自然と生物
地球環境と人間の付き合い方



奇跡の星、地球

最近、地震が多発している。北海道では有珠山の噴火間近とのことである。科学技術が進歩したとは言っても、異常気象や火山活動には手も足も出ない。しかし、これらの事象は地球から見ると極めて些細な、一瞬のできごとである。おそらく、地球にとって大事件だったのは、何処からかの天体により分裂させられ、月を生じた時であっただろう。地球存亡の危機であった。これなら地球にとって「大変」な出来事であり、もちろん生物が生き残ることは絶望的である。

もっと視野を広げ、宇宙的規模で見ると、我が太陽であっても、文字通り星の数ほどあるなかのひとつの星に過ぎず、その生死も日常的に起こる些細なことである。

現在の地球は、これらが起こる時期の中間にあり、地球ないし宇宙的規模から見た一瞬の期間に位置しているのである。もしかすると、地球にとっては人類は不要なものなのかもしれない。人類は地球から得るばかりで、地球にとってはパラサイトなのだから。

とはいえ、人類を生んだのもまた地球である。そのつもりが無かったにしてもである。

それは地球が偶然に、我々にとっては奇跡的ともいえる条件を満たしているためである。それは水が存在したことである。固体である氷や気体の水蒸気ではなく、液体たる水である。水が存在するためには、温度が重要である。それに、水は実に奇妙な、他の液体とは異なる変わった物質であったこともある。

読者の中には大気(酸素)も必要と思われるだろうが、生物が誕生した際には酸素は殆ど存在せず、酸素自体が当時の生命体にとって猛毒であった。しかも、酸素は海に解けていたカルシュームや鉄と化合し沈殿させてしまう悪役である。我々にとっては骨や血液に無くてはならない物質を減らすのであるから大変で、フロンガスがオゾン層を壊すどころの騒ぎではない。なお、オゾン層が当時無かったのは言うまでも無い。

つまり、現在の殆どの生物にとって必要なものが、太古に存在していたわけではなく、地球にとっても、必要なわけではない。

しかし、我々は存在している。地球に見捨てられる前に、自ら必要な環境を守らなければならないのである。そして、地球が唯一送ってくれた水を守ることが急務なのだ。



奇妙な物質、水

あらゆる液体物質のうち、子供が最初に気づくのは水である。アルコールや油も身近だが、水には及ばないだろう。最もポピュラーな液体であることに異存はない。

しかし、水こそ他の物質とは異なる性質を持っている、変わった物質なのである。

まず、殆どの物質と化学変化を起こさない。その代わり、殆どの物質を溶かし込むことが出来るのである。化学の実験で、色々やったが、水自体を化学変化させるのは電気分解だけであった。しかも、他の化学実験の多くは、水溶液とした後に実験している。水は溶かした物質の性質をそのまま残してくれるのである。

また、氷が水に浮くということが実に変わっている。学校で習ったとおり、物質を構成する分子や原子は温度によって運動している。その運動量は温度が高くなるほど大きく、低くなれば小さくなる。例えば、空気は暖めると軽くなり上昇し、冷めると重くなり下降する。つまり、常温から見ると、暖めると膨張し、冷やすと縮むのである。気体だけでなく、液体も同様であるし、固体においても、鉄道の線路がそうであるように、同様の現象を起こす。したがって、固体は液体に沈まなければならない。しかし、氷は水に浮くのである。

水は0℃で凍り、最も体積が小さくなるのは4℃の時である。小学校の高学年なら知っているだろう。なぜそうなるかは、中学校で「水素結合」と習った。水素結合により、氷は水に浮く。他の物質とは異なる性質である。この性質がないと、氷はどんどん海底に積もり、やがて海は大気や日光により暖められる海面近くしか液体でなくなってしまうだろう。

海はあらゆる物質を溶かし込み、液体のまま存在したからこそ、生命が誕生したのである。もちろん、必要な他の物質が存在し、温度も適当であったのも偶然の奇跡だっただろう。これは、地球を構成する物質とその比重、地球自体の大きさが、適切であったため、大気を留められたためである。ひょっとしたら、月誕生のジャイアントインパクトがなかったら、生命は誕生しなかったかもしれない。



水を守るということ

人間が生きていくためには、1日2リットル(食物含有分含む)を摂取する必要がある。洗面、入浴、炊事、洗濯、植物栽培なども必須で、水を使う。掃除にも水が必要な場面もあるし、洗車や水撒き、果ては水洗トイレにも水を使う。水が無くては生きていけない。

その殆どは、汚染されていない清浄な水である必要がある。できれば、他の生物をも含有しない水が望ましい。ある程度までは、濾過や殺菌で対処可能であるが、化学物質を除去することは困難である。水を汚してはいけないのである。

水が汚染されるのは3箇所においてである。

まず、家庭や工場などによる排水である。これにより、川が汚され、海が汚染される。宇宙から見た地球が青かったのは昔の話で、都市部の海は汚染により汚れた色をしているのをテレビで見たことがある。次は、森林である。雨が降っても、山や森林が汚染されていると、川の水に溶け込む。田畑やゴルフ場の農薬や、森林伐採による赤土流出などがこれにあたる。最後は、大気である。地面、川、海の水は蒸発し、雲となり、雨となって再び地表に戻ってくる。大気中の物質も抱え込むのであるから、大気が汚れると雨も汚れる。亜硫酸ガスによる酸性雨、自動車文化によるアスファルトやすすなどの埃も自然な状態ではない。火山が亜硫酸ガスや火山灰を噴出するのとは異なり、全地球的規模で進行しているのだから始末が悪い。もっとも、地球が本気で火山活動をしたらそれどころではないが。

もうひとつの観点は、水を水としておくことである。つまり、気温変動を抑え、水蒸気量と氷の量を一定に保つのである。気温、すなわち地表が得ている熱の多くは太陽からもたらされる。これに地熱と人類が作り出した熱(=消費したエネルギー)が加わる。これらによってもたらされた熱は、宇宙に放射される。その均衡が保たれる必要がある。人間の作り出す熱など全体から見ると些細なものであり、太陽熱が阻まれること無く地表に届き、適切に放熱する状態が重要である。人間がエネルギーを得るために排出する二酸化炭素の方が悪影響を及ぼすのだ。

これらは、化石燃料を消費することによる汚染が大きい。そのため、原子力発電がクリーンエネルギーと呼ばれている。いや、原子力発電を所有する組織が自ら呼んでいるだけであり、核物質は決してクリーンではなく、放射能は有害であるし、プルトニュウムは猛毒である。クリーンなのは風力・地熱・波力・太陽エネルギーなどの自然エネルギーである。

水を守るには、工場排水・生活廃水をクリーンにし、使用するエネルギーも真のクリーンエネルギーである必要がある。帆船は風力を利用していたし、温泉は地熱である。昔の生活に戻れば可能なのだが、そうもいかない。やはり、太陽エネルギーをなんとかしなければならないだろう。



進むべき道

生活を昔に戻すことは無理である。家庭では排水を少なく、かつクリーンに、工場は更に有害物質ゼロにするよう目標を立て実践する必要がある。農業においても、農薬や肥料を研究開発しなければならないし、消費者も虫食いのあるキャベツなどを受け入れないとならない。虫食いはいやだが、農薬は使うなでは現実的ではない。虫も食わない野菜を食べさせられているのだから。

発電を太陽熱・太陽光に移行し、交通媒体もその電力によるべきである。もっとも、数十年後には必ずそうなっているのはわかっている。なぜなら、宇宙開発が進み、月や火星で使用できるエネルギーは太陽エネルギーであるからで、月や火星には石油や石炭は無く、原子力発電に必要な水もないため、利用技術も進歩せざるをえないからである。

原子力発電の温排水により日本海が温まっている。そのため柏崎では降雪量が減った。筆者が子供のころの3分の1以下であるし、昔は真冬に雨など降らなかった。因果関係を調査した訳ではないが、そんな気がする。

戦後まもなくの国会議員選挙で演説する田中角栄元総理をテレビで観た。「山を削って雪雲が全部関東に流れるようにして、雪が降らないようにし、削った山で日本海を埋めて佐渡を陸続きにしよう」というものであった。むちゃくちゃである。

世の中が変わったとはいえ、それくらい大きなことが言えないと、原子力発電に依存し続ける体質を変えられないのではなかろうか。

生物は自然に依存しなければ生きられないのだから、自然を利用し、自然が自然であった時代を取り戻さなければならないのである。人類は地球のパラサイトなのだから。




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