであって、論理に着目して思考しているのではない。ついでに手段の為に目的に着目したりするのはよくある事デスヨネ:-)つまり結論を本当に論理的に導き出す事はめったにない。

そもそも、本当に論理的な思考をしているのならば、人間が論理的に間違うはずがないではないか。人間がしばしば論理的でない行動を取るのは、実は論理的に思考していないからだと考えるのが自然である。論理は人間の思考の説明原理の一つであって、けっして動作原理ではないのである。人間は論理で動いているのではないのだ。

僕はOSの専門家ではないので、特定のOS/ベンダに対して特別入れ込んだりしない。あるOSについてこれこれの長所があるから好きだとか、これこれの短所があるから嫌いだとか、学問的に分析したりしない。そもそもOSがどれもこれもまったくどうしょうもないほど使いづらいのは分かりきったことで、理想とするレベルから見ればみんな五十歩百歩なのだ。良い悪いは単なる趣味の問題と割りきっている。怠惰な僕にプログラミングの意欲を与えてくれさえすればそれで十分である。デバッグの勇気まで授けてくれればもう言う事はない。OS/2は僕にとって許容できる数少ないOSの一つだ

OS/2には(無くても困らない過去のシステムの)互換性重視、堅固なスレッド回り、(ほとんどのアプリから利用されていない)オブジェクト指向デスクトップという個性がある。他のOSにない個性が存在すると言うことは、その個性について好き嫌いは別として、個性がアルということはそれだけで評価に値するといっていいと思う。ここまではとりあえず納得していただけると思う。それから先の部分、何故OS/2が好きなのかはもう自分でも説明が付かない。よく指摘されるアプリの少さ等はまだなんとか許せる種類のものである。少なくともWindowsでの同一ジャンルでのソフトのみんな同じコントロールを使うが故の同じ使いづらさに悩むよりも、ソフトそのものが無い事に悶える事の方が楽しい。アプリが多い方が楽に決まっているが、OSとしてはOS/2の方が好きだ。責任を持っていえるのはココまでである。

ここで言いたかったことは、OSなんてそう大したことが無い、という事である。そもそも趣味なんだから、「アプリが少なくて使えない」「ドライバが無くて使えない」OSを何故使ってはいけないのだろう。何故みんなが使っている物を使わねばならないのだろう。何故不便な物を使ってはいけないのだろうか。そもそもそういう事を楽しんではいけないのだろうか。だって、どうせ今のOSなんて大して使えないのだから。買物に代わりに行ってくれない。子供が熱を出している時に、医者につれてってくれない。気の効いた会話をしてくれる訳でもない。そういうレベルから見れば所詮使えないんだし。携帯の方がよっぽど気が効いている。

論理的に「それは間違っている」と指摘する方は大量にいらっしゃるだろう。でも、僕はまったく平気である。彼らには論理的な議論しか出来ないから非論理的な僕を納得させることは出来ないに決まっているからである。

OS/2はごく普通のOSであるけれど、(無くても困らない過去のシステムの)互換性重視、堅固なスレッド回り、(ほとんどのアプリから利用されていない)オブジェクト指向デスクトップというという愛すべき特徴がある。

だから僕はOS/2が大好きだ