プルサーマル発電は必要か



プルサーマル発電とは

普通の原子力発電にはウランを使用する。

原子番号103のウランは原子量235が主であるが、中に原子量238の同位元素が存在する。ウラン238は放射性があるため、放射性同位元素、ラジオアイソトープという。自然界にも存在するが、ウラン238の含まれる割合は低い。

ウランは自然界で最も重い元素であるため、これを砲弾として用いると貫通力に優れた威力のある火器となる。劣化ウラン弾という名前で、実戦配備され実使用されている。当然、放射能があるため、兵士や住民に放射線障害が現れ問題となっている。なお、放射能とは放射線を出す能力のことであり、放射性物質や放射線を浴びて自らも放射線を出すようになった物質を表す。

ウラン238を集めて、その割合を高めることを濃縮という。核爆弾(原爆)を作るには極限まで濃縮する必要があるが、原子力発電ではそれほどでもない。以前にバケツでの臨界事故は、この濃縮過程で高純度になりすぎたために起きたものである。

放射性元素は核分裂により他の元素(鉛など)に変化する。自然にも放射性同位元素は核分裂するが、一斉に崩壊するのではなく、ある確率で崩壊していく。これを半減期として表す。半減期とは放射性同位元素が半分に減るまでの時間である。炭素の放射性同位元素炭素14(C14)は動植物の年代測定に用いられていることは有名である。一方、更に放射性物質となるもものもあり、原子力発電ではプルトニュウムが合成される。

プルトニュウムも放射性があるため核爆弾や原子力発電に使用できる。その性質はウランに比べより激しい核分裂をするため、核爆弾としては威力が増すばかりか、猛毒でもあるため、その毒性によっても敵を死に追いやることができる。

原子力発電では、ウランとプルトニュウムの混合燃料を使用すると、使用したプルトニュウムよりも多くのプルトニュウムを得ることができる。使えば使うほど燃料が増えて行くのであるから、まさに夢のようである。この原理を使用したのが、高速増殖炉もんじゅである。

現在計画されているプルサーマル発電とは、ウランと低濃度のプルトニュウムを混合したMOX(モックス)燃料を、ウラン用の原子力発電所に使用しようとしているのである。これは灯油用ストーブに、ガソリンが余ったから入れようというのと同じである。少しくらいはガソリンが混ざっても大丈夫だという論理で実施されようとしているのである。一般家庭では消防署が聞いたら火を噴いて怒りそうなことを、国が認めているのだから驚きだ。



プルサーマル発電が必要な理由

国や電力会社および原子力発電所は、ウランは限られた資源だからプルサーマルが必要だという。しかし、ウランは余っているのである。なぜなら、原子力発電が世界的に廃止の方向にあるためである。日本はあと何百年も原子炉を使用するつもりなのだろうか。ひとつの原子炉はそう長年は使用できない。コンクリートを使用しているため、劣化するからであり、使用後の施設は、更にコンクリート詰して未来永劫封印しなければならないのである。もちろん、その場合、他の原子炉が必要になる。

ヨーロッパなどで原子力発電が廃止されて行く中、なぜプルサーマルが必要なのだろうか。

ひとつは、プルトニュウムが大量にあるからである。ウランを使用すると出てくるプルトニュウムは核のごみである。核廃棄物として保存しなければならないが、使用すればその分コストが削減できる。

また、原子力発電所に掛かった費用を回収し利益を増やすためには、永く使用することが必要となる。

最大の問題が、それに替わる発電ができないことである。なぜ、できないかというと、その研究が海外に比べ遅れていることと、それに関する費用が掛かるためである。

以上の理由を見ると、すべてが電力会社の利益優先主義によるものだと解る。日本の仕組みは民主主義とは異なり、お金を持っている人間が優先されるようになっている。お金があれば、国会議員を買収し、思い通りにできることはKSD問題を語るまでもなく、国民周知の事実である。

原子力発電大国のドイツが原子力を遠ざけ、自然エネルギー利用に切り替えるには国の英断が必要だった。電力買取法では、誰が発電した電力であっても、電力会社は買い取らなければならない。現在は改正され、買い取った電力を全国の電力会社で均等割りで支払うようになっている。もちろん、その費用は消費者に跳ね返るが、ひとつの家庭でひと月数十円だという。

その発電の主となるのは風力発電である。地域によっては電力の半分を風力発電で賄っているという。日本でも風力発電が研究されているが、電力会社に買取義務がないため、実用として受け入れられる体制になっていない。

プルサーマルが必要な理由、それは電力会社の利益のためである。国民の危険性は完全に無視されているのだ。



プルサーマルに危険は無いか

原子力発電は危険である。

その証拠に、都内には原発がない。

新潟から鉄塔を立て、長い電線を引いて都内まで引くのは大変なことだ。東京湾の「海ほたる」あたりに原子力発電所を作れば、費用はずっと安くなり電気も安く都民に供給されるはずである。電力立地法により、もちろん、地方自治体には莫大な額が支給されるが、付近住民にもお金が配られる。年間に数万円だが、毎年頂けるのは嬉しい。危険手当だろうが、それらは全て電力消費者が払っているのである。

そうまでして地元に原子力発電所を建設しないのはなぜだろうか。

国が認めないからか、住民が反対するからか。費用的には安くなるのになぜだろうか。なぜ反対するのか。

危険だからである。

それ以外に理由があるだろうか。

危険がないというなら、電力会社の重役はすべて原子力発電所の中に住んで欲しい。国会議事堂を原子力発電所に隣接して移転して欲しい。

絶対にそうはならないだろう。

原子力発電所があると、空港は近くに作れないし、都市化も進まない。一流企業が好き好んで原子力発電所の近くに来るわけがない。それどころか、経営不振でどこか支店や工場を閉鎖しなければならなくなると、危険だから真っ先に閉鎖されるのだ。

柏崎は、企業を誘致し、そのための人材を育てようと大学をふたつも建設した。不況と原発の危険から、企業数は減少の一途である。将来的に都市化が望めず、観光といっても海くらいしかないのだ。その海は近くに原子力発電所の冷却によって排出された温排水が流れ出す海なのだ。そこで、海水浴をしたいと思う方がおかしい。ゴジラやラゴンではないのだ。

原子力発電自体が危険であるため、プルサーマルで危険性が増しても変わらないらしい。

分かっている人は、逃げ出すしかないのである。

とはいえ、日本には多くの原子力発電所が存在している。

海外に逃げるしかない。

これは、小松左京氏の「日本沈没」と同じ結末ではないか。

このままでは、日本は破滅する。




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