人間はスケベな猿である



種の起源

ヒトは猿から進化したという。

正確には、猿の祖先とヒトの祖先が同じだということであるが、なぜ種が枝分かれし、ヒトになったのか、猿はなぜ猿のままなのだろうか。

色々な説があるが、説得力に欠けるものが多い。

進化ということひとつ取っても諸説ある。

進化で最も重要なのは、種の存続である。様々な動物において雌(女性)に選択権があることは重大なヒントである。DNAの意志には、より優秀なDNAを残したい、そのため優秀な個体を子孫としたいということが感じられる。DNAの意志とはいわゆる本能のことである。女性は最も気に入った相手の子孫を残そうとするのである。

生物的に見たとき、ヒトの系図は女性のものであり、男性とは多様な個体とランダムな性別生成のためのきっかけにすぎない。動物が動くには、エネルギーが必要であるが、そのエネルギーを体内で合成しているのはミトコンドリアである。ミトコンドリアは細胞中に存在し、エネルギーを合成しているものだが、独自にDNAを持っている。いわば別の生命体である。そのミトコンドリアDNAは、男性からは遺伝しない。全て母親と同じミトコンドリアDNAが伝えられるのである。

同じ種族の集団から、ヒトとなる集団と猿となる集団が別れたとすると、そこには女性の意志が働いただろう。自然淘汰だけではない何かがなければヒトはできないのだ。



ヒトは自然淘汰ではできない

進化論での自然淘汰とは、環境に適応したり、病気に強い種が生き残るということである。ヒトには体毛も尻尾もない。ヒトが最初からそうだったはずはないが、数百万年をかけて、そう進化したのである。これをウィルスによるものだとする説があるが、病的な理由だとすれば、全ての個体に感染し、その子孫だけになるだろうか。体毛があって普通であれば、ない者は阻害されるのが普通である。その時点ではヒトはまだほとんど猿なのだから。

環境や習慣により個体が直接進化することはない。猿を直立するように訓練しても猿のままなのだ。手で道具を使うようになったから、直立し、脳も発達したというのが定説である。しかし、猿でも道具は使う。脳の進化といっても知能であれば、環境や学習によりある程度は発達するだろう。DNAの変化を伴わなくとも、ひとつの個体が行った行動を学習して、集団全体に広まることが可能である。日本猿の餌付けにおいて、砂浜に撒かれた穀物や芋を海水で洗う習慣が起きた。砂は沈み、穀物や芋は浮くし、塩味も付く。

知能の発達が起き、その知能が選んだ種がヒトに繋がったのだ。

ではなぜ、直立が必要だったのか。



動物とヒトとの違い

形状的ではなく、知能的部分のうち他の動物とも変化がない本能的部分を検証すると、ただひとつのことに気づく。

交尾以外の方法で性行動を行うのである。

欧米での最もポピュラーな体位は女性上位であり、次が正常位であるという。女性上位は、交尾の形で男性が寝ている形でもある。女性が男性の足の方を向けばそのままの体勢に近いし、顔側だとしても大差ない。欧米でこれがポピュラーなのは、女性主導で動くことが可能だからだという。後背位(交尾)では、女性は受身になるが、女性上位では男性が受身なのだ。

色々な体位を楽しむためには、体を横たえることが必要だし、その際に真っ直ぐに背中を伸ばすことも重要である。また、直立すると体位のバリエーションも増える。

脳の発達がある程度起こり、性を楽しむようになると、色々な体位が可能な男性が求められる。それが淘汰となるのだ。

処女幕は動物にもある。生後間もなく消失するが、稀に残るものもある。しかし、そういった個体では強固な処女幕のため自然な交尾はできない。獣医がいれば切開できるが、自然界ではその子孫は残らないのだ。(参考:ムツゴロウの獣医修行)

ヒトの処女幕は柔らかく、成熟しても残っていることが普通である。これは淘汰の途中で、男性の意志が働くようになったことによることを意味している。

ヒトは男も女もスケベだから、ヒトになったのである。

人間はエッチなことを考える葦であり、スケベな猿なのだ。




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