靖国神社公式参拝



靖国神社とA級戦犯

元は明治天皇によって建てられ、その後、陸海軍部により管理される靖国神社となった。戦後、宗教法人化されたが、本質的には一般の神社とは異なっている。

ここに奉られるのは、軍属戦没者である。民間人には関係ない。

A級戦犯の合祀以降、その取り扱いが微妙になったのは確かである。

戦争責任は誰にあるのか。ドイツのヒトラーのように、この人物と特定することは日本においては困難だった。普通に考えれば、首謀者はその長たる天皇である。天皇により召集された兵士は、天皇の命により出撃し、天皇の名を呼び散っていくのだ。A級戦犯であることは間違いない。

しかし、そうはならなかった。日本を掌握するため、GHQは天皇を利用したのである。国民感情を抑えるため、人間という立場にしたに留まった。神から人間にである。ファンタジー小説のようである。

英雄と戦犯は同じものである。勝てば官軍、負ければ賊軍なのだ。

現在、したり顔で、戦争は良くないと言う人がいるが、当時はそうは言えなかった。そう教育されているし、法律でも肯定されていたのだから、反戦は非国民であり、犯罪者だったのである。

日本からみれば、A級戦犯は犯罪者ではない。どちらかと言えば、お国のためによりがんばった人たちである。戦勝国が勝手に決めたことで、国内において、A級戦犯を犯罪者のように言うのは間違っている。たまたま目を付けられた軍人に過ぎない。速度超過でネズミ捕りに引っかかったら、犯罪者とは言わなず、運が悪かった程度で済ましていないだろうか。30Km以上超過したら、裁判所に行き罰金を払うのにである。

戦争は望ましくないが、現在も起きているのは事実であるし、日本を戦争しないように教育したアメリカは、世界一戦争好きな国であることを忘れてはならない。反戦論者の多くはアメリカの洗脳によるものなのだ。だから、相手が襲ってきてもどうするか考えられないのである。ある意味、レイプ反対を唱えているようなもので、レイプされようとしたら、どうするかを言っていない。女性が護身用の武器を所持するこは、日本での自衛隊の存在に等しいのである。

また、特定の宗教法人というが、前身が明治天皇によるものであり、一般の宗教法人とは歴史的に異なっている。宗教と政治を分離するのであれば、真っ先に、公明党を排除すべきであろう。公明党の発言も、公明党を廃止しない限り、受け入れられるものではない。



隣国との関係

中国や韓国が歴史や靖国参拝に意見するのは、言いやすく、自国民を納得しやすいからである。

同じようなことがアメリカでもある。鯨問題である。

鯨のことは、彼らはどうでもいいのだ。鯨により日本をバッシングしやすくなるのである。黒船来航は捕鯨のための寄航地を確保するためであったし、現在も他国は捕鯨禁止となっている種類の鯨をアメリカでは捕っている。

中国や韓国も、現実的にはどうでもいいのだ。日本を叩くことを国民に見せることで、自国の優位を印象付けるのである。そして、それはエスカレートすることはあっても、消え去ることはないだろう。

いつかは日本と対立せざるを得ない。ずるずると引きずるより、一気に決着を付けるべきである。戦争ではない。話し合いでである。

もちろん、平行線だろう。しかし、日本が折れる必要は全くない。

日本は経済しか武器がないのだから、経済的にダメージを与えることになる。

中国や韓国に対し、経済封鎖や輸出入禁止をしても、さしたるダメージは日本は受けない。安いそれらの製品が入らなくなるだけで、国内需要は増加し、結果的には経済復興に繋がるだろう。

日本が本気で怒れば、困るのは向こうなのだ。

なお、戦争を危惧する人もいるだろうが、可能性はない。小競り合い程度は可能性もあるが、全面戦争には発展しないだろう。

逆に、それを見た他の隣国は、日本との友好を深めるチャンスに映るだろう。

いつまでも我慢して爆発するより、この辺で決着を付けておくべきである。小泉首相は、それができる人だし、石原都知事も応援してくれるに違いない。

中国や韓国がゴネるなら、もっと別の友好国を探すだけである。



靖国公式参拝

したければすればいいし、したくない人はしなければいい。

つまり、どうでもいい、瑣末な問題なのである。

政治家は、票が取れるように動くだけだから、そこに主義主張は殆どないのである。戦争や戦没者について云々するのも、票のために過ぎない。

筆者が問題として取り上げるのは、隣国の干渉に対しての憤りからである。それが靖国参拝でも捕鯨でも同じことである。

外国からの圧力に屈するような弱い国にはなって欲しくない。強い日本であって欲しいのである。

主義主張ははっきりと伝え、対等な立場で話し合いをして欲しいのだ。

靖国神社公式参拝を公言したからには、首相は参拝すべきであり、それをきちんと反対している人や国に伝える義務がある。

それくらい納得させられないなら、骨太の構造改革とやらは納得させられないだろう。病気を薬で散らすのではなく、手術しようというのだから、インフォームドコンセントは当然である。

なお、民間人戦没者も含め、神社という神道風ではない、別の国の平和祈願施設を作るのが手っ取り早い。場所は横須賀でいいだろう。




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