憲法を考える



憲法 第九条

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

この条文で議論されるのは自衛隊問題である。自衛隊は戦後『警察予備軍』として誕生し、自衛隊となったものであるが、いくら『専守防衛』と言っても、誰が見ても軍隊であり、戦力である。どんなに詭弁を持ってしても、第2項には違反しているのは確実であり、議論の余地などないのである。

ただし、これは『国が保持』したり『国が交戦』をすると憲法違反であるが、民間企業なら完全にフリーである。つまり、自衛隊の分割民営化により憲法違反は回避可能である。

また、国際紛争の解決としての戦争及び武力による威嚇・行使を禁じている点もミソである。戦争を抑止するための武力は認められていると読み取れるし、国際紛争でない国内紛争なら武力が行使できるのである。つまり、先に併合し、日本の領土としてからなら武力行使が可能であることを示唆している。

筆者が子供の頃、アメリカと戦争をしたというのは信じられなかった。勝てるわけない相手に喧嘩を売るのはありえない。それを自殺行為という。だから、戦争は実際にはなくテレビドラマのことで、他の皆が自分を騙していると思っていた。その頃の自衛隊は、子供の筆者にとって、怪獣相手にただやられるだけの弱い存在でしかなかったし、アメリカはコンバットの強い軍隊だったのだから。



憲法 第十四条

第十四条 全ての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
以下略

これは『法の下に』平等であって、完全に平等とはなっていない。法の下での平等とは『裁判においては』であろう。つまり、裁判にまで持っていければ平等であるが、そうでなければ平等でなくとも憲法には違反しない。

裁判にならないような差別とは、公にならない差別で、言葉で差別的表現を言うくらいだろう。なお、必ず1対1でしか言ってはいけない。第三者が存在すると名誉毀損(刑法230条)や侮辱(刑法231条)にあたる。また、その際に、監禁や脅迫その他の犯罪ににならないようには注意しなければならない。もし、それでも訴えられたら、『記憶に無い』や『間違った解釈で、誤解だ』で不起訴確実である。

ちなみに、会社や学校で、皆の見ている前で怒られた場合に、名誉を傷つけられたとか侮辱されたと感じたら、訴えられる。こちらの受け取り方だけで侮辱罪は成立するのである。



憲法 第十九条、第二十条、第二一条

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
A何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
B国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第二一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
A検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

このあたりになると、他の法律も多く絡んでくる。特に性表現については以前より議論が絶えない。猥褻物頒布(刑法175条)となることもあるため、出版社や映画その他のビデオ会社は自らチェックしなければならない。映倫(映画倫理委員会)を通らないと映画を上映できないが、映倫自体が民間団体であり、国の検閲にはあたらない。もちろん、映倫を通っても猥褻であるとされれば罪に問われる。なお、憲法でいう表現の自由を猥褻物まで拡大解釈するのは、戦争の放棄を専守防衛なら可能とするのと同じレベルであるといえる。

森首相は滅茶苦茶な言動と行動で、筆者自身も最初は辟易したが、最近は苛められ過ぎてかわいそうに思えてきた。よく考えたら、たいしたことは言っていない(くだらないともいう)からだ。彼がその辺にいるおっちゃんなら誰も問題にしない。首相というのは国でもないし、その機関でもない。むしろ、言いたいことが言えない国はなおさら良くないのではないだろうか。石原東京都知事の方がよほど過激な言動をしている。

靖国神社参拝が問題視されるが、宗教行事に参加することを強制されることを禁じているのであって、参加するのはもちろん自由である。野党はちゃんと憲法を読んでいないようである。天皇を頂点とする神の国というのも、彼の思想であり、それを妨げることはできない。ただし、その思想を押し付けてはいけない。

思うに、首相も日本国民であり、思想も信教も自由である。立場を理解せず言葉が出るのは気質だから責められない。最近はその言動が楽しみでさえある。ただし、それと首相としての適正とは別問題である。

最近、外国人を外国の人、中国人を中国の人などの表現を聞く。外国人とは国籍法で日本人でない者を規定した法律用語である。中国の人というのは逆に中国人を差別している。なぜなら日本人やアメリカ人、フランス人というのは抵抗がないのに、中国人や韓国人という表現を差別と受け取っているからである。なお、英語でのニーズ(チャイニーズやジャパニーズ)は差別的表現である。ペキニーズ(犬の種類)など動物に付ける名称なのだ。






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