地球外生命体



生命の起源

地球は生命に溢れている。人間でさえ、なぜこんなところに住んでいるのかと思うくらい、過酷な環境に適応している者がいる。微細な生命、バクテリアやウィルスならなおさらである。

化学が未発達の頃、物質を無機質と有機質とに分けていた。無機質は鉄や食塩などであり、有機質はアミノ酸や蛋白質などの生命しか作り出せないものとされていた。ちなみに蛋白質の蛋は中国語では卵のことであるから、蛋白は日本語での卵白のことである。淡白な味わいとは関係ない。

このため、地球生命は地球外から到達したとか、生命の材料となるものが地球外から来たと考えられたのである。しかし、現在では有機物が海中で合成されたことが分かっている。

地球の誕生がいつかは解明できない。金星や火星の調査を待たなくてはならないだろうが、月が出来たのは46億年前と推定されている。何か大きな物質が地球に衝突して引き剥がされた一部が月になったとする説が有力である。水星にも大きな衝突痕があるが、もう少しで砕けていたのではないかと思わずにいられない。ちょうどスターウォーズ・エピソード4のデススターのようである。(デススターのモデルが水星なのだろう)

46億年前の衝突により、地殻は破壊させ、マントルが剥き出しの火球となっただろう。やがて表面が冷え、地殻が形成されるころになると、水蒸気も冷えて海となった。水は地表にあるあらゆる物質を溶かし込んだ。現在の海水と異なり、塩分は薄く、逆に鉄は多く含まれていた。そして、雷や波の力で生命の元となる物質が合成されていった。

生命の最初のものは泡のようなものだった。そこから壮大な進化の歴史が始まった。初期の生命体はシアノバクテリアの類だった。人間は酸素がなければ生きられないため、生命には酸素が必要だと考え勝ちだが、生命の起源は違うのだ。我々にとってシアン化合物が猛毒であるように、彼らには酸素が猛毒なのである。やがて、酸素を放出する生命が誕生し、彼らは数を減らし、現在のように酸素を使用する生命が栄えたのである。

進化は、環境による変化と捕らえ勝ちだが、逆に環境に適合したものが淘汰されたのであって、その変化は遺伝子の突然変異によるものと、ウイルスなどによる変化がある。ウイルスはいわゆる病気を引き起こすが、それに耐えたものが生き残るのであって、たとえば体毛が生えない病気や尻尾が短くなる病気によって、裸の尻尾のない猿が出来上がる。

それら進化も含め、すべてがDNAという設計図になっている。生命の究極の目的は子孫を残すことであるが、それはDNAを保存することに他ならない。バクテリオファージは体内のDNAを他の生命体(大腸菌)に移し、その中でDNAや体を他の生命体を材料に自らを再合成するのだ。生命はDNAの容器でしかないと言えよう。DNAには遺伝子が含まれるが、これを解読するのがヒトゲノム計画である。ゲノムは遺伝子と染色体から合成された造語である。

なお、子作りを受胎目的以外で行うのは、本能ではなく煩悩である。



地球外に生命はいるか

答えは簡単である。いないとする方がおかしい。

全ては確立である。確立ゼロを証明するには、ひとつもないことを証明する必要があるが、ゼロでないことは、ひとつでも証明できればいい。すでに生命体が存在していることは確実であるため、生命が誕生する確立はゼロではない。地球という例があるのだ。

学者は人間を稀有な存在としたがる。SF作家はどこにでも生命がいると思っている。その中間が現実なのではないだろうか。

生命誕生に必要なのは、恒星に付属する惑星という土台と、水である。太陽系を見る限り、水は豊富であり、液体として存在している(または、存在していた)。地球の生命と同じ構成でなくても、生命が生まれる可能性があるだろう。

その生命体が、進化して知力を獲得するのは困難だろう。地球にはこれだけ生命がいるが、人間と同等な知的生命体はいないからである。もっとも、現在が最終段階ではなく、これからも進化は続くだろうから、知的生命体が現れる可能性はあるし、そのときは人類が消えていることも考えられる。

なお、筆者は、地球に生命が誕生したことより、宇宙が誕生した方が奇跡的だと思っている。そこには必然性がないからである。



宇宙人は地球に来ているか

もし宇宙人が来ているとすれば、目的と手段が必要である。殺人事件の動機と凶器にあたる。凶器が有っても、動機がなければ殺人は起きない。例えば、警官はピストルを持っているが、殺人は殆ど起こさないのと同じである。また、凶器があって動機があっても殺人に至らないことは数多い。自分の安全(警察に捕まることも含め)が確保されないからである。手段は人知を超えているから、推測のしようもないが、知的生命体は帰れる見込みがなければ地球になど来ないだろう。

人間と同じ形の知的生命体を宇宙人として考えているが、それはナンセンスだ。体毛と知性は無関係だし、鼻の形と知性も無関係である。三面六臂でも、手足がなくても知性とはまったく関係ない。形状は環境によるものであるからだ。だから、路傍の石ころが宇宙人かもしれない。

手段も姿も分からないが、目的は推測できる。侵略・友好、調査、ビジネス、観光、通りすがりのいずれかである。数千年にも及ぶ目撃を正しいとすると、観光以外に考えられない。侵略・友好は1回だし、調査は数回で済むだろう。星間航行可能なほどテクノロジーが進んでいれば、わざわざ未開の地球人と貿易などしないだろう。そんなに度々通りすがりが地球に下りるとも思えないからだ。

観光は、安全第一である。観光なら、サファリパークのように、自家用もあればバスのようなものもあるだろうから、大型母船から小型艇まであっても納得できる。マナーの悪い観光客が地球人にちょっかいを出すこともあるだろう。しかし、観光目的だと目撃証言とは食い違ってくる。宇宙人と遭遇した内容が調査を思わせるのである。

これでは、目的を観光とした推測か、証言のどちらかが間違っていることになるが、推測に盲点はないので、証言が間違っていることになる。筆者が調査員なら絶対に船内には連れ込まない。どんな病原菌に汚染されるかわからないからだ。専用施設を設け、事件の後は施設を放棄する。手術用手袋や注射器と同じだ。

宇宙人は来ていないとすると、すべて解決できる。証言者が嘘を言っているか、勘違いしているかのいずれかである。この点については、ネッシーや幽霊と同じであるが、これらはいるかどうかが定かでないのに対し、地球外生命体はいるが地球には来ていないのである。おそらく、臨死体験と同様に、夢と現実の区別がつかない状況だったに違いない。

証言の多くは、その頃テレビや映画などで見たものや、一般に信じられている内容のものばかりである。通常ならば事実は小説より奇なりのはずが、こういったものは、小説の範囲を超えていない、いわゆるありがちな物ばかりである。

大人になると夢と現実は区別しやすいが、脳の状態によって異なってくる。病気で高熱が出たときや、飲酒により酔っているときには特に判然としない。酒を飲んで記憶が飛んだり、事実を誤認することは多い。車に乗っていて、UFOや幽霊を見たという人は多いが、そのとき酔っ払っていたとか、覚せい剤やシンナーでラリっていたとは言えないから、不思議な体験だけを他人に話すこともあるだろうし、酔っていなくても、瞬間的に目の隅に捉えた画像を、脳が既知の物に強引に意味付けをしてしまうため、誤認することも多いのである。




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