さらば長嶋監督



戦後野球界を支えた男

昭和33年、丁度日本が戦後の混乱期を終え、好景気に沸き立つ頃、立教大学から東京六大学リーグのスター、長嶋茂雄がジャイアンツに入団した。

翌34年には、早稲田実業から王貞治が入団し、輝けるON時代が始まったのである。

選手時代、長嶋はトップスターだった。

最初の監督時代、2度目の監督時代とも、スターであり続けた。

昨年、背番号を「3」に変えたとき、監督であるにも関らず、その背番号を見ようと、観客やマスコミが殺到したのは記憶に新しい。そんな人間は、選手でもいないだろう。日本中の子供がサードで背番号3を希望した時代から変わらない人気なのだ。

長嶋の魅力は野球以外にも多くある。それは人柄からくるものだろう。

試合に負ければ悪口をいう者もいるだろうし、解任だ、辞めさせろという声も上がる。しかし、そういう人は、巨人ファンであり、それは長嶋抜きには考えられないのだ。本気で辞めて欲しいと願うファンなどありえない。

監督を中断していた時期、スポーツキャスターとして活動していた。あのリポートでキャスターが勤まるのは、日本中で彼だけである。要するに、何でもいいのだ。長嶋が声を発し、画面に映っているだけで楽しめるのである。

V9時代に少年期を過ごした筆者にとって、ノスタルジーでさえあるのだ。

長嶋よりイチローが凄いという人もいる。比べるべきではないのだ。次元が異なるのだから。イチローが65歳になったとき、どれだけファンに愛され続けたかで見るべきだろう。

子供の頃のあこがれが続いているのだから。日本を復興した、そんな時代のヒーローなのだから。時代のヒーローは時代を知らなければ語れないのだ。

そんな長嶋茂雄がユニホームを脱ぐ。

さらば、長嶋茂雄。

それは別れの言葉ではない。直ぐに再会できることを祈っての言葉だ。



目立たないようで、記憶に残る人たち

長嶋と同時に辞めることは、彼の影に隠れ目立たないようであるが、記憶には残り易い。

巨人で言えば、槙原、村田、斎藤である。いずれも、単独で引退試合をし、セレモニーがあってしかるべき選手たちである。それが、監督と同時に引退し、同時に引退試合とセレモニーを迎えた。

選手が絶頂期に引退することは殆どない。彼らも投手としての力は下降期にあったのは確かである。しかし、彼らが巨人を勝たせた時代を知っている。だから惜しまれ、引退に涙するのである。

他のチームでも監督が交代する。これも記憶に残るだろう。

9月30日は、巨人がドーム最終戦で監督らの引退セレモニーがあっただけでなく、イチローが90年ぶりに大リーグの新人安打記録を更新した日であり、高橋尚子が女子で始めて2時間20分を切った日である。

こんなに記憶に残る日があるだろうか。

原ヘッドコーチ、次期監督の送る言葉は素晴らしかった。

長嶋の後を任せるに足る人間なのだと、ファンは確信しただろう。

それも記憶に残る出来事だった。



これからの巨人と日本野球界

今後も人気が低迷するのは間違いない。

サッカーは予想外に人気が上がっていないが、来年はワールドカップが開催される。日本にも会場が設けられるのだから、お祭り騒ぎになることは確実である。

当然マスコミも取り上げるだろうし、試合も視聴率を稼ぐだろう。

イチローや佐々木のおかげで、大リーグはもはやアメリカのものではなく、日本にもファンを獲得している。

まして、イチローは大リーグ新人安打記録を塗り替えたのだ。

この人気の感覚は、力道山がアメリカ人レスラーを空手チョップで倒して得た人気に似ているように感じる。日本人がアメリカで活躍する。それはナショナリズムを触発しているのだろう。

マラソンで高橋尚子選手が勝ったのも、世界が舞台だし、ワールドカップもしかりである。

日本国内だけの野球では人気が下降するのは否めないことなのだ。

外人枠の撤廃はもとより、大リーグとのリンクを模索する次期が来ているだろう。

国技とされる相撲でさえ、外国人(外国出身者)が活躍している。アメリカ(ハワイ)、モンゴル、アルゼンチンなどである。

長嶋は選手時代、監督時代を通して、ファンへのサービス、ファンを楽しませることを第一に考えた。選手時代には、空振りでヘルメットを飛ばすため、一回り大きなものを使っていたほどなのだ。

ファンサービスをもっと取り入れないと、日本の野球はダメになるのだ。

そして、巨人ファンは巨人が勝つことを、アンチ巨人なら巨人が負けることを楽しみにしている。これは、いずれにしても巨人が最も野球ファンに必要とされていることを物語っている。そして、巨人が強いことが必須条件にもなっているのである。

原新監督には、日本野球界全体の希望が掛かっているのだ。




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