★★★ 自己紹介 ★★★


掲載日: 1999/02/01, 更新日: 2000/09/03

経歴など

1963年に福岡県で生まれました。小さい頃に引っ越しをして大阪で育ち、中学3年で福岡に戻り、大学時代は東京で過ごしました。 学部は一応法学部でしたが、法律のことはあまり記憶にありません。今の会社に就職していきなり仙台に配属になり、7年間東北地方をあちらこちらと出張して回っていました。

コンピューターの知識は、会社に入るまでほとんどありませんでしたが、同期が新人研修を受けている間、 なぜか私はいきなり、あるシステム開発のマスターメンテナンスのプログラミングを40本程度と、どっかの汎用機からの データ・コンバージョンのプログラミングをまかされてしまいました。 その時のシステムは、S/36とS/38でした。人手がたりない、開発費がたりない、お客様お怒り、と言う状況なので、 取りあえず突っ込まれてしまったのだと思います。その時、渡されたのは、ファイルレイアウトと作成すべきプログラムの一覧と期限だけでした。 取りあえずまわりに聞ける人には誰にでも聞いていたような気がします。今思うと、社内の人よりも社外の人に教えてもらったことの方が多かったかもしれません。

そのころは、毎日ひたすらマニュアルを読んで、人が書いたソースコードをみて、コンパイルを何回も繰り返すという日々を送っていました。 仕様の確認できないところは自分で予想して(なんと恐ろしい)それでも仕様が分からないときは、あとから追加出来るようにして(要は処理せずブランクのまま)、 取りあえず予定されたプログラムは仕上げてしまいました。多分、あとから担当したSEは苦労したでしょうね、ごめんなさい。

見習い期間が終わって一応SEになった年にAS/400が発表になり担当することになりました。 ですからAS/400とは、発表以来の付き合いってことになります。
発表になってほどなくオフィスに1台のAS/400が納品されました。
このAS/400で最初にアテンションランプをつけたのは私でした。何のことか判らずに、ラック電源の緊急遮断を落としてしまいました。 その後もアテンションランプには何度もお世話になりました。 たぶん、その当時は、AS/400のアテンションランプのつけ方を一番よく知っているSEだったのではないかと思います。

転勤で東京に戻って来てから、1年ちょっとのあいだは、IBM社のRS/6000を担当してました。 会社に入って一番研修に出てた1年だったのではないかと思います。

RS/6000にはアテンションランプはないのですが、それに相当するものに、LEDの[888]って言うのがあります。システムがハングアップしたコードです。 最初にもらったのは、RS/6000のモデル320だったかと記憶していますが、カードをさしたり/抜いたり,OSいれ直したり、ずいぶんとお世話になりました。
[888]で再導入した回数は、かなりになると思います。

RS/6000で主に担当していた分野は(もうすでに過去形ですが)、ネットワーク系(TCPIP,SNA)、 DB系(といってもDB2だけです)言語系(マイクロフォーカス・コボル,C言語)でした。 x11やモチーフ,グラフィックス系は、マニュアルなどは一応は読みましたが、全然消化できていません。

現在は、AS/400のテクニカル・サポートの仕事をしていますが、最近のOS/400の拡張のスピードについていくだけでやっとと言うのが正直なところです。 それにくわえ、NT,WIN95などのクライアント系まで、最近のAS/400のSEは本当に大変ですよね。

私のお気に入り

私の家には、奥さんと小さな恋人が2人ほど、一緒に暮らしています。
いっしょに近所の珈琲館などでデートするのが楽しみです。

最近オープンした近所の床屋さん、大変気に入りました。
私の髪の毛は、太く、固く、量が多くて、カットが難しいのだそうです。 それが、今度の床屋さんは、うまいカットをしてくれたようで、朝起きて、髪の毛が爆発しなくなりました。
店もきれいだし、うでも確かでお薦めですよ。堀切菖蒲園の駅からすぐですので、お近くの方は試してみてはどうでしょう。
店の名前は「TEDDY」テディーです。03-3838-3951

公的資格など

情報処理試験 ネットワークスペシャリスト

Cisco CCNA

Sun Certified Programmer for the Java(TM) Platform

Microsoft社 MCP/MCSE

UML技術者認定 ブロンズレベル・エンジニア


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