凶悪犯罪と極刑



極刑は必要か

ここでいう極刑とは、「死刑」である。

法治国家において、法は守らなければならない。破った場合は罪となり、罰が科せられる。では、人は何のために法を守ろうとするのだろう。

法を守ることが必要と思っているからか、罰が怖いかいずれかだろう。しかし、軽微な罪は日常的に犯されている。道路交通法は法律であるから、知らなかったでは済まされないはずだが、速度超過をしたことがない人などこの世にいないように感じる。軽犯罪法も軽い気持ちで犯していることがある。立ちションは酔っ払いがよくやっている。

これらが違反や犯罪であることは百も承知だが、罰が軽いため罪の意識がなく、また、バレなければ大丈夫という考えである。速度超過では、「ねずみ取り」で違反が発覚しても、職場では笑い話になり、運が悪かったということになってしまう。しかし、「人を殺した」と言うと、一部の人を除いて、笑っては済まされないことになるはずである。暴力団で抗争相手のタマを取ると褒められるだろうし、医者では褒められないまでも、「くよくよするな」くらいで済ますようである。

やはり、罪や罰の重さを考慮している。

つまり、大罪とは極刑により定義されているのである。

人をひとり殺すのもふたり殺すのも同じだと、ドラマなどではうそぶく人がいるが、大間違いである。人数が増えれば当然、罪は大きくなる。どうせ、死刑になるなら同じだというなら当たっている。こういうと、死刑がない方がそうならないのではないかと反論されるだろうが、同じことである。無期懲役でも終身刑でも、それが最大なら、どうせ終身刑なら同じことである。しかも、塀の中にいれば衣食住は保証されるし、被害者から追いかけられたり、命を狙われることもない。

筆者は極刑は必要だと考えている。例えば、こういうのはどうだろう。

被害者遺族などに希望者がいればそれも含め、被害者ひとりにつき1発の銃弾で射殺するのである。頭部および心臓には当たらないようにする。これなら殺した人数により苦痛が増大するだろう。

酷いと思われるかもしれないが、これが被害者遺族の気持ちなのではないだろうか。

それに、これは何のことはないパクリである。クリスティー女史の「オリエント急行殺人事件」は、被害者の少女デイジーとその母、その事件により自殺に追い込まれたメイドの関係者など12人が、順番にひと突きずつ、罪を逃れた真犯人、カセッティーにナイフを突き立てるのである。結果、カセッティーの死体には12の刺し傷が残されたのである。その行為は凶悪であるが、その心情に鑑み、ポアロはこれを見逃すことを望むのである。

犯人の人権により、被害者が軽んじられるのはおかしい。被害者や遺族の気持ちを考えると極刑は必要である。死刑廃止論者は、自分の身内が全て惨殺されても、極刑は望まないと言い切れるのだろうか。筆者には信じられない。「犯人を自分の前に連れてきてくれたら、自分が殺してやる」と言う方が自然である。



極刑は人を犯罪から遠ざけるか

これ以上の罪を犯すと死刑になると分かって、手を止めるだろうか。よしんば、警察などの説得中に、そう諭されたとしたらどうだろうか。

もし、最初に死を覚悟して犯罪を犯したなら、何の意味も無い。通常、捕まっただけでも社会的な打撃は大きい。有罪で、たとえ数年でも懲役となれば、元の職場には戻れないだろうし、夢も希望も吹き飛ぶだろう。懲役が別荘だという人々でなければ、死んだ方がマシなのではないだろうか。

裁判になると、やっぱり死にたくないと思い直すのは当然である。だから、反省したふりをするし、理由をつけて情状酌量を願うのである。捕まる時点までと考えが変わるのだ。

犯人が自殺するのは、逃げ切れないと思った時である。裁判で懲役が確定したときではないし、死刑が確定して死にたいと思うことは絶対にないだろう。死ねるのだから。つまり、罪の意識から自殺するのではなく、現実逃避としてである。

少年犯罪において、何をしても死刑がないから罪を犯したという者がいる。ということは、死刑があれば罪を犯さなかったことになるのである。死刑は必要なのだ。

某有名女優の次男が、性懲りもなく覚せい剤を使用して捕まった。何が悪いといって、罰が軽すぎるのである。国によっては彼は死刑になる。日本では死刑にできないのが残念だが、連日報道されるほどの関心度であるのだから、通常より重い罰を与えるべきである。一罰百戒が法のよりよい姿である。インターネットで、音楽を不正に配信しているサイトがひとつ検挙されると、他のサイトも潮が引くように姿を消すのである。若者の薬物使用を減らすためにも、絶対に執行猶予などあってはならないのだ。

簡便な方法もある。大金を持たせて、タイに送り込むのである。金があればドラッグに手を出すだろう。タイでは麻薬により死刑もありうる。麻薬所持で終身刑になっている日本人もいるのだ。間違ってもオランダに行かせてはならない。かの地ではソフトドラッグは合法なのである。

筆者は煙草を吸う。合法だからだが、もし、煙草を吸うと死刑になると法律が変わったら、すぐに止めるつもりである。煙草は健康を害するというが、死刑よりはマシである。煙草程度で死刑になっては間尺に合わないからだ。だから、軽微な罪でも罰は重くすべきである。

いつも思うのだが、政治家や公務員が罪を犯したら、すべて死刑でいいのではないだろうか。まず、国会議員で試験的にやって欲しい。国会議員がその職に関する罪を犯したら死刑にするのである。誰もそんな法律を立法しようとはしないだろう。ということは、自分が罪を犯す可能性を否定していないことに他ならない。そんな連中に国を任せていいのだろうか。

江戸時代、「10両盗むと首が飛ぶ」のだ。今の金額で100万円ほどである。盗みを9両で止めておこうとするのも愛嬌である。江戸城の御用金を私利私欲に使えば、お家断絶で切腹だ。今の内閣機密費はいくら使っても大した罪にはならないらしい。300円で懲戒解雇されたJR職員が可哀想ではないか。




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