アフガンの少年兵



なぜ少年は戦うのか

日本の日常において、「女、子供」というと、差別的だと非難される。

女性の社会進出も推進され、男性と差別しないことが常識である。

警察官や自衛官に女性がいても不思議はない。当然、兵士にもである。

日本は先進国の仲間入りし、高齢化が進んだため、実感がないのだが、発展途上国では、今の日本では許されない年齢が、通常の婚姻年齢である。

働き手としての少年は、古来から重宝されていた。日本でも、昔は、子供が赤ん坊の面倒を見たり、家事を手伝うのはあたりまえで、田んぼや畑に手伝いに出るのは必然だったのである。戦後でも、田植え休みや稲刈り休みがあったのだ。

学校を休むことはさておき、家の手伝いをするのは今でも正しいことである。包丁が危ないからというと、炊事ができない人間になってしまうし、車や誘拐が怖いからと外に出さなければ、ひ弱で集団行動ができない人間となるかもしれない。

無宗教と思われる日本でも、仏壇や墓では手を合わせることを教えるべきだし、葬式ならなおさらである。

ちゃんとした家なら、教育にも熱心だろうし、日常生活ができるように教え込むことだろう。箸の持ち方を見れば、その家柄が分かるのだ。キリスト教でも仏教でも、熱心な信者なら子供のころからちゃんと教える。昔の米英映画を見ると、子供に聖書の暗記をさせている。日本でも般若心経くらい覚えさせていいだろう。あれは、宗教と言うより哲学的である。最後の部分を除いてはだが。

だから、ちゃんとしたアフガンの家なら、コーランを教え、イスラムの精神を学び、家の手伝いもさせ、家族や宗教を守るため、兵士としての訓練もしている。アフリカのどこかの部族で、弓や槍の使い方を教えるように、小銃やナイフの使い方を教えているに過ぎない。

女・子供を戦闘員とすることを云々するのは、女性の社会進出を拒むのと同じだし、少年を手伝いもさせず家事も教えない発想になっているのである。

鯨は賢く可愛いから食べるなと外国に言われるが、日本人は抵抗なく食べられる。こちらが少年兵に反対しても、向こうでは普通のことなのである。

白虎隊は少年ではなかったのか。学徒出陣や学徒動員は必要に迫られたからではなかったのか。悲しいことだが、戦争なのである。



戦闘員という仕事

子供の精神に深く入り込むのは漫画やアニメだろう。

ウルトラマンや仮面ライダー、戦隊ものなどは大人がヒーローだが、アニメでは圧倒的に少年がヒーローである。

サイド7に住むアムロ・レイは、突然襲ってきたザクに対処するため、連邦軍の試作モビルスーツ、ガンダムに搭乗する。ホワイトベースに収容された民間人の中には、カツ、レツ、キッカとういった子供もいた。彼らも、基地のジム倉庫に仕掛けられた時限爆弾排除をしている。後にカツはアムロと共に戦うことになる。

14歳の少年少女が搭乗するのはエヴァンゲリオンである。彼らも戦闘することに苦悩する。

これ以外にも多いが、一様に、戦闘に巻き込まれ、戦うことに苦悩し、最後には戦うことを選択するのである。喜んで殺戮するのはヒーローにはならないだろう。

子供達は、戦闘のかっこよさだけでなく、虚しさややりきれなさも学ぶだろう。これらはいい学習になっているに違いない。それでも、戦後一時期のような反戦思想は得られず、戦闘員というものも受け入れられるようになっているのではないだろうか。

まして、イスラム思想を刷り込まれ、戦闘を訓練されている少年なら、仲間達と同じことをして、親のあとを継ぐだけに感じるだろう。

戦闘員、兵士というのは普通の仕事のひとつに過ぎないのだ。

大韓民国の男子は皆兵である。一度は軍隊に入らなければならない。永世中立国であるスイスも同様だ。徴兵制のある国も多い。

戦前・戦中、子供の成りたい職業は「兵隊さん」だった。

それは今となっては忌まわしく思うが、他の国に強制するのは無理だろう。

イスラム的精神により教えているというのなら、イスラム自体を否定することになりかねない。無宗教的な日本から見ると、宗教自体が根源的な問題になっていると分かるが、宗教を捨てさせるのは不可能に近いのだ。



アイスクリーム売りの少年

10月7日の爆撃で、アフガンのアイスクリーム売りの少年が怪我をしたという写真が出た。

どう見ても対人地雷による負傷であり、国際世論操作のための材料として公開されたものである。

アイスクリーム売りが深夜に何をしていたのだろうか。

人の集まるところにしかアイスクリーム売りはいない。爆撃があるらしいと人々が避難し、戦闘員もいなくなった軍事施設の近くにいる方が不自然である。

あの国は、日常的に戦闘があり、家にロケット弾が飛び込んでケガをしたという子供も居るくらいである。対人地雷も多い。少年でも兵士として訓練されているのである。

小賢しい写真である。

タリバンが間違ったのは女性を家に閉じ込めたことである。

兵士からむさ苦しい男を排除し、女性だけにすれば勝てるかもしれない。ファンタジーものにあるような、超ビキニのプレートアーマに身を包む美人兵士なら、国際世論(男だけ)を味方にできるはずである。なおさら女性蔑視かもしれないが。

女性(イスラムには少ないだろう)や少年が戦闘員であることは否定できないし、情報操作は自国が有利になるようにするのが戦争というものである。

東京を絨毯爆撃し、広島・長崎に原爆を投下したアメリカにしてみれば、民間人も含めて数十人の死者に留めたのは誤差範囲だろう。




トップページへ