京阪電車と小松左京とじゃりン子チエとくるり
Keihan Rwy in Wonderland



◆ 戻る ◆


小松左京作品
Works of KOMATSU Sakyo

 あまり熱心な読者というわけではないのですが、小松左京の小説を読んでいると京阪電車に出会うことがあります。
 といっても目立つ働きをしているわけではないのですが、ここでは持っている小松左京の小説の中で京阪が出てくるシーンを集めてみました。
 実際にはSFを読んでいたのは中学生の頃までで、これらの作品に京阪電車が出ているのに気づいたのは後になってからです。

日本アパッチ族《にっぽんアパッチぞく》 Apache Japan
角川文庫 1971年初版

“大手前を天満のほうへ下ってゆく市電の響き、天満を出る京阪電車や、城東線の警笛、……”
(追放された主人公が、娑婆を思うシーン)

 再軍備した別の日本で、生きることに追い詰められた人たちが突如として鉄を食べ始める。鉄を食した人は生物学的に人類を越えた存在“アパッチ”と化した。
 やがてアパッチ族は、日本政府に対してアパッチ自治区の設立を要求するのだが……。

物体O《ぶったいオー》
新潮文庫 1977年(初出1965年)

“……溜息をついてあたりを見まわした。京阪の特急は出たばかりで、次の発車まで三十分ある。熱いコーヒーでものもう。”

 突如として九州−東京間ほどの直径を持つリングが現れ、日本はリングの内側と外側に隔てられてしまう。完全に世界と隔離されたリングの内側で、人々は……
 もしかしたら後の『首都消失』(映画化もされた)のプロトタイプかも。東京が滅んでも京阪電車は動きつづけるんだなぁ……。

日本沈没(上)《にっぽんちんぼつ》 Japan Sinks
光文社カッパ・ノベルス 1973年

“明るい四条通りは川の西岸から、南座、京阪四条駅へかけて車も通れないほどの人々がつめかけていた”
(大文字焼きの人出の描写)

 日本近辺に大規模な地殻変動の兆候が現れ始めた。地震は日常茶飯事化し、ついに京都が、そして東京が大震災に教われる。しかしこれは日本列島を襲う悲劇の、ほんの前触れでしかなかった。それを察知した政府は、すべての国民を海外に移住させるべく行動を開始するのだが……。
 うちにある日本沈没(上)は、昭和48年3月20日初版発行、同年11月5日に310版を重ねています。

 『日本沈没』はさいとう・プロの手によって劇画化され(登場人物が全員ゴルゴに見えます^^;)、週刊少年チャンピオン(!)に連載されたようです。
 現在は講談社漫画文庫で読む事ができます。
 講談社漫画文庫版の1巻には京都を大地震が襲う描写があり、鴨川堤から川へ転落する1900系特急(きちんと車番が読める)の姿が描かれている。

 あと大事なことをひとつ。
 映画を観るならぜひ1973年版をご覧ください。
 2006年版(草g剛や柴崎コウが出る方)は、CGは凄いですがストーリー的には日本沈没以外の何か(あの話を二次創作と呼んだら、二次創作作家に失礼)です。


 なお、映画化された『復活の日』では京阪電車は出てこないですが、山手線を「東京の環状線」と表現しており(p200)、関西在住の者ならニヤリとするでしょう。

復活の日《ふっかつのひ》Virus
角川文庫 1975年

 ようやく米ソによる核軍縮が進展を見せ始めた時期、別の国の細菌兵器が誤って流出してしまう。細菌兵器は流行の新型インフルエンザを隠れ蓑を使って、細菌兵器を作り出した本人たちですらそれであると気づかないままに人類を屠る。文明から隔絶された南極の、一握りの人類のみがその惨禍から逃れられたのだが、未曾有の大地震が今は使う者もいない核ミサイル基地を刺激しようとしていた……。
 1980年映画化。世界初の南極ロケ敢行だそうだ。




じゃりン子チエ
Chie the Brat

 現在は双葉文庫より出ている『じゃりン子チエ』1巻に、チエちゃん・テツ・ヨシ江さんの一家が京阪の3000系特急に乗る描写があります。
 待ち合わせは淀屋橋駅にある開通記念の彫刻の前で行なわれました。駅の看板には残念ながら駅名は書かれていませんが、『京阪電車 淀屋橋-三条』と書かれています。



くるり
QURULI

立命館大学出身のバンド『くるり』の、『街』という曲(シングル『街』VICL-35097,1000円,1999.11リリースに収録)では

京阪電車の窓から見える君の背を追って”

というフレーズがあります。

さらに、ファーストアルバム『さよならストレンジャー』(VICL-60365,2900円,1999.04リリース)のCDジャケットおよび歌詞カードには、京阪深草駅及びその周辺の写真が多用されています。

偶然にも妹と京都へ行った時に、『さよならストレンジャー』に使用されている写真の撮影地をたどってみました。

駅構内図

(1) 歌詞カードの『ハワイ・サーティーン』のページの写真付近。

(2) 歌詞カードの『東京』のページの写真付近。歌詞カードの写真では後ろに学校の建物が見えますが、撮影時にはマンションを建設中で、同じシーンを撮る事はもうできないのでしょう。

(3) 歌詞カードの『ブルース』のページの写真付近。この写真は陸橋から撮ったのですが、最初は手前の留置線に電車が停まっていてホームが影になっていたためどこで撮った写真かわからず、橋上駅舎の窓や男子便所の窓などを探し回る羽目になりました。

(4) ジャケット裏の写真付近。ジャケットの写真には『龍谷大学前』の看板はなく、あとづけされたものの様です。なお、ジャケットの写真に映っている8000系特急(オレンジのツートンカラーの車両)は、先頭車ではなく、いちばんしっぽが写っている状態です。

他に、『7月の夜』のページの写真は、深草駅からメンバーの出身校である立命館高校へ至る通学路の途中、『傘』のページの写真は立命館高校の建物でした(現地へ行って確認)。

京阪ネタ以外にも、


と、鉄道ネタは尽きません。


◆ 戻る ◆

Copyright©1998-2011 by まっつん総研, All rights reserved.