blowing wind Daily Essay
* [Vol.0] 1999年8月以前のエッセイ

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* 0929:正しきもの
* 0921:3という数 〜the balanced triangle〜
* 0920:2という数 〜the world of two colors 〜
* 0820:1という数 〜Simple is Best〜
* 0202:自分〜Myself, and Yourself 〜
* 1223:1+1=不定形


0929:正しきもの

 誰もが自由に自分の意見を持てる世界において、「正しい」とは何かという問いがあったとしたら、それに対する返答は、より多くの人が「正しい」と認めたこと、である。

 自分一人が「正しい」と思っていても、皆がそれを「正しい」と思うとは限らない。それゆえ自分が「正しい」と思っていることを、他の人にとっても、組織にとっても、社会にとっても「正しい」と認めてもらうためには、多数決や投票、選挙といった方法によって、より多くの人々にその「正しさ」を認めてもらわねばならぬ。そして時には、他の「正しい」ことと戦わねばならぬ。そんな熾烈な「価値観合戦」を勝ち抜いたものだけが、真の「正しさ」を手に入れることができるのだ。

 しかしこの「価値観合戦」を勝ち抜いた価値観が、人間全てにとって普遍的に正しいことーもしあるとすればだがーであるとは限らない。むしろこの合戦を勝ち抜くのは、多数決や選挙といった方法を巧みに利用し、あるいはその裏をかいてきた、「戦略に長けた」価値観であるかもしれない。

 どんな価値観が勝ち抜くにせよ、「勝ったものが正しい」ということだけは紛れもない事実であり、そしてそれはいつの時代もいかなる地域でも変わることのなかった、普遍的な真実なのである。

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0921:3という数 〜the balanced triangle〜

 2という数を利用し、また2という呪縛を受けながらも、人はその数の持つ恣意性・危険性に不安を抱いていた。そして人はその2という数に1加えることで、それらのものを排除した公平なバランス感覚を得ようとした。 審判、調停者、裁判官といった言葉で表されるように、「第三者」という存在は一定の公平性を与え、それゆえそこには絶妙なバランスが生み出される。「3人よれば文殊の知恵」「永遠の三角関係」「三つ巴の争い」という言葉は、3という数の持つ絶妙なバランスをうまく表した言葉といえよう。「分かりやすさ」「公平さ」という異なる満足を得ようとする人の心は、3という数の出現によってとりあえずの平穏を得たのである。

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0920:2という数 〜the world of two colors 〜

「たくさん」なものを「たくさん」なままに理解することはできない。それ故「たくさん」なものを理解しようとした時、人はその「たくさん」なものをいくつかのグループ、要素に分けて考えようとする。そしてその時2という数は、人にとって最もわかりやすく、都合の良い分け方になる。

敵と味方、善と悪、自分と他人、男と女…はるか昔から、人はたくさんのものを2つに分けてきた。たくさんの中に、対立する二つの要素を見出してきた。時に人は、そのあまりにもはっきりとした「二項対立」を避け、その裏に隠された複雑な要素を掘り起こそうとも試みたが、時の権力者や、あるいは自分自身にすらもその行為は否定された。人に「分かりやすさ」を求める心がある限り、人は2という数の呪縛から逃れることはできないのだ。

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0820:1という数 〜Simple is Best〜

 人間にとって一番わかりやすい数は1という数だ。たった一つの意味、たった一つの法則、たった一つの神、それが人間にとって一番理解しやすく、都合のいいものだ。Simple is Best = Single is Best。1が2となり、2が3となり、その1という数からどんどん遠ざかっていくほど、物事は難しく、複雑になっていく。人間にとって「たくさんある」ということは、ある意味では「なにもない」に近い。

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0202:自分〜Myself, and Yourself 〜

自分は自分である以上

自分として生きていくしかない。

それならば人は

自分というものをしっかりとあるがままに受け止め

そして自分という存在として精一杯生きることが

大切ではないのだろうか

人はどうあがいても

神や他の人間にはなれない

しかしそういったものと同じくらい

自分とは素晴らしい存在なのだ

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1223:1+1=不定形

 数学では1+1=2である。しかし実際はこの当たり前に思えることがなかなかうまくはいかない。例えば個人の技術としてはぴかいちの野球選手が9人集まったからといって、そのチームがとつもなく強いチームかというとそうはいかない。個性ややり方が対立して、かえって弱くなってしまうことだってありうる。逆に一人一人はそんなに上手でなくても、チームワークがしっかりしていればすごく強いチームにもなりうる。すなわち1+1=不定形なのだ。

 二つ以上のもの、二人以上の人間がいるとき、それが単純に足し合わされることは滅多にない。下手すればマイナスになるだろう。しかし逆にうまく調和すれば、それは10にも100にも、いやもしかするとそれ以上にもなりうる。「2人いればいざこざが起こる。しかしその逆だってありうる。」昔こんな言葉を耳にしたが、まさしくその通りだと僕は思う。

 今の世の中には色々と対立しているものがある。国と国ともそうだし、あるいは「自然」「科学」といったものもそうだろう。これらはものがものだけに調和させるのはかなり大変だが、しかしそれだけこれらが調和した時、1+1=∽のパワーを発することだってありうるだろう。けれどもこれが1+1=-∽となることはないようにしなければならない。少なくても1+1>0でありたい。

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